主な参考資料
- AFI
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1975年公開。少年時代から複葉機に惹かれ、海兵隊の操縦士でもあったジョージ・ロイ・ヒルが物語を考え、ウィリアム・ゴールドマンが脚本化した、監督自身の航空熱がそのまま製作費を得たような企画である。撮影は当初カンザス州グレート・ベンドを予定していたが、最終的にはテキサス州エルジン周辺とカリフォルニア州ピルーで行われた。エルジン中心部を複葉機が通過する場面には連邦航空局の特別許可が必要で、空中ユニット監督フランク・トールマンが1917年製スタンダードJ-1「ジェニー」を操縦した。ヒルは空中場面に特撮、リア・プロジェクション、模型を使わず、レッドフォード、ボー・スヴェンソン、エドワード・ハーマンにも翼上歩行を含む実演をさせたという。ヒル自身は後年、軽妙な喜劇から突然悲劇へ転じる調子が観客を遠ざけた可能性を認めている。興収は集計に約2,000万〜2,064万ドルの差があるが、『スティング』後のレッドフォード=ヒル作品としては伸び悩んだとされ、実機を飛ばすことには成功しても、観客の期待値を安全着陸させるのは別の操縦術だったようである。
本作の物語は、ジョージ・ロイ・ヒルが生涯抱えていた古い飛行機への愛着から始まった。海兵隊の操縦士として第二次世界大戦と朝鮮戦争を経験したヒルは、第一次世界大戦期の旧式機を自分でも所有し、自動車より遅い速度で全米を飛んでいた。脚本家ウィリアム・ゴールドマンは、その個人的な情熱が企画の感情的な出発点だったと回顧している。
ジョージ・ロイ・ヒルとウィリアム・ゴールドマンは、10日間を使って本作の物語を組み立てた。二人がウォルド役に望んだ俳優は最初からロバート・レッドフォード一人で、別の主演候補を検討した記憶はないとゴールドマンは書いている。レッドフォードは企画の早い段階から関わり、完成脚本を読んで出演を承諾した。
ウィリアム・ゴールドマンが書いた初期稿は、少女たちへ自分を誇示しようとする少年が崖から飛び出し、やがて空が飛ぶ子供たちで満たされる幻想から始まった。ジョージ・ロイ・ヒルは、その夢のような映像が後に続く現実的な物語と合わないと判断し、冒頭案は第二稿か第三稿までに消えた。ヒルが『ヘンリー・オリエントの世界』(1964)で少女たちを浮遊するように撮った場面と重なることも、ゴールドマンは理由の一つとして記憶している。
ウォルドの世界には三人の実在曲技飛行士の経歴が組み込まれた。ジョージ・ロイ・ヒルは、オーマー・ロックリア、アール・ドハティ、スピード・ホルマンの経歴を、人物や状況の土台として組み合わせた。三人はいずれも第一次世界大戦後に曲技飛行へ進み、最終的に飛行事故で亡くなっている。
ウォルドが語る「機関銃が故障すると、ドイツの撃墜王ケスラーが敬礼して去った」という逸話には、第一次世界大戦の空中戦が下敷きにある。史実ではドイツ軍のエルンスト・ウーデットの銃が故障し、フランス軍のジョルジュ・ギンヌメールが攻撃をやめた。本作はウーデットをケスラーのモデルにしながら、助けられる側をウォルドへ入れ替えている。
本作は当初、カンザス州グレート・ベンドで撮影する計画だった。最終的な撮影は1973年11月15日から1974年3月下旬まで行われ、テキサス州エルジン、フローレスビル、カーヴィル、ロックハート、セギンと、カリフォルニア州ピルーが使われた。AFIの業界紙記録とテキサス州政府の撮影台帳が、計画地と実際のロケ地を分けて記録している。
メアリー・ベスを翼に立たせた複葉機がテキサス州エルジンの中心部を通過する場面では、連邦航空局から特別許可を得た。空中シーケンス監督フランク・トールマンが操縦したのは、1917年製のスタンダードJ-1である。画面の危険な近さは、町並みを別撮りして合成したのではなく、許可を取って現地を飛んだ結果だった。
本作の飛行・曲技飛行場面では、模型やリア・プロジェクションを使わなかった。フランク・トールマンは公開当時、空にあるように見えるものは実際に空へ上げて撮り、合成用のプロセス・ショットは一つもないと説明している。ジョージ・ロイ・ヒルは実機を飛ばす方法を選び、空中班がその映像を成立させた。
ロバート・レッドフォード、ボー・スヴェンソン、エドワード・ハーマンは、翼上歩行を含む多くのスタントを自分で行った。フランク・トールマンは、飛行中の機体でレッドフォードが翼へ出たことを公開当時に証言し、俳優が行った仕事として特に高く評価した。ただし俳優が写る空中ショットのすべてを本人が操縦した、という意味ではない。
空中シーケンス監督フランク・トールマンは、本作の撮影用に旧式機を運ぶ途中、方向舵を操作するペダルが壊れて操縦不能になり、木へ墜落したと公開当時に語っている。俳優ボー・スヴェンソンが煙を上げる機体からトールマンを運び出し、救助ヘリコプターが病院へ搬送した。事故は撮影中のカメラの前ではなく、機体を現場へ運ぶ飛行中に起きた。
ウィリアム・ゴールドマンは、ボストンの試写で前半の観客が大声で笑い、空中スタントにも集中していたと回顧している。しかしメアリー・ベスが翼から落ちると反応は急変し、観客は後半を不機嫌な沈黙のまま見た。ジョージ・ロイ・ヒルも後年、軽い喜劇から突然の悲劇へ移る調子が急すぎて、観客を遠ざけた可能性を認めた。
本作の北米興収は、The Numbersが2,000万ドル、Box Office Mojoが2,064万2,922ドルと集計している。差は約64万ドルあるが、両データベースとも海外興収の確定値を示していないため、2,064万2,922ドルを全世界興収とは扱えない。公開後の評価を数字で語る場合は、北米の集計差と世界興収の未確認を分ける必要がある。
1926年設定の場面でニュート・ポッツは、自分を航空行政組織「CAA」の地方代表と説明する。しかしCivil Aeronautics Authorityが設置されたのは1938年であり、その名称は12年早い。1926年に成立したAir Commerce Actが航空機と操縦士の検査・免許制度を進めた点は時代に合うが、当時の担当組織は商務省のAeronautics Branchだった。
本作ではウォルドたちが、操縦士の体が円の外側へ向く「外側宙返り」の世界初成功を追い求める。史実では、ジミー・ドゥーリトルが1927年5月にこの曲技を初めて成功させた。ウォルドは架空の人物であり、本作がウォルドを史実上の記録保持者として紹介しているわけではないため、作品の誤りではなく航空史を補うトリビアである。
オーストラリアに現存するフォッカーDr.IレプリカN864DRを、本作の撮影用機だったとする情報が複数のサイトに広がっている。クイーンズランド航空博物館はFAAの機体書類とTallmantz Aviationの収蔵機一覧を照合したが、本作や同社とのつながりを示す記録を見つけられなかった。同館は、追加資料が出ない限りN864DRは本作へ出演していないと結論づけている。