主な参考資料
- AFI
- The Guardian
- Turner Classic Movies
- The Academy
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1971年、プロデューサーのトニー・ビルが新人脚本家デヴィッド・S・ウォードの詐欺師映画の着想をマイケル・フィリップス夫妻に持ち込み、観客にも結末を伏せる構成が企画の売りになった。ウォードは当初監督も想定していたが、ロバート・レッドフォードが複雑な話運びには経験者が必要だとしてジョージ・ロイ・ヒルを求め、ポール・ニューマンが当初は脇役想定だったヘンリー役を希望すると、その人物の比重も広がった。撮影は1973年1月に始まり、シカゴの実景とユニバーサルのバックロットを併用したが、ウォードの回想では最初の一週間を撮り直し、ロバート・ショウも撮影前に負った脚のけがを役の歩き方に取り込んだ。美術監督ヘンリー・バムステッドと撮影監督ロバート・サーティースは茶や臙脂色の画面、1930年代風のアイリスショット(画面を円形に閉じて場面を終える技法)で時代感を組み立て、マーヴィン・ハムリッシュは設定年の1936年には流行の盛りを過ぎていたスコット・ジョプリンのラグタイムを音楽の軸にした。公開後、デヴィッド・マウラーは著書『The Big Con』(1940)を脚本が「相当部分」借用したと申し立て、ユニバーサルは和解金35万ドル(資料によっては30万ドル)を支払ったが、アカデミー作家部門の委員会はウォードの盗作とは認定しなかった。本作は北米初回興行で約6,850万ドルを記録し、1974年の同地域トップとなり、第46回アカデミー賞では10部門候補中7部門を受賞したが、現実の詐欺を描く映画の外でも、和解金と責任の話はすっきり一件落着とはいかなかった。
脚本家デヴィッド・S・ウォードは、別作品のスリを調べているうちに詐欺師の手口を知った。暴力よりも相手の欲を利用する彼らのやり方に興味を持ち、本作の着想につなげた。
製作者マイケル・フィリップスによると、ウォードは企画を売り込むとき結末を明かさなかった。聞き手自身も最後に一杯食わされる感覚を、説明の段階から作っていたという。
ヒル監督は撮影前、ウォードと脚本を一頁ずつ読み合わせた。誰がいつ仕掛けを変え、なぜその行動を取るのかを確認してから現場に入ったと、ウォードは振り返る。
ウォードが本作で監督デビューする案もあった。だがAFIによれば、複雑な構成の映画を任せるには経験豊かな監督が必要だとレッドフォードが考え、ヒルが監督した。
フッカーは最初、約19歳の青年として書かれていた。レッドフォードが出演することになり年齢を上げたため、ゴンドーフとの関係も当初の父子に近い構想から変わった。
ニューマンは脚本を読んでゴンドーフ役を希望した。ただし初期の人物像について、製作者は太った男、脚本家ウォードはリー・ヴァン・クリーフのような硬派な男を想像したと、同じ取材で異なる記憶を語っている。
大物ギャングのロネガン役には、当初リチャード・ブーンの出演が報じられた。完成作で演じたのはロバート・ショウで、AFIによれば当時ユニバーサルは交代理由を発表しなかった。
ショウは撮影直前にラケットボールで脚を傷めていた。ヒルは降板させず、足を引きずる歩き方をロネガンの人物像に取り込ませた。
ウォードが最初に書いたロネガンはポーランド系のギャングだった。ショウが出演すると人物の出自はアイルランド系へ変わったと、ウォードは語っている。
ヒルは撮影最初の一週間分を撮り直した。AFIが伝えるウォードの証言では、監督が仕上がりをもっと良くできると判断したためで、事故や撮影停止が原因とは記されていない。
冒頭のユニバーサル社章は、1930年代に同社が使った水晶球風の意匠を再現したものだ。物語が始まる前から、観客を映画の舞台年代へ誘っている。
章が変わるたびに出る挿絵と文字は、ジャロスラフ・ゲブラーの仕事だ。1930年代に人気だった『サタデー・イブニング・ポスト』の表紙や挿絵を手本にした。
シカゴではユニオン駅やラサール街駅などで撮影し、ロサンゼルス周辺のホテルや建物も1930年代の街に見立てた。全編をシカゴで撮ったわけではない。
高架鉄道の場面の一部は、シカゴ現地ではなくユニバーサル撮影所のセットで撮られた。当時の宣伝資料によれば、高さ約6.1メートル、長さ約76メートルの鉄骨構造物が背景に組まれた。
ヒルは1930年代のギャング映画を調べ、人通りの少ない通りが多いと気づいた。本作でも通行人役を意図的に控え、昔の映画の画面づくりへ近づけたと語っている。
画面が丸く狭まって消える「アイリス」は、昔の映画を思わせるための仕掛けだ。撮影監督ロバート・サーティースは、この技法を1930年代風の画面づくりに取り入れた。
衣装担当イーディス・ヘッドは、本作の衣装を約60着、ヒルと約六週間で設計したと語る。時代考証を守りつつ、主演二人が街の普通の男性に見えない個性も加えた。
主題曲の原曲「ジ・エンターテイナー」は1902年に書かれたが、映画の舞台は1936年だ。マーヴィン・ハムリッシュはジョプリンの曲を編曲し、厳密な流行年代よりも作品の軽やかな調子を生かした。
ジョプリンの音楽を使う発想は、ヒルの息子がそのラグを弾いたことから始まった。ヒル自身がサウンドトラックの解説でそう振り返り、旧知のハムリッシュに編曲を頼んだという。
本作の作品賞はトニー・ビル、マイケル・フィリップス、ジュリア・フィリップスに贈られた。AFIはジュリアを、製作者として作品賞を受けた最初の女性と記録している。
当時の宣伝資料や批評は上映時間を127分または129分と記した。著作権記録には103分とあるが、AFIは誤記と判断しており、別の103分版の存在を示すものではない。
本作は1978年11月5日に初めてテレビ放送された。AFIが引用する同時代の報道によれば、ニューヨークとロサンゼルスでは視聴占有率が最大61%に達した。
『The Big Con』が正式な原作?。著者から盗用の訴えが起き、ユニバーサルは和解した。一方、アカデミー側は盗用と判断せず、本作をウォードのオリジナル脚本として表彰した。同書が調査資料の一つだったことと、正式な原作であることは別だ。