主な参考資料
- AFI
- PBS
- Turner Classic Movies
- The Academy
1949年公開の本作は、ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の第2作であり、三部作で唯一テクニカラー撮影された作品である。ジェームズ・ワーナー・ベラの短編2作を脚本化する際、ローレンス・ストーリングズが構成・テンポ・台詞を組み直し、フランク・S・ニュージェントが仕上げた。1948年8月にはチャールズ・ビックフォードを主演に起用する交渉があったが、完成作で老境の騎兵隊長を演じたのは当時42歳のジョン・ウェインで、AFIは役を60歳前後の人物として紹介している。フォードと撮影監督ウィントン・ホックはフレデリック・レミントンの絵を色彩設計の参照にし、モニュメント・バレーでの経験もあって31日で撮影を終え、製作費185万1,290ドルに対し約50万ドルを予算内に残したという。だが嵐の場面では、暗さを懸念するホックと撮影続行を望むフォードの判断が衝突し、ホックは米撮影監督協会(ASC)へ正式に抗議したとAFIは記録する。翌年、ホックは本作でカラー撮影賞を受賞し、当時クラシックな西部劇に批評家の関心が薄れつつあった一方、TCMは本作を公開当初から興行的ヒットだったとしている――現場で光量をめぐって揉めた撮影監督が、最後には光の仕事でオスカーを持ち帰った。
1編ではなく、2編の短編が原作。AFIの記録では、ジェームズ・ワーナー・ベラが雑誌に発表した短編『The Big Hunt』(1947年)と『War Party』(1948年)の2編を基にしている。
AFIの制作史によれば、原作者ベラがまず脚色に携わり、その後ローレンス・スタリングスが展開と台詞を整え、フランク・ニュージェントが脚本を仕上げた。完成作は短編を単純につなげたものではない。
オリヴィアをめぐる2人の中尉の恋愛模様は、脚本を整える過程で大きくなった。AFIの制作史は、ローレンス・スタリングスがこの副筋を発展させたと記録している。
主演候補にチャールズ・ビックフォード。AFIが引く1948年8月の業界紙では、製作会社アーゴシーがチャールズ・ビックフォードの主演起用を交渉していた。
41歳のジョン・ウェインは、引退間近のネイサン・ブリトルズ大尉を演じた。共演したハリー・ケリーJr.は、後にウェイン本人から、この大尉役が気に入っていたと聞いたと回想している。
ジョン・ウェインの権利元が伝えるところでは、撮影終了の席でジョン・フォードはウェインにケーキを贈った。そこには「君は俳優だ」と記され、年長の大尉役を演じ切った彼への評価になった。
AFIによると、当初予算は185万1,290ドルで、前作『アパッチ砦』より4万ドル低かった。慣れたモニュメント・バレーを中心に31日で撮影し、当初予算を約50万ドル下回って完成したという。
『アパッチ砦』『黄色いリボン』『リオ・グランデの砦』と続くフォードの騎兵隊三部作で、カラー撮影は本作だけである。モニュメント・バレーをフォードが初めてカラーで撮った作品でもあった。
本作の色彩と構図には、西部画家フレデリック・レミントンの絵が参照された。AFIはフォード本人の回想として、撮影監督ウィントン・ホックとその画風の再現を試みたと記録している。
騎兵隊の背後に嵐の空が広がる場面は、撮影監督ウィントン・ホックにとって不安な条件だった。フォードが撮影を命じた後、ホックは米国撮影監督協会へ正式に抗議したとAFIは記録する。
嵐の場面をめぐってフォードに抗議したホックは、完成した『黄色いリボン』で第22回アカデミー賞の撮影賞(カラー)を受賞した。撮影現場での意見の対立と、映像への評価は両立している。
大尉の宿舎は元・ジャガイモ貯蔵庫。現地のGoulding'sによると、元はジャガイモ貯蔵庫で、今も施設の歴史を伝える建物として残っている。
本作の宣伝には、『サタデー・イブニング・ポスト』の挿絵で知られるハロルド・フォン・シュミットも参加した。AFIが引く当時の業界紙は、彼が映画の特別宣伝イラストのために雇われたと記録している。
『黄色いリボン』は公開後、ラジオドラマにもなった。1951年3月12日の『Lux Radio Theatre』放送では、ジョン・ウェインが映画と同じブリトルズ大尉を再び演じ、メル・ファーラーと共演した。
「嵐の場面の稲妻はライデッカー兄弟が作った」という説がある。ただしAFIの本作クレジットには別の特殊効果担当者が記され、今回確認できた撮影資料も兄弟の参加を特定していない。自然の嵐を撮ったことと、雷光に加工がないことは同義ではなく、真偽は保留である。