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1995年公開。柊あおいの漫画を宮崎駿が脚本・絵コンテ化し、『火垂るの墓』『魔女の宅急便』『おもひでぽろぽろ』で作画監督を務めた近藤喜文が、長編監督へ初めて抜擢された。スタジオジブリが宮崎・高畑以外の監督を育てる重要な試みであり、多摩丘陵や聖蹟桜ヶ丘周辺の起伏と生活感を調査して、空想世界ではない日常の風景を積み上げた。幻想場面にはジブリ作品として早い段階のデジタル合成も用いられたが、近藤は1998年に死去し、本作が唯一の長編監督作となった。次世代へ扉を開くはずの一本が、その才能を示すと同時に、あまりにも短い監督歴の全貌になってしまったのである。
近藤喜文が監督した長編映画は、結果的に『耳をすませば』だけになった。宮崎駿・高畑勲に続くジブリの柱として期待されていた人物だけに、作品の位置づけも特別だ。
監督は近藤喜文だが、『耳をすませば』では宮崎駿が脚本と絵コンテで大きく関わっている。若い監督の作品でありながら、宮崎作品らしい細部の密度も残っているのだ。
月島雫たちの暮らす街は、東京の聖蹟桜ヶ丘周辺を思わせる風景で知られる。坂道やロータリーをめぐるファンの巡礼が、作品公開後も長く続いている。
天沢聖司の声を担当した高橋一生は、当時まだ若い俳優だった。少年らしさと少し大人びた雰囲気が混ざる声が、聖司の距離感にうまくはまっている。
劇中のカントリー・ロードは、ただの挿入歌ではなく雫が自分の言葉を探すための題材になっている。歌詞を訳し直す行為そのものが、創作へ踏み出す練習になっているのだ。
雫たちは名曲をまじめに訳すだけでなく、街の現実をからかうコンクリート・ロードという替え歌も歌う。理想の田舎道ではなく、東京郊外の坂道を生きる作品らしい小ネタだ。
猫の人形バロンは、『耳をすませば』から後の『猫の恩返し』へつながる存在になった。作中の雫の物語が、現実のジブリ作品としても別方向へ膨らんだ形だ。
地球屋は『耳をすませば』で、普通の住宅街から物語の世界へ入るための境目の場所として機能している。アンティークや時計の細部が、雫の想像力を現実から少し浮かせるのだ。
柊あおいの原作に対し、映画版『耳をすませば』は雫の創作と進路の悩みをかなり強めている。恋愛だけでなく、自分が何者になりたいかを探す青春映画になった。
英題のWhisper of the Heartは、直訳ではなく作品のテーマに寄せた題名だ。日本語題の静かな感覚を、心の内側から聞こえる声として伝えるタイトルになっている。
図書館、坂道、家族の会話など、『耳をすませば』は派手な事件より生活音と距離感で青春を描く。小さな日常の密度が高いから、雫の焦りも身近に見える。
近藤喜文は『耳をすませば』の公開後、若くして亡くなった。そのため本作は、ジブリの次世代を担うはずだった監督の残された長編としても語られる。
猫の男爵でつながるため、『耳をすませば』と『猫の恩返し』の関係は後者を完全な続編として紹介することがある。関係作として楽しめる一方、雫たちの物語がそのまま続く続編と断定すると作品同士の距離感を誤解しやすい。