「西部劇監督」と呼ばれたくなかった監督
『征服されざる西部』を撮ったバッド・ベティカーは、西部劇の名匠として知られます。ところが本人は、取材でこの映画の時期について聞かれると、自分が作るのは西部劇ではなく、映画なのだと、分類されることへの不満を口にしました。[1]
・西部劇へ進んだ、と聞かれた答え
Senses of Cinemaが掲載したインタビューでは、『シマロン・キッド』(1952)、戦争映画『レッド・ボール・エキスプレス』(1952)、そして『征服されざる西部』へと話が進みます。取材者が、西部劇の時期へ入っていくように問うと、監督は、これらがユニヴァーサルでの仕事で、同社と7年契約を結んでいたことを説明しました。[1]
そのうえで、西部劇だけの監督と呼ぶのは、批評家の怠慢だと反論します。本人の数え方では、手掛けた52本のうち西部劇は12本。闘牛映画を撮れば闘牛の監督、ギャング映画を撮ればギャング映画の監督と呼ばれることにも、納得していませんでした。[1]
・嫌いだったのは、西部劇ではない
では、西部劇そのものが苦手だったのでしょうか。続く質問への答えは、むしろ逆です。屋外で撮れ、人間を使ってさまざまなことができ、アクションもあるので好きだと話しています。[1]
つまり、好んで撮ったジャンルを否定しているのではなく、その名前だけで自分の仕事を全部まとめられたくなかったのです。戦争映画や闘牛映画も撮った監督にとって、西部劇は仕事の一部であって、映画作りの範囲を決める壁ではありませんでした。
・一本を見る前に、肩書きを少し外してみる
この発言は、『征服されざる西部』の撮影中に残した宣言ではなく、後年に経歴を振り返っての言葉です。だからこそ、評判が固まった後にも、本人が分類に収まり切らない思いを持っていたことが分かります。[1]
馬や拳銃が出てくるというだけでなく、その中でどんな人間を動かしているのか。「西部劇の名匠の一本」という紹介をいったん脇へ置くと、この映画を見る入口も、少し広がるかもしれません。