🔍 ポップコーン探偵
‹ アーカイブへ戻る
荒野の用心棒の映画トリビア用メインビジュアル 画像は生成イメージです
NHK BS プレミアムシネマ
次回放送 10月16日(金) 13:00〜

荒野の用心棒

A Fistful of Dollars / 1964
IMDb ⭐ 7.9放送日 2026/10/16 NHK BS100分Jolly Film / Constantin Film / Ocean Films1964年
CASE FILE
探偵アイコン 探偵による映画背景メモ

1964年にイタリアで公開された本作は、セルジオ・レオーネとクリント・イーストウッドが組んだ「ドル三部作」の第1作である。テレビ西部劇『ローハイド』に出演中だったイーストウッドは、脚本が黒澤明の『用心棒』(1961)を西部劇へ移したものだと気づき、出演を引き受けた。スペインを中心とする低予算撮影で、ジーンズや帽子、葉巻は主演本人が用意し、レオーネに台詞を削るよう提案して寡黙なガンマンを形にした。ただし『用心棒』(1961)の権利をめぐって黒澤側との争いを招き、後に収入の一部と一部地域の配給権を渡すことになった。製作費は約20万ドルとされ、米国では1967年に公開され、北米の再上映を含む累計興収は約1,450万ドルに達した。衣装は主演の持ち出し、物語は日本映画の借用――西部劇の新時代は、あまり模範的とはいえない制作手順から始まったのである。

― ポップコーン探偵
この映画の トリビア!!!
28件
企画
信頼度

イーストウッドは『荒野の用心棒』の脚本を読み、黒澤明『用心棒』だと気づいた

本作と黒澤明の『用心棒』(1961)は、物語の骨格がよく似ています。

腕の立つ流れ者が、対立する二つの勢力の間へ入る。両方を操り、町の力関係を崩していく。

主演のクリント・イーストウッドは、この共通点を公開後に知ったのではありません。

出演を決める前、送られてきた脚本を読んだ段階で、『用心棒』の西部劇化だと気づいていました。[1]

・最初の返事は「やらない」

当時のイーストウッドは、テレビ西部劇『ローハイド』に出演中でした。レオーネ側からイタリア製西部劇の話が来たとき、本人はまず断ったと振り返っています。[1]

気持ちを変えたのは、脚本を読んだあとでした。

イーストウッドは、それより数年前、ロサンゼルスで外国映画を上映する映画館に入り、『用心棒』を観ていました。黒澤作品なら大きく外すことはないだろう、と選んだ一本だったそうです。[1]

・観たときから「西部劇にできる」と思った

『用心棒』を観たイーストウッドは、友人にこの話は西部劇にできると話したといいます。その場では、それ以上の話にはなりませんでした。[1]

そして数年後、イタリアから届いた脚本に、その発想がそのまま現れます。

イーストウッドは、『用心棒』の物語を西部へ移したものだと理解し、脚本を気に入り、出演を受けました。[1]

・「気づいていた」と「権利処理されていた」は別の話

ここで分けておきたいのは、イーストウッドが元作との関係に気づいたことと、正式な翻案権の処理が済んでいたことは同じではない、という点です。

完成後、『用心棒』との関係をめぐって東宝側との争いが起きました。レオーネは後年、この翻案をめぐる争いと、自分が製作会社ジョリー・フィルムに利益配分を求めた別の争いを分けて語っています。[2]

ただ、主演俳優自身は、出演前から「『用心棒』を西部劇にした物語」だと理解していたのです。

・言葉は通じなくても、映画のイメージは共有できた

イーストウッドがイタリアでレオーネに会ったとき、レオーネは英語を話せず、イーストウッドはイタリア語を話せませんでした。現場では多言語を話す通訳を挟み、演出を伝えました。[1]

二人に最初からあった共通言語は、むしろ映画だったのかもしれません。

・脚注

  1. abcdefMetrograph「The Metrograph Interview #1: Clint Eastwood」。クリント・イーストウッドが『用心棒』(1961)を初めて観たときの感想、『荒野の用心棒』の脚本で翻案だと気づいたこと、通訳を挟んだ撮影を回想している。(リンク)
  2. Cineteca di Bologna「Il trionfo in sala e il processo per plagio – Per un pugno di dollari」。セルジオ・レオーネの回想を介し、『用心棒』の翻案をめぐる争いと、レオーネ自身の利益配分をめぐる争いを区別している。(リンク)
27件 👍投票数順に表示
🃏 気軽にスワイプモードON
配役
信頼度

レオーネによれば、ジェームズ・コバーンは2万5,000ドルで出演する用意があったが、製作側は支払いを認めなかった。クリント・イーストウッドの出演料は1万5,000ドル。レオーネは『ローハイド』(1959年開始)で見た、台詞が少なくゆっくり動く姿にも惹かれていた。

衣装
信頼度

主演のイーストウッドは、衣装や葉巻を持参してイタリアへ渡った。ただし、実際に使ったポンチョはスペインで選んだものだという。撮影に入る前から全身の衣装が一式完成していたのではなく、持参品と現地で選んだ品を組み合わせて、あのガンマンの姿を作っていった。

演技
信頼度

葉巻を常習的に吸う人ではなかったイーストウッドは、小道具に選んだ強い葉巻の味を嫌っていた。その不快さが、ガンマンの不機嫌な表情には役立ったという。長い葉巻を3つに切り、場面のつながりに合わせて、長さの違うものをポケットに用意して撮影した。

脚本
信頼度

無口な主人公にするため台詞を削った。イーストウッドは、人物を言葉で説明しすぎないよう、レオーネに台詞を削ることを提案した。二人のやり取りを経て、長い説明より動作や沈黙で見せる人物像が出来上がっていった。

公開
信頼度

撮影中の題名は『Il magnifico straniero』だった。帰国したイーストウッドは、新聞で『Per un pugno di dollari』という西部劇の大ヒットを読んでも、自分の映画だと気づかなかったという。記事に自分の名前を見つけ、ようやく同じ作品だとわかった。

撮影
信頼度

撮影当初、レオーネは英語を話せず、イーストウッドもイタリア語を話せなかった。イーストウッドは、多言語を話す女性が指示を訳したと回顧している。助監督ヴァレリによれば、脚本も4言語で用意され、監督は自ら役を演じて説明したという。言葉だけに頼らず、通訳と実演で撮影を進めた。

音響
信頼度

本作は、撮影後に台詞や効果音を入れる方式で作られた。イタリア語版の主人公の声は、イーストウッドではなくエンリコ・マリア・サレルノ。1967年のアメリカ公開に向けた英語版では、イーストウッドが自分の台詞を録音し直している。

制作
信頼度

本作のクレジットには、セルジオ・レオーネの別名ボブ・ロバートソン、エンニオ・モリコーネの別名ダン・サヴィオが並ぶ。撮影監督マッシモ・ダラマーノもジャック・ダルマス名義。作品に関わった人々が、英語風の名前で紹介されていたのである。

音楽
信頼度

レオーネとモリコーネは、小学校で同じクラスにいた。本作の音楽を相談するころに再会し、昔の同級生だったと気づいたという。映画のために始まった共同作業には、子供時代のつながりがあった。

音楽
信頼度

レオーネを惹きつけたのは、モリコーネが歌手ピーター・テーヴィスのために編曲した「Pastures of Plenty」だった。その音の発想を本作へ展開し、アレッサンドロ・アレッサンドローニの口笛、エレキギター、コーラスが響く、ひときわ特徴的な主題曲が生まれた。

音楽
信頼度

【ネタバレあり】終盤の決闘で、レオーネは『リオ・ブラボー』(1959)の曲に似た響きを求めた。モリコーネは、そのまま使うなら仕事を降りると反発し、自作の子守歌を作り替えた。トランペットの重厚な演奏を加え、監督の欲しい迫力と、自分の曲であることを両立させたという。

音楽
信頼度

レオーネはトランペットにニニ・ロッソを望んだが、モリコーネはミケーレ・ラチェレンツァを推した。ロッソの契約や忙しさもあり、最終的にラチェレンツァが演奏した。作曲家の望む奏者が、本作の力強いトランペットを担うことになった。

美術
信頼度

助監督トニーノ・ヴァレリの回顧によれば、建築家カルロ・シーミは、製作会社の事務所で美術案を見て、その場で別案を描いた。太い木の梁が支える天井を描いたスケッチがレオーネを驚かせ、美術担当に起用されるきっかけになったという。

撮影
信頼度

助監督ヴァレリは、撮影監督ダラマーノが、2本の送り穴分を使う横長の撮影方式テクニスコープに合わせ、極端に近い顔の撮影を考えたと回顧している。細かな表情を失わないための工夫が、レオーネ作品を象徴する顔の大写しに結びついたという。

美術
信頼度

本作の町サン・ミゲルは、マドリード地方のオヨ・デ・マンサナレスにあったゴールデン・シティの西部劇セットで撮られた。ロホ家の屋内にはマドリードの建物、川の場面にはアルベルチェ川も使われている。アメリカ国境の町を、一つの実在の町だけで撮ったわけではない。

タイトル
信頼度

タイトルデザイナーのイジニオ・ラルダーニは、それまで映画のポスターや予告編などを手がけていた。本作は、ラルダーニにとって初めての映画タイトル制作だったという。息子アルベルトによれば、レオーネは予算がないことを伝える一方、タイトルの作り方をラルダーニに任せた。

別版
信頼度

アメリカのテレビ放送用には、後からプロローグが撮り足された。追加場面を監督したモンテ・ヘルマンによれば、テレビ局は主人公の行動に正当な理由を与えたがっていた。ヘルマンは、レオーネの了承を得てこの場面を作ったと述べている。

別版
信頼度

ナバホ語版を企画したナバホ・ネーション博物館の館長マニュエリト・ウィーラーは、本作なら先住民の誤った描写を訳す問題を避けられ、砂漠の風景も言語の感覚になじむと説明した。好みの西部劇を訳すだけでなく、若い世代が楽しみながら言葉に触れる作品として選んだのである。

修復
信頼度

2014年の修復では、撮影時のテクニスコープ・ネガを4Kで読み取った。その際、液体でフィルムの表面の傷を目立ちにくくする、湿式走査を使っている。色は当時のテクニカラー上映用フィルムを参照し、撮影監督エンニオ・グァルニエリが調整に協力した。

修復
信頼度

2014年の音の修復では、ウニディスとMGMが保管していた2種類の英語版の光学音声ネガを使った。さらに、音楽と効果音が入った2本の磁気素材も参照。完成版の音を一つのコピーから取り出すだけでなく、異なる音の素材を組み合わせて復元したのである。

検閲
信頼度

【ネタバレあり】本作はイタリアで、当初18歳未満の鑑賞を禁じられた。監督と製作側の申し立ての後、暴行の細部や、燃える家から出てくる男など、8か所を削除・短縮。1964年9月19日の審査記録では、18歳未満禁止が撤回されている。

制作
信頼度

イーストウッドは、テレビで演出する機会が流れ、一度は監督になることから気持ちが離れていた。本作でレオーネの仕事ぶりや欧州の制作現場を見たことが、演出への関心を再び強くしたと回顧している。主演としての転機は、将来の監督にとっても転機だった。

制作
信頼度

『用心棒』(1961)の翻案をめぐる争いについて、レオーネは、東宝側との話と、自分がジョリー・フィルムに利益配分を求めた争いを分けて語っている。後者については、長年争って弁護士費用がかかり、本作から自分には利益が残らなかったと回顧した。

制作
信頼度

ジョリー・フィルムの製作側は、イタリアだけでなく、西ドイツとスペインからも資金を集める計画を立てた。そのため、両国の出演者を組み込むことも企画の条件だった。ヨーロッパ各国の俳優が集まる本作の姿には、こうした共同製作の事情も関わっていた。

撮影
信頼度

イーストウッドは、ローマのスタジオで迎えた撮影初日の昼食を回顧している。スタッフと大量のスパゲティを食べ、ワインも飲んだため、午後の最初の1〜2時間は動きが鈍かったという。撮影の重大な中断ではなく、慣れないイタリアの現場での体験を、俳優自身が笑い話として語ったものである。

情報不足・要確認
信頼度

「マルパソ」という会社名は、本作への出演を「悪い一歩」と忠告した人への仕返しだった、と語られることがある。しかしイーストウッドは、1990年の会見でその話を否定した。本人によれば、もっともらしい話でも事実ではない。

情報不足・要確認
信頼度

本作の音楽はすべて撮影前に完成し、その曲に合わせて撮ったという説がある。イーストウッドはこの種の話を否定し、モリコーネは音楽の一部が映画より先だったと説明している。「一部が先」と「全部が完成済み」は違う。全曲完成説は確かな話とはいえない。

裏取り強め
有力ソースあり
未確認・噂寄り
情報不足・要確認

主な参考資料

配信で見る

荒野の用心棒はどこで配信?

荒野の用心棒を配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。

U
U-NEXT
2026-10-04確認・見放題
P
Prime Video
N
Netflix
D
DMM TV
D
Disney+
T
TSUTAYA DISCAS
情報の扱いについて
当サイトは、映画にまつわる公開情報・制作秘話・噂を収集し、信頼度を分けて掲載しています。 誤りのご指摘は お問い合わせ からお願いします。
映画の裏側、のぞいてみる?
1 / 27
← 次へ
↑ 次へ
スワイプで仕分けしよう
気になったトリビアは右へ。それ以外は左・上へ。
ぜんぶ見ました!
👍 0 件のトリビアにグッド
リストに戻って続きを読もう。