荒れた画面は、意図して作られた――W106方式
『飢餓海峡』の白黒画面は、場所によってざらつき、粒子が強く目立ちます。これは古いフィルムだから、とだけ説明できるものではありません。16mmで撮った素材を35mmへ拡大し、粒子の荒れまで表現に使う方法が採られていました。[1]
・小さいフィルムを、大きく見せる
この試みは「東映W106方式」と呼ばれました。小さなフィルムの画面を引き伸ばせば、粒子も目立ちます。本作では、その性質を隠すのではなく、場面に合わせて使っています。[1]
otocotoの制作史解説によると、通常の拡大に加え、必要な部分を大きくして切り取る方法も用いました。青函連絡船の転覆を模型で撮った場面では、とくに大きく拡大。夏と秋でも倍率を変え、ざらつきの強さを調整したと説明されています。映画全体を一つの粗さにそろえたわけではないのです。[1]
・すべてを16mmで撮ったわけではない
同じ解説によれば、16mmが使われたのは全体の約5分の3。10年後の東京の部分には、35mmによる、よりくっきりした映像が使われました。時間や場所が変わることで、画面の手触りも変わります。[1]
そのため、ある場面の粒子が強いからといって、全編が同じ素材、同じ拡大率だと考えると、撮影の工夫を見落とします。荒涼とした敗戦直後の世界と、時を経た都市。その違いを、筋書きだけでなく映像の密度でも見せていたのです。
・現像所も、監督の演出を受けていた
こうした画面は、撮影だけでは完成しません。解説は、現像を担った東映化工の山本豊孝が、技術者の仕事も内田監督に細かく演出されていたと語った、当時の『映画撮影』の記事を紹介しています。[1]
荒れた画面を作るにも、ただ粗くすればよいのではなく、どこまで荒らし、どこを鮮明に保つかを決める必要がありました。本作の粒子は、映像に残ったノイズというだけでなく、作り手が選んだ画面の一部です。見直すときは、人物がいる時代と場所が変わったところで、白黒の肌合いも比べてみてください。