書き込み台本は、火災から救い出されていた
『昭和残俠伝 死んで貰います』には、完成した映画とは別に、現場の痕跡を伝える台本が残っています。助監督を務めた澤井信一郎の旧蔵品で、大量の書き込みがある撮影台本です。その資料は、2021年の火災で失われる寸前でした。[1]
・遺族から脚本家へ、脚本家から撮影所へ
国立映画アーカイブの事業報告書によると、澤井監督の死後、住まいだったマンションが火災に遭いました。遺族から連絡を受けた脚本家の荒井晴彦が東映東京撮影所へ相談し、隅田靖監督、小嶋雄嗣、撮影所スタッフらが現場へ駆けつけ、資料を引き取ったといいます。[1]
助かったのは、この一本の台本だけではありません。脚本、製作資料、写真、プレス資料、受賞品など、調査時には段ボール18箱分が保管されていました。東映東京撮影所では、2022年1月から倉庫で暫定的に預かっていたそうです。[1]
・完成画面には残らない、仕事の途中の資料
澤井は東映東京撮影所で長く助監督を務めました。保管資料には、本作のほか、自身も脚本に携わった『トラック野郎 御意見無用』(1975)の台本もあり、報告書は、どちらにも大量の書き込みがあると説明しています。[1]
映画が残っていれば、完成した場面は見られます。けれど、仕事のために使い込まれた台本は、その完成形へ至る途中の資料です。書き込みのある紙そのものを保存する意味は、きれいな脚本をもう一冊用意することとは違います。
・撮影所の倉庫から、国立映画アーカイブへ
2023年の資料調査をきっかけに、澤井の旧蔵資料は国立映画アーカイブへ寄贈されました。さらに2024年2月、調布で開かれた事業展示では、澤井のコーナーを設けて資料の一部を公開しています。[1]
映画を作った人たちが、今度は映画の資料を残す側に回った。 高倉健や池部良の姿を見返せるのと同じように、撮影現場の紙も次の世代へ渡せるようになった背景には、連絡をつないで動いた人たちがいました。