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機動戦士ガンダム 逆襲のシャアを配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
1988年公開の本作は、テレビ版の再編集ではないガンダムシリーズ初の劇場オリジナル作品であり、富野由悠季が監督・原作・脚本を担った。富野は2021年の回顧取材で、安彦良和が参加しないと分かっていたため、シャアを「女性が惚れる男」としてどう演出するかを考えたと語り、名作の作り手らしからぬ謙遜では済まないほど、自作を「55点」と採点している。終幕の産声は絵コンテが約5分の4まで進んでも着地点が決まらず、上映時間を延ばせないため、最後の場面から逆算して生死の流れを組み立てたという。富野はサイコフレームの扱いにも「ごまかして逃げた」と後悔を述べたが、その逃げ方まで含めて観客の記憶に残ったのだから、作り手の自己採点は興行成績ほど甘くない。後年のORICON報道は日本の興行収入を11億3,000万円と紹介する一方、資料によって別の数字や「配給収入」の表記もあり、数字の帳簿は物語の決着ほどすっきりしていない。
ガンダム初の完全オリジナル劇場映画。1988年3月12日公開の『逆襲のシャア』は、シリーズ初の完全オリジナル劇場映画として制作された。先行作の再編集ではなく、アムロとシャアの決着を宇宙世紀0093年の新しい物語として描いた。
1986〜87年の「もう少しガンダムを」から企画が動いた。内田健二プロデューサーは、1986〜87年ごろ、テレビ版『Ζ』『ΖΖ』を経ても「もう少しガンダムを」という空気があったと振り返る。具体的な発案者や日付は本人も特定しておらず、当時の制作環境についての証言として扱う。
別筋の第1稿は小説にも残った。KADOKAWAによれば、『ベルトーチカ・チルドレン』は富野由悠季の映画脚本第1稿を基に1988年に発表された。映画のギュネイに対応する人物は小説ではグラーブと呼ばれ、シャアの機体もサザビーではなくナイチンゲールである。
νガンダムの担当はデザイン競争を経て決まった。出渕裕は、複数のデザイナーが参加したコンペを経て自分が担当になったと振り返る。庵野秀明の案も見たという。後年の公式記録全集は、決定稿だけでなく永野護らのラフ案まで収録しており、設計の途中経過を伝えている。
白黒の機体には理由がある。νガンダムは、変形・合体ギミックから離れて初代ガンダムを思わせる人型シルエットへ戻る方針でまとめられた。Hobby JAPANは、白と黒の配色に大人になったアムロのイメージが込められたと解説する。フィン・ファンネルは、その簡潔な輪郭に新しさを加えた。
横に広げるだけでは劇場画面にならない。美術監督の池田繁美は、4:3のテレビ画面に慣れたままビスタサイズの背景を描くと、左右が足りなくなりやすかったと振り返る。富野監督からも画面の華やかさを求められ、劇場の横長フレームを意識して作業した。
劇場映画だけに撮影部を専有できなかった。奥井敦と古林一太は、旭プロダクションのテレビ作品と並行して本作を撮影したと振り返る。昼班・夜班の交代制でカメラと助手を組ませ、劇場版を通常の制作日程に組み込んでいた。正確なカメラ稼働台数は回想表現なので確定しない。
宇宙の爆発に煙は要らない。メカ・エフェクト作画監督の大森英敏は、富野監督から宇宙空間の爆発では煙を出したくないと注文され、光球がフェードアウトする表現を考えたと語る。劇場版の戦闘エフェクトを、テレビ版とは違う熱量で描こうとした仕事の一例である。
剣をぶつけた火花にはしなかった。大森英敏は、νガンダムとサザビーのビーム・サーベルが交わる部分を丸いエネルギーの球として設計したと語る。光が干渉し、出力差で球が消えたあとに相手を切れるという、画面上のルールまで考えていた。
同じ人が二つの名で載っている。磯光雄は、所属スタジオで作業したあと、自宅では別名義でも本作の原画を描いたと振り返る。さらに作画監督も頼まれ、最終的に「小田川幹雄」と磯光雄の両方の名がクレジットされた。
人物の首の長さにも注文があった。稲野義信は、キャラクターデザインの北爪宏幸から、外国人らしい印象のため首を長めに描いてほしいと言われたと振り返る。稲野自身は人物の芝居を修正し、顔立ちの調整は別の作画監督が担ったと説明している。
【ネタバレあり】チェーンの死は終幕から逆算された。富野由悠季は、最後に響く赤ん坊の泣き声を成立させるため、チェーンを含む人物の生死を組み立てたと説明する。絵コンテの時点で説得力に課題を感じたものの、さらに約30分必要だと考えて省略し、後年はその急ぎ足を自ら批評した。
速すぎると言われたテンポは監督の計算だった。富野由悠季は、公開当時に話が速くて分からないと周囲から言われたと振り返る。一方で、戦争ものの映画にはこのテンポが必要だと計算しており、後年見直してもその速度自体には嫌悪感がないと語った。
ベルトーチカの不在には、複数の理由があった。富野由悠季は1988年の『逆襲のシャア シネマブック』取材で、最初は『Ζ』からの流れで彼女を出すつもりだったが、結婚・長期同棲したアムロをロボットアニメの主人公にしてよいか、出資関係会社から疑問が出たと説明している。監督自身もその懸念を理解し、さらに初稿は人間ドラマが強すぎてモビルスーツを不要にする筋になったと振り返った。「スポンサーの一言で禁止」とするより、脚本上の判断も重なった変更として読むべき証言である。
女性キャラクターの描き方にも明確な意図があった。2024年の出渕裕との対談で、富野由悠季は本作の女性たちを、単に高い声でかわいらしく見せる類型に収めたくなかったと振り返った。出渕がチェーン、ケーラ、レズンの異なる振る舞いを挙げると、富野は女性を人間として描く意識が強かったと応じている。
【ネタバレあり】サイコフレームは監督にとっても苦心の装置だった。出渕裕との2024年対談で、富野由悠季は、ニュータイプや終盤の展開へ理屈をつけるサイコフレームの扱いを、劇をつなぐための「方便」と認めた。絵コンテを描いているときにも、本来はこのような意味で出したくないと感じていたという。後年の解釈ではなく、監督本人が語った制作上の迷いである。