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2011年公開。角田光代の小説を読んだ成島出はすぐ映画化権を問い合わせたが、長い逃亡劇をそのまま縮めず、成人した恵理菜の視点から過去をたどる構成を提案し、奥寺佐渡子が脚色した。撮影は46日間で、小豆島を中心に行われ、途絶えていた地域行事「虫送り」も住民と制作陣の協力で撮影のために実施された。成島はエンドロールに使う小豆島の夕景を得るため約1週間粘り、永作博美は自分の撮影外にも現場を見学して、井上真央と異なる時代の感情をつないだ。完成作は第35回日本アカデミー賞で作品、監督、脚本、主演・助演女優など最優秀賞10部門を獲得した。映画化は難しいと警戒された原作が、最後には授賞式の席をほとんど誘拐してしまったのである。 ---
通常のダブル主演なら、現場で相手の表情や声を受け取りながら関係を作る。本作では井上と永作が担当する時間が離れ、二人はほとんど同じ場に立たない。その不在が、恵理菜にとって希和子が現実の相手ではなく、断片的な記憶と他人の言葉の中にいる存在であることと重なる。共演しないこと自体が母娘の演出になり、同じ小豆島の光景を別々に見る二人の距離が画面の構造へ刻まれている。
井上と永作は役の時間軸が違うため、相手の演技を現場で受ける機会がほとんどない。それでも永作は小豆島へ足を運び、井上の撮影を遠くから見た。井上には見学を知らせていなかったという。その距離は、過去の母を探す娘と、娘の現在に触れられない母という物語を思わせる。共演ではなく遠望で相手役を知るという珍しい関係を知ると、小豆島の風景が二人の時間をつなぐ第三の人物のように見える。
【ネタバレあり】希和子の逃亡はドラマとして強いが、それだけを中心にすると、幼い薫が成長後に何を抱えるかが後景へ退く。映画は恵理菜の現在を入口と出口にし、過去の映像を彼女が回復していく記憶のように配置した。永作も脚本でその視点の違いを感じたと語っている。観客が希和子へ寄せた感情を恵理菜が引き受け直す構造が見え、単純な母性賛美や誘拐犯への同情で終わらない理由が分かる。
永作博美は幼い子どもとの撮影を、予測できない反応を受けながら演じるドキュメンタリーに近い感覚だったと語っている。大人同士の芝居と違い、幼い子どもは毎回同じ動きや台詞を返さないため、撮影側がその瞬間へ合わせなければならない。永作はその予測不能さを希和子の迷いと愛情へ取り込み、薫との場面で目の前の子どもへ応答した。
出産後初の映画撮影だった永作博美は、実際の子育てで身についた子どもとの距離や待ち方が本作に役立ったと語っている。希和子は生物学的な母ではなく、許されない形で子どもとの生活を始めるため、演技を「母らしい仕草」の記号だけにはできない。目の前の子どもへ身体が先に反応する瞬間を取り込み、希和子と薫の生活を作った。
エンドロールの風景は、物語が終わった後の装飾として撮ることもできる。しかし成島監督は小豆島の夕景へ約1週間をかけ、人物たちの喪失を希望へつなぐ光を探した。本編では島が逃亡生活の幸福と、その終わりを同時に記憶する。最後の光は事件を解決しないが、観客の視線を暗闇だけに留めない。待って得た夕景が物語の最後の台詞となり、恵理菜が過去を抱えて進む余白を作ったのである。
映画のロケは地域の行事を一度だけ再現して終わることがある。本作の「虫送り」は違った。数年間途絶えていた行事を撮影のため島民と再現し、その経験が翌年の正式な復活へつながったと小豆島町が記録している。希和子と薫が火の列を歩く場面は、失われる家族の記憶であると同時に、地域が取り戻した記憶でもある。フィクションの再現が現実の継承を始めたと知ると、松明の一つ一つに別の重みが加わる。
映画賞の数だけでは作品の価値は決まらない。それでも本作の10冠は、特定の演技だけに支持が集中した結果ではなく、監督、脚本、俳優、撮影、照明、編集など複数の仕事が同時に評価された点で意味がある。二つの時間軸を混乱させず、犯罪と母性を一つの答えへ閉じないためには、全工程の均衡が必要だった。各部門が同じ感情へ向かった映画だったことが、受賞分布から見えてくる。
劇中の散髪場面で井上真央が実際に髪を大きく切り、一度で撮影したという話がある。ただし、噂の出どころや制作側の説明まではたどれなかった。そう考えると筋は通るが、今のところは決めつけない方がよさそうだ。
成島出監督が原作刊行直後に読み、すぐ映画化を希望して権利取得へ動いたという話がある。ただし、この話を支える当事者の発言や制作記録はまだ見つかっていない。そうだったのかもしれないが、事実としては言い切らない方がよさそうだ。
希和子の散髪場面では、狭い浴室の壁を外し、カメラが動ける空間を作ったという制作談がある。壁を動かせる映画用セットなら、鏡への映り込みを避けながら、髪を切る一連の動作と表情を追える。ただし、美術・撮影スタッフの証言は確認できず、画面だけではセットの構造までは分からない。そういう仕掛けだったのかもしれないと思って見直すと、滑らかなカメラ移動が少し面白く見える。
撮影初日の2010年9月23日は豪雨となり、最初の一カットを終えるまで4時間かかったという話がある。小豆島には撮影日誌の展示が残されており、そこから広まった逸話とみられる。祝祭的なクランクインではなく、雨を待ちながら一つの画を粘る時間から始まったと考えると、撮影隊と島の長い仕事の出発点が具体的に想像できる。