1985年公開で、独立プロダクションのディレクターズ・カンパニーが製作し、東宝と日本アート・シアター・ギルドが共同配給した作品である。脚本は同社の公募コンクールで準入選した加藤祐司の作品を基にしており、旧来の撮影所とは別の入口から企画が立ち上がった。相米は広い画面の長回しを軸に、若い出演者を集団で動かして感情が崩れていく瞬間を切らずに撮影し、オーディションへ「落ちるつもり」で来たという工藤夕貴まで採用した。作品は第1回東京国際映画祭ヤングシネマ部門の大賞を受賞し、2023年には4K修復版がニューヨークで世界初上映されるなど、公開後も再評価が続いている。日本映画製作者連盟の1985年配給収入上位作品表には掲載されておらず、信頼できる公開資料から単独の最終配給収入は確認できない。台風を待つ映画だったが、評価の追い風が本格的に吹くまでには四十年近くかかったのである。
加藤祐司の『台風クラブ』は、ディレクターズ・カンパニーが1983年に行った脚本公募で準入選となり、映画化へ進んだ。中学生が台風の接近によって日常の規則から外れていく物語は、相米慎二のために最初から用意された企画ではない。公募から拾われた新人脚本が、監督の長回しと集団演出を受けて一本の映画になった。
参考情報:資料・アーカイブ
加藤祐司の元の脚本では、物語は学校の中だけで進んでいた。相米慎二は撮影現場で、台風の目に入って風雨が弱まった瞬間に生徒たちが外へ出る場面を考えた。校舎に閉じ込められた生徒たちの混乱が、突然広い空の下へ解放される構成は、完成稿をそのまま撮った結果ではなく現場で追加された。
参考情報:公開資料
雨も暴風も現場で人工的に作った。散水ホースと大型送風機を使い、木一本を激しく揺らすために5、6人が付いた。近くの劇団からも人を集めて画面外で枝や幹を動かし、機材と人員の騒音で同時録音ができない台詞は後から別録りした。自然現象に見える一場面を、風、雨、樹木、声の別工程で組み立てている。
参考情報:公開資料
生徒役の一人が待機中に「もしも明日が…。」を歌い始めると、周囲の出演者も自然に加わった。相米慎二はその場で生まれた合唱を撮影へ取り込み、工藤夕貴が演じる理恵の歌とオカリナへつないだ。台風の夜に集団の感情が一つになる音は、脚本や事前の選曲ではなく、若い出演者たちの待ち時間から生まれている。
参考情報:資料・アーカイブ
相米慎二は脚本で二つ、三つに分かれていた場面を、一つの長いショットへまとめることがあった。人物が廊下から教室へ移り、別の生徒の行動へ視線が渡ることで、カットを割らずに場面を更新していく。長回しは俳優を長く映すためだけの技法ではなく、脚本と編集の区切りを撮影現場で組み直す方法だった。
参考情報:公開資料
工藤夕貴は別の仕事を優先したくて、オーディションに落ちるつもりだったという。主役でなければ出演しない、髪も切らないと強気な条件を伝えたが、結果は理恵役での合格だった。大人の都合へ素直に従わない受け答えが、集団から一人で離れ東京へ向かう理恵の行動力と偶然重なる配役になった。
参考情報:公開資料(日)
梅宮先生役を依頼された三浦友和は、最初は自分をミスキャストだと考えた。なぜ選んだのか尋ねると、相米慎二は夢に三浦が出てきたからだと答えたという。二人は酒場で約2時間話し、三浦は出演を受けた。従来のスター像から教師役を導いたのではなく、監督の直感を対話で俳優へ渡した配役だった。
参考情報:インタビュー(日)
相米慎二の現場では、朝から俳優の稽古を続け、カメラ位置や照明の準備は動きが固まってから始めた。集団の配置と長い移動に時間を使い、撮影準備へ移るころには日が落ちてしまうこともあった。そこで無理に短いカットへ変えず、その日は撮らずに翌日へ持ち越した。撮影本数より、俳優の動きが一本につながることを優先した進め方だった。
参考情報:インタビュー(日)
出演者とスタッフが民宿で暮らす合宿形式の撮影中、三浦友和は中学生役の若い出演者たちの勉強を見る役を引き受けた。撮影のため学校を離れている間も学習を続けられるよう、年長の共演者が支えたのである。梅宮先生を演じる三浦が、カメラの外でも生徒役たちに向き合う立場になった。
参考情報:インタビュー(日)
台風の夜に男女6人の生徒が裸で踊る場面で、大西結花は肌色の衣類を着用していた。画面では身体をさらしているように見えるが、実際に何も着けず撮影したわけではない。それでも十代だった大西は、合宿形式の現場とこの場面を厳しい経験として記憶している。映像の大胆さと撮影時の処置を分けて理解できる証言である。
参考情報:公開資料
1985年に初めて開かれた東京国際映画祭で、『台風クラブ』はヤングシネマ部門大賞を受賞した。審査委員長を務めたベルナルド・ベルトルッチは、相米慎二が中学生の集団と台風を長いショットで捉えた作品を高く評価した。日本公開時の青春映画が、創設初回の国際映画祭から海外へ紹介される足場を得た。
参考情報:公式資料
4Kレストア版では、1985年の撮影時に助監督だった榎戸耕史が監修を担当した。後年のBlu-rayには関係者証言を載せたブックレットが付き、関連書籍には加藤祐司の完全脚本と工藤夕貴のインタビューが収められた。画面を高精細化するだけでなく、原脚本と現場の記憶を照らし合わせられる資料も同時に整えられている。
参考情報:公開資料