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作品を手元に置く
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本作は新田次郎『八甲田山死の彷徨』を映画化した169分の大作で、国立映画アーカイブの所蔵記録でも橋本忍プロダクション、東宝映画、シナノ企画の共同製作として確認できる。撮影の木村大作は後年、企画に約3年間関わり、現場では監督に「二番手でなくメイン撮影なら引き受ける」と直談判した経緯を語っている。 木村の回想によれば、雪山の実景を待つ撮影は体感温度マイナス35度に達し、雪崩の場面ではダイナマイト80本で人工雪崩を起こしたという。大作の迫力を支えたのは、どうやら暖房よりも撮影隊の体力と、天候に出勤時刻を決めさせる辛抱だった。 東映の社史資料を基にした回顧では、1977年度の日本映画配給収入は25億900万円で年間首位、当時の日本映画歴代記録を更新したとされる。配給収入は現在一般的な興行収入(劇場総売上)とは別の指標であり、数字の見出しだけを今の興収ランキングに混ぜると、映画史より先に会計用語が遭難する。 2019年の4Kデジタルリマスターではオリジナルネガを4Kスキャンし、木村自身が監修に参加した。作品の雪は何十年後も白く戻せるが、撮影現場の寒さだけは解像度を上げても再現したくない。
『八甲田山』は、橋本忍を中心に設立された橋本プロダクションが『砂の器』の次に取り組んだ企画である。企画を提案した野村芳太郎は本作では監督ではなく製作に回り、森谷司郎が演出した。映画会社の通常の製作枠では難しい、長期ロケを要する大作に取り組むための体制だった。
撮影監督の木村大作によれば、森谷司郎は企画が実現するか決まらないうちから、ツツジや紅葉など四季の実景を撮りに出ていた。木村が本作に関わった期間は約3年に及び、『砂の器』の後半の仕事とも重なっていたという。冬景色だけのために始まった撮影ではなかった。
木村大作は、約3年も関わってB班のままなら辞めたいと森谷司郎に直談判した。本人の回想では、酒席で激しい言い合いになった末、森谷からメインの撮影を任されたという。撮影監督への起用は、最初から決まっていたわけではない。
雪中行軍は八甲田山と岩木山で撮影。東京都写真美術館の上映資料は、八甲田山と岩木山の両方でロケしたと記す。木村大作も実際の山中まで歩いて撮影した経験を語っている。
弘前の隊が岩木山を背に出発する場面で、木村大作が欲しかったのは俳優のアップより山の見え方だった。昼は逆光になるため早朝か夕方を狙い、納得できる画を得るまで3日待ったという。高倉健が小さく映る構図にも、山を主役に据える判断があった。
雪崩は火薬で起こし、先頭のカメラも埋まった。木村大作の取材によれば、ダイナマイト80本を雪山に仕掛け、人工的に雪崩を起こした。木村は後方で構えたが、先頭に置いたカメラは雪に埋まったという。人的被害や機材損失の詳細までは確認できない。
厳寒ロケが長引き、俳優たちも疲れて動きにくくなった場面で、木村大作は自ら十和田湖の冷たい水へ入った。そこで撮影位置を示すと、森谷司郎が意図を汲んで出演者を動かし、撮影が進んだという。木村が後に語った「人を動かすことも撮影の仕事」という考えが表れた逸話である。
年末年始の撮影休み、木村大作は宿舎の窓から軍服姿で雪の中を歩く北大路欣也を見たという。北大路は神田大尉役のため、休みの日にも雪中行軍の感覚を確かめていた。大人数の行軍場面だけでなく、俳優個人の準備にも厳しい冬のロケが入り込んでいる。
【ネタバレあり】徳島大尉が亡くなった神田大尉と対面する場面で、北大路欣也は自分が映る必要のない棺の中に入り、本番を待ったという。高倉健は長い沈黙の後に短い台詞を発し、カメラはフィルムが尽きるまで回り続けた。木村大作の回想では、脚本にはさらに台詞があったが、森谷司郎もこの演技をそのまま採用した。
木村大作は、本作に関わった約3年間、高倉健と交わした会話は3回だけだったと振り返る。最初の会話では、森谷司郎より先に木村が「OK」と言うことを高倉が不思議がったという。木村の「映像としてはOK」という判断と、監督の演技判断は別だと説明したのが、後に多くの作品で組む二人の出会いだった。
木村大作は本作で、「撮影」の名前を一枚のタイトルとして表示された。国立映画アーカイブの座談会で木村は、撮影担当を一枚タイトルで出したのは日本映画では初めてだったと回想している。「日本初」は本人の証言として伝えるにとどめ、全映画のクレジット調査を終えた確定記録とは区別する。
『八甲田山』には公開時の169分版とは別に、公開時に削られた場面を復元した「完全版」がある。東京都写真美術館が上映した35mmニュープリントは172分と案内された。配信・放送・ソフトで見かける尺の違いを、単なる表記揺れと決めつけない方がよい。
公開から41年後の4Kデジタルリマスターでは、当時撮影を担当した木村大作が映像監修に戻った。日本映画放送の発表によれば、ネガを1コマずつ整え、俳優の表情が読み取りやすい画に仕上げた。後年の高精細化は単純な解像度アップではなく、撮影者自身の再判断を伴う作業だった。
北大路欣也が演じる神田大尉の「天は我々を見放した」は、劇中の台詞であると同時に公開時の宣伝コピーにも使われた。東映の映画史資料では、本作の1977年度配給収入を25億900万円と記録し、邦画の第1位に置いている。これは映画館の総売上を指す「興行収入」ではなく、当時の配給収入である。