主な参考資料
- AFI
- Turner Classic Movies
- The Academy
- Sony Pictures
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ワーナー・ブラザースは原作舞台のブロードウェイ初演前に、最低35万ドル、将来の利益歩合、舞台の成功に応じた追加支払いを組み合わせて映画化権を取得した。オードリー・ヘプバーンは舞台版を見ずに役を作り、ニューヨークの視覚障害者支援施設で点字、杖での歩行、鏡を使わない身支度を学び、撮影中はセットと楽屋の周囲も暗くして視覚に頼らない感覚を保った。原作舞台で約20分続いた終盤の攻防は映画向けに短縮され、ジャック・ワーナーが効果を疑った場面も約900席の試写で観客の悲鳴が続いたため完成版へ残された。公開時の上映館は最後の8分に場内照明を法で許される限界まで落とし、ヘンリー・マンシーニは片方を四分音下げた2台のピアノを重ねて不安定な響きを作った。アラン・アーキンはオードリー・ヘプバーンを高く評価していたため、彼女へ残酷に振る舞う悪役を演じることが不快だったと後年に語っている。The Numbersの集計では北米興収は1,755万741ドルで、ヘプバーンは本作で5度目のアカデミー主演女優賞候補になった。
ワーナー・ブラザースは、原作舞台がブロードウェイで初演される前に本作の映画化権を取得した。契約は最低35万ドルに将来の利益歩合を加え、舞台の成功に応じて支払額が増える仕組みだった。舞台はその後373公演を重ね、映画はオードリー・ヘプバーンと製作者メル・ファーラーの企画として動き出した。
オードリー・ヘプバーンは、原作舞台でリー・レミックが演じたスージーを見なかった。ヘプバーンはレミックの演技に影響されず、映画版の人物像を自分で組み立てるためだと説明している。
オードリー・ヘプバーンとメル・ファーラーは、テレンス・ヤングを監督に望んだ。ジャック・ワーナーは『007/ドクター・ノオ』(1962)、『007/ロシアより愛をこめて』(1963)、『007/サンダーボール作戦』(1965)を撮ったヤングの予算管理を心配し、キャロル・リードも候補にしたが、最終的にはヘプバーン側の希望を受け入れた。
制作側は悪役ロートを決めるまでに、ジョージ・C・スコットとロッド・スタイガーへ出演を打診した。二人が引き受けず、製作者メル・ファーラーがアラン・アーキンを候補に挙げたことで、本作はアーキンの長編映画2作目になった。
オードリー・ヘプバーンとテレンス・ヤングは、ニューヨークの視覚障害者支援施設を訪れた。ヘプバーンは目隠しをした状態で音と触覚を使い、点字、杖での歩行、鏡を見ずに髪や化粧を整える動作を練習した。ヤングは、その訓練を撮影時の動きと画面設計へ反映した。
1967年の業界紙記録によると、オードリー・ヘプバーンは盲目を表すため不透明なコンタクトレンズを着けるよう求められたが断った。制作側は代わりにセットを暗くし、楽屋の周囲にも黒幕を置いた。ヘプバーンが撮影の合間に明るい環境へ戻らないようにして、視覚に頼らない感覚を保たせた。
本作は1967年1月15日に撮影を始め、10週間の計画を組んだ。そのうち1週間をニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに割り当て、モントリオールでも追加ロケを行い、主要撮影は4月7日にバーバンクのワーナー撮影所で終える予定だった。
原作舞台では終盤の攻防が約20分続いたが、本作は映画化にあたって大幅に短くした。制作側は舞台と同じ長さを保つのではなく、暗闇が生む緊張を映画の時間感覚へ合わせて圧縮した。
ジャック・ワーナーは本作の終盤が映画館で効くか疑っていた。制作側が約900席の劇場で試写すると、観客の悲鳴が次々に起きたため、ワーナーは場面を削らず残した。誰が何を懸念し、観客の反応が完成判断をどう変えたかが記録されている。
公開時の上映館は、本作の最後の8分に場内照明を法で許される限界まで暗くした。画面内の光が失われていく進行と映画館そのものの暗転を重ね、観客が座る空間まで演出に組み込んだ。
ヘンリー・マンシーニは本作の音楽に同型のピアノを2台使い、片方だけを四分音下げて調律した。四分音は通常の半音の半分に当たる音程で、2台を重ねると旋律がわずかにずれて聞こえる。マンシーニはその不安定な響きを、スージーの危険と観客の居心地の悪さへ結び付けた。
アラン・アーキンは、本作の悪役を演じることを嫌っていた。アーキンはオードリー・ヘプバーンを高く評価していたため、撮影で彼女へ残酷に振る舞うことに強い不快感があったと後年に語っている。役を嫌ったことと、共演者への敬意は別の問題として説明されている。
アラン・アーキンはロートを、単に大声で威圧する悪役にはしなかった。アーキンは、薬物の影響で感情が平らになった「負の中立状態」にいる人物と考え、冷たさを演技の中心に置いた。ただしアーキン自身は、その狙いが観客へ十分伝わったか確信できなかった。
オードリー・ヘプバーンは本作で5度目のアカデミー主演女優賞候補になった。後年、アメリカン・フィルム・インスティチュートは本作を「スリルを感じる映画100本」の55位に選び、暗闇を使った緊張が長く評価されていることを示した。
The Numbersの集計では、本作の北米興収は1,755万741ドルである。『ダイ・ハード』(1988)の脚本家ジェブ・スチュアートは後年、本作の閉鎖空間の緊張と『北北西に進路を取れ』(1959)の追跡劇を、自分を形作った映画として並べて語った。後続作の直接的な原型とまでは断定できないが、限られた場所で緊張を保つ方法が脚本家の記憶に残ったことは確認できる。
アラン・アーキンの悪役は強い印象を残したが、本作でアカデミー賞候補にはなっていない。第40回アカデミー賞で本作から候補になった俳優は、主演女優賞のオードリー・ヘプバーンである。アーキン本人も後年、ヘプバーンへ意地悪をした役では候補になれないと冗談にしており、その発言を実際の候補歴と取り違えない。
本作の後、オードリー・ヘプバーンが長く映画から離れたことは事実だが、永久引退ではない。ヘプバーンは約9年後に『ロビンとマリアン』(1976)で映画へ復帰し、その後も出演作を残した。「本作が最後の映画」という説明は、長い活動休止を引退と取り違えている。