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1977年公開で、山田洋次がピート・ハミルの新聞コラムを朝間義隆と脚色し、舞台を北海道へ移して作った松竹作品である。網走から夕張まで各地を巡るロケーション撮影が行われ、物語の順番に沿う「順撮り」を採用した。映画初出演だった武田鉄矢の証言によれば、アドリブは認められず、一見簡単な場面でも10回から20回のテイクを重ねる現場だったという。完成作は第1回日本アカデミー賞をはじめ、キネマ旬報、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞など同年度の主要賞を席巻した。公開時の単独配給収入は具体的な公表値を確認できないため、後年の推定額を確定数字としては扱わない。幸福を撮るにも、北海道を横断し、映画初出演の新人を何度も撮り直す程度の不幸福は必要だったようだ。
原作は米国のジャーナリスト、ピート・ハミルがニューヨーク・ポスト紙に書いたコラムである。山田洋次と朝間義隆は、帰還を許す印として黄色い布を掲げるという核を残し、物語を北海道の道路へ移した。短い逸話を、失恋した若い男女と出所した男が同じ車で進むロードムービーへ広げたことで、結末へ着くまでの時間そのものがドラマになった。
参考情報:公式資料(日)
欽也役の武田鉄矢は当時演技経験がなく、先に二人へ出演を断られた後の候補だった。武田は、その一人が元かぐや姫の山田パンダだったと聞き、山田洋次が都会的な俳優ではなく、フォークソングの匂いを持つ若者を探していたのではないかと考えた。完成作で欽也の不器用さが作り物に見えないのは、演技の型をまだ持たない人物を選んだ配役と重なる。
参考情報:公式資料(日)
刑務所を出た勇作が食堂へ入り、ビール、しょうゆラーメン、カツ丼を口にする場面で、高倉健は撮影前の二日間を水だけで過ごしたと伝えられる。自由になって最初の食事を、勢いだけで荒々しく見せるのではなく、一口ずつ確かめるように食べる。空腹そのものを身体へ用意したため、台詞の少ない序盤だけで勇作が失った年月まで伝わる食事になった。
参考情報:公開資料(日)
夕張のラストを埋める黄色い布は、美術部が一枚ずつミシンで縫った。家の横に立つ鯉のぼりの竿から二本の綱を山形に下ろし、そこへ布を隙間なく並べている。倍賞千恵子は撮影前に初めてその全景を見て、想像していた木のリボン飾りとはまったく違う規模に涙が出たと回想している。
参考情報:公開資料(日)
黄色い布が青空の下で一斉にはためく光景を撮るため、夕張の現場では三日ほど天候を待った。曇天では黄色が沈み、風が弱ければ大量の布は壁のように垂れてしまう。美術部が作った静物を、青空と強い風が動く画面へ変える条件がそろうまで、ラストの撮影を進めなかった。
参考情報:公開資料(日)
再会した光枝は勇作の荷物を受け取り、その重さで少しよろめいた。高倉健が倍賞千恵子の肩を抱く動きは、台本のト書きにはなかった。二人は説明の台詞を交わさず、荷物を持つ、よろける、支えるという一連の身体の反応だけで家へ戻っていく。長い別離を埋める演技が、撮影中の小さな偶然から生まれた。
参考情報:公開資料(日)
最初に撮り終えたラストの再会は、勇作と光枝を遠くから見守るロングショットだけで構成されていた。編集の石井巌は、観客がこの瞬間に見たいのは待ち続けた光枝の顔だと主張した。その判断を受け、倍賞千恵子が勇作を見つめるアップ一カットを追加撮影した。完成版の感情の頂点は、編集室で見つかった不足を埋める撮り直しから加わった。
参考情報:公式資料(日)
公開時ポスターには大量の黄色い布だけでなく、高倉健と倍賞千恵子まで描かれ、光枝が勇作を待っている結末を隠していなかった。山田洋次は後に理由を問われ、結末が分かるだけで泣けなくなる映画にはしないという考えを示した。観客の関心を「布があるか」だけに置かず、三人が夕張へ着くまでに勇作が帰る覚悟を持てるかへ移す宣伝だった。
参考情報:公式資料(日)
1978年4月6日に開かれた第1回日本アカデミー賞で、本作は最優秀作品賞を受賞した。さらに山田洋次の監督、山田と朝間義隆の脚本、高倉健の主演男優、武田鉄矢の助演男優、桃井かおりの助演女優でも最優秀賞となった。創設初回の賞で、作品の評価だけでなく脚本と三人の演技まで主要部門を横断した。
参考情報:公式資料(日)
本作は北海道でオールロケを行い、釧路、網走、阿寒、陸別、帯広、富良野、夕張などを車の移動でつないだ。旅の背景を同じ場所で撮り分けるのではなく、雪、枯れ野、緑の異なる土地を通過している。欽也、朱美、勇作の関係が近づく時間は、赤い車が実際に進んだ北海道の距離と重ねて作られた。
参考情報:公式資料(日)
勇作と光枝が再会する夕張の撮影地は、「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」として保存されている。公開後にロケ地を訪ねる人が増え、炭鉱住宅と黄色い布の景観そのものが施設になった。映画では旅の終点だった場所が、夕張の炭鉱史と作品の記憶を伝える入口として残っている。
参考情報:公式資料(日)
旅の途中で一行が車を止めて耳を傾ける楽団は、1949年の映画と高峰秀子の歌で知られる「銀座カンカン娘」を演奏している。明るい戦後の流行歌が聞こえる一方、勇作の視線は近くに掲げられた鯉のぼりへ向かう。子どもを迎えられなかった夫婦の記憶が、陽気な曲と五月の飾りに挟まれて呼び戻される場面である。
参考情報:公式資料(日)