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1962年公開。1961年秋に発売され、同年11月から翌年1月まで国内音楽誌のランキング首位を走った坂本九の同名曲を、水の江滝子のプロデュースで日活が映画化した歌謡青春映画である。撮影記録では1962年2月初旬に日活撮影所へ入り、同月15日頃から築地市場などでロケを行い、3月4日には公開されており、ヒット曲の熱が冷めないうちに映画へ仕立てる当時の速度がよく分かる。舛田利雄監督の下、坂本本人に加えて浜田光夫、高橋英樹、吉永小百合ら日活の若手を集め、勝鬨橋、晴海埠頭、上野駅など東京の実景を使って、曲の人気を若者群像へ広げた。結果は1962年の映画配給収入ランキングで7位に入り、レコードの成功を映画へ移す興行上の狙いもきれいに当たった。涙をこぼさぬため上を向く歌を、会社は売上をこぼさぬうちに映画化したわけで、青春の感傷にも公開日はきっちり設定されていたのである。
「上を向いて歩こう」がヒットすると、一社だけでなく複数の映画会社が映画化へ名乗りを上げた。その競争を制したのが、水の江瀧子プロデューサーの日活である。楽曲の物語をそのまま再現するのではなく、坂本九と日活青春スターを集めた群像劇へ組み直した。一曲の人気が会社間の企画競争を起こしたことが、この映画の出発点だった。
坂本九公式年譜には、1962年2月6日と7日に日活映画『上を向いて歩こう』を撮影した記録が残る。日活公式の公開日は3月4日であり、少なくとも坂本九の撮影から封切りまで一か月に満たない。撮影、現像、編集、宣伝を短い間隔で進め、まだ熱いヒット曲を劇場へ届けたのである。完成作の若々しい速度感は、企画だけでなく実際の製作日程にも重なって見える。
公開48日前の1962年1月15日、NHKは永六輔作、中村八大音楽、坂本九出演の同名ミュージカルドラマを放送していた。同じ歌から生まれた映像作品は、日活映画が最初ではない。映画は別の物語とスタッフで、人気曲を映画館向けの青春群像へ作り直したのである。一曲がテレビと映画でほぼ同時に別作品へ枝分かれした時代の勢いが見える。
脚本は山田信夫が担当し、永六輔は台詞協力として参加した。歌の作詞者が、そのまま映画全体の脚本を書いたわけではない。中村八大は音楽を、坂本九は主演と歌を担い、元の曲を生んだ三人が映画では別々の役割へ配置されたのである。クレジットを追うと、ヒット曲の映画化が単純な物語化ではなく、言葉、音楽、演技を分業し直す作業だったと分かる。
坂本九は本人役で歌だけを披露するのではなく、少年鑑別所から逃げ出した河西九という人物を演じる。役名にも「九」を残しながら、スター本人の経歴とは異なる傷を抱えた少年へ変えたのである。歌手の知名度を観客の入口にしつつ、物語の中では更生と仲間を求める一人の登場人物として動かす。名前を知って見ると、本人と役柄が重なる距離を意識できる。
『上を向いて歩こう』は単独興行だけで評価されたのではなく、石原裕次郎と浅丘ルリ子の『銀座の恋の物語』と二本立てで公開された。坂本九公式年譜は、この組み合わせを大ヒットと記録している。二つの大ヒット曲を核にした映画を一度に見せる番組編成であり、当時の観客は若者の群像と都会の恋を同じ入場券で体験したのである。
坂本九公式年譜によれば、クレジットは前年に日本公開された『ウエスト・サイド物語』(1961)風として話題になった。舛田利雄が取り入れたのは、若者の群像やアクションだけではない。流行歌を軸にした日本の青春映画が、同時代の海外ミュージカルの見せ方を意識していたのである。題名と名前の出し方から国際的な流行を取り込んだ点に注目すると、冒頭から映画の野心が見える。
題名から穏やかな歌謡映画を想像すると、少年鑑別所からの脱走や追跡に驚かされる。坂本九公式年譜は、舛田利雄監督が本作へアクションを盛り込んだと説明している。歌詞の感情をそのまま物語へ置くのではなく、行き場を失った若者たちを走らせ、身体の危機として青春を見せたのである。冒頭の逃走を見直すと、監督の得意分野が歌謡映画の速度を決めている。
日活公式が挙げるロケ地には、勝鬨橋、晴海埠頭、東京大学校庭、上野駅が並ぶ。物語の東京は、スタジオに作った抽象的な都会だけではない。運送店で働く若者、大学を目指す若者、地方と都会を行き来する人々を、1962年の実在する交通と労働の場所へ置いたのである。背景を追うと、東京オリンピック前の街並みが青春物語と同時に保存されている。
坂本九の河西九に、浜田光夫の良二、高橋英樹の健、吉永小百合の紀子を組み合わせ、それぞれに更生、音楽、家族、進学の問題を持たせた。主演歌手ひとりを中心に脇を固めた映画ではない。日活の若い顔を一つの共同体へ集めた配役である。誰が歌を受け持つかだけでなく、誰が働き、学び、支えるかを追うと、スター総出演が群像設計として機能している。
主題歌の作曲者・中村八大が本編の音楽も担当し、物語全体の感情を同じ作曲家の音でつないだ。映画はヒット曲を一度流して終わる作品ではない。一曲の旋律世界を九十二分の映画へ広げた形である。歌が始まる瞬間だけでなく、若者が走る場面、働く場面、迷う場面の伴奏を聞くと、主題歌と劇伴が別々の商品ではなく、一続きの設計になっている。
挿入歌「あの娘の名前はなんてんかな」も、永六輔が詞を書き、中村八大が作曲し、坂本九が歌っている。映画で坂本九が歌うのは題名曲だけではない。六・八・九の三人が、世界的に知られる一曲とは別の歌でも映画を支えたのである。主題歌だけを待って見るのではなく、もう一曲がどの人物と場面へ置かれるかを追うと、映画独自の音楽構成が見える。
現在は「米国で1位になった曲の映画化」と考えやすいが、順序は逆である。日活映画は1962年3月4日に公開され、楽曲が「スキヤキ」として米国の主要チャートで1位になったのは1963年6月だった。世界的成功を予告する前の国内映画なのである。海外での伝説をいったん外して見ると、日本で流行していた同時点の若者像と東京が封じ込められている。
「上を向いて歩こう」と聞けば、海外題「スキヤキ」を思い浮かべる人は多い。しかし確認できる公式記録で「スキヤキ」と改題されたのは楽曲であり、1962年の日活映画を同名で海外公開した記録とは別である。曲の世界的な別名を映画題へそのまま移さないことが重要だ。映画を紹介するときは、後年の同名企画や2026年作品とも区別する必要がある。
姉妹篇『ひとりぼっちの二人だが』のDVDと、中村八大の日活映画音楽をまとめたCDを加えた三枚組である。2011年、日活発売・ハピネット販売のDVDスペシャル・コレクションは、『上を向いて歩こう』だけを一枚に収めた商品ではなかった。CDには「上を向いて歩こう」の幻の4番を含む音源も収録された。映画と歌を分けずに保存する版として、作品の成り立ちを商品構成そのものが説明している。