主な参考資料
- AFI
- Turner Classic Movies
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1970年公開、原題『Two Mules for Sister Sara』。企画は1966年にはジェームズ・ガーナー主演で準備されたが実現せず、ユニバーサルへ移ってドン・シーゲルが監督、クリント・イーストウッドが主演する形へ変わった。シーゲルとイーストウッドにとって『マンハッタン無宿』に続く2本目の長編協働で、メキシコ各地を約10週間かけて回り、順撮りに近い方法で撮影した。シャーリー・マクレーンと監督・主演の関係は穏やかではなかったと後年まで伝えられるが、エンニオ・モリコーネの音楽を得て、米伊西部劇の感触をメキシコへ持ち込んだ。二頭のラバを扱う題名の映画で、現場の頑固者が二人で済んだかどうかは怪しいところである。
1966年秋の段階で映画化を進めていたのは、ジェームズ・ガーナーと製作者アーロン・ローゼンバーグである。10月20日にはバッド・ベティカーが原案をローゼンバーグとキャロル・ケイスへ売却したが、ローゼンバーグはのちに撤退し、ガーナーも完成版には参加しなかった。企画はマーティン・ラッキンとユニバーサルへ移り、主演だけでなく製作と監督の枠組みまで総入れ替えになった。
バッド・ベティカーは1966年10月、自分が監督するという了解で原案をアーロン・ローゼンバーグとキャロル・ケイスへ売却した。ところがローゼンバーグの撤退後、ケイスはマーティン・ラッキン、ユニバーサルと新たな製作体制を組み、監督にはドン・シーゲルを起用した。ベティカーは契約をめぐってケイスを提訴し、完成作では脚本や演出に関与せず、「原案」のクレジットだけが残った。
バッド・ベティカーが最初に書いたのは、荒野で出会う男女の関係を中心にした恋愛劇だった。製作権が移るとアルバート・マルツが設定を組み直し、ホーガンは革命派に雇われた傭兵、サラは修道女を装う女性となり、フランス軍の要塞攻略が終盤を占めた。ベティカーは後年、完成作は自分が書いた映画ではないと明言し、友人だったドン・シーゲルにも公開翌日に率直な不満を伝えた。
『荒鷲の要塞』を撮影していたクリント・イーストウッドへ脚本を渡したのは、共演者リチャード・バートンの妻エリザベス・テイラーだった。テイラーはサラ役でイーストウッドと組むことを望み、スタジオも二人の組み合わせを承認した。イーストウッドによれば、バートンの仕事と同じ土地・時期に撮りたいという条件を満たすためメキシコ撮影も検討されたが、別の問題が生じ、計画はマクレーン起用へ移った。
エリザベス・テイラーとの共演が流れたあと、スタジオは『スイート・チャリティ』へ大きな期待を寄せていたシャーリー・マクレーンの起用へ傾いた。クリント・イーストウッドは、彼女をサラ役に置くには脚本の調整が必要で、当初の人物像にそのまま当てはめるには想像力を要したと振り返った。そのうえで、自分が理想的だと考えた女優にソフィア・ローレンを挙げている。
アルバート・マルツは1947年、下院非米活動委員会での証言を拒んだハリウッド・テンの一人としてブラックリストに載った。その後も別名などで執筆を続けたが、本作は1948年の『裸の町』以来、22年ぶりに本名が劇場映画の脚本クレジットへ戻った作品である。バッド・ベティカーの恋愛劇を、フランス占領軍とフアレス派の攻防へ大幅に組み替えた脚本が、マルツの正式な復帰作になった。
主要撮影は1969年2月3日、クエルナバカから約30マイル離れたモレロス州ココヨク近郊で始まった。現場取材が入った時点で撮影は6週目に入り、さらに4週間のロケが予定されていた。その後メキシコシティへ移って3日間の室内場面を撮影し、荒野、村、要塞をまたぐ全工程が終わったのは5月中旬だった。
撮影が進んでいた1969年4月、ユニバーサルはメキシコのサネン・プロダクションズと契約した。同社は製作費へ50万ドルを出資し、それまでアメリカ側主導で動いていた企画は、撮影の途中から正式な米墨合作になった。サネン、マルパソ、ユニバーサルという三社の製作表記は、完成後の名義調整ではなく、現場が動いている最中に成立した資金と制作の提携を示している。
製作者マーティン・ラッキンがアメリカから選んで連れてきた主要要員は、主演二人を含めて16人だった。撮影監督ガブリエル・フィゲロア、プロダクションデザインのホセ・ロドリゲス・グラナダ、メキシコ側編集のフアン・ホセ・マリーノら、画面を形作る主要部門にも現地スタッフが入った。俳優や技術者を合わせ、製作に参加したメキシコ人は1,100人に達した。
撮影監督ガブリエル・フィゲロアは、エミリオ・フェルナンデスやジョン・フォードとの仕事で培った、強い正午光と深い影の扱いを持ち込んだ。荒野を柔らかく均一に照らすのではなく、乾いた地面、白い修道服、青空、顔に落ちる濃い陰影を同じ画面へ置いた。スペインの砂漠で撮られたマカロニ・ウエスタンに近い感触を持ちながら、背景はスタジオの代用景ではなくメキシコの実景である。
本作はロケ地や出演者の都合で場面をまとめる一般的な方法ではなく、物語の進行順に撮影された。冒頭で裸のサラが襲われ、ホーガンに救われる場面も、1969年2月の撮影開始直後にすでに完了していた。その後、二人の野営、列車爆破、革命派との合流、要塞攻略へ進み、俳優はサラの正体をめぐる距離の変化を物語と同じ順番で積み重ねた。
シャーリー・マクレーンはメキシコロケの途中で肺炎を患い、ロサンゼルスへ戻って療養した。そのため撮影は数日遅れ、当初450万ドルだった予算は500万ドルまで増える見込みになった。しかも本作は物語順に撮っており、サラはほぼ全編でホーガンと行動する。撮影順を大きく入れ替える余地が少ないなかで主演女優を待つ必要があり、5月中旬まで続く工程になった。
シャーリー・マクレーンは自宅でガラガラヘビを殺した経験があり、リハーサルでは怖がる必要を感じていなかった。ドン・シーゲルは、サラの目にはホーガンの行動が危険に見えなければならないと説明したが、反応に満足できなかった。実物の撮影でイーストウッドがヘビの首を落とし、そのまま彼女へ手渡すと、マクレーンは青ざめて震えた。それでも監督の「落とすな」という指示を守り、演技では作れなかった恐怖を撮り終えるまで持ち続けた。
シャーリー・マクレーンは、ロバから降りるなら右側が正しいと考え、リハーサルでも本番でもその動きを変えなかった。だが右へ降りると、ドン・シーゲルがイーストウッドとの二人を収めるために組んだマスターショットの画面外へ出てしまう。全スタッフの前で大きな口論になり、二人とも現場を離れたため撮影は一時停止した。その後、二人だけで話し合って折り合いを付け、残りの撮影では大きな衝突が起きなかった。
サラは旅の途中で、脚を痛めたラバを村人の小型のロバへ交換する。物語上は動物の負傷が理由だが、制作上はシャーリー・マクレーンがラバの乗馬を習得できず、より扱いやすいロバへ替えるために加えられた筋だった。俳優が安全に旅の場面を続けられるよう人物の行動を変えた結果、原題の「二頭のラバ」と実際に映る動物の種類がずれた。
オープニングでは、フクロウ、魚、ウサギ、ピューマ、ヘビ、蜘蛛が前景を占め、遠くを進むホーガンは背景の小さな存在として映る。断片的な人骨まで置かれた土地を、男と二頭の動物が横切っていく。最後に馬の蹄が蜘蛛を踏むと、カメラは帽子をかぶったホーガンを青空の下へ大きく置き、荒野の生態の一部だった人物を物語の中心へ移す。
エンニオ・モリコーネのメインテーマは、3音の短いモチーフ、12弦ギターの反復、リコーダー、フルート、オカリナ、ファゴットなどを組み合わせている。その隙間へラバの鳴き声をまねた音が割り込み、奇妙な楽器の受け渡しを止めたり再開させたりする。セルジオ・レオーネ作品で確立した西部劇の音色を使いながら、題名の動物を曲の構造そのものへ入れた。
女声コーラスが歌う「et ne nos inducas in tentationem」は、主の祈りにある「われらを誘惑に導かないでください」というラテン語句である。教会オルガンを伴う柔らかな旋律として現れる一方、直後にはラバの鳴き声をまねた音や12弦ギターが割り込む。サラが見せる敬虔な修道女の外見、彼女に惹かれながら手を出せないホーガン、隠された正体を一つの言葉で結んだコーラスである。
サラの名がタイトルに出ると音楽は約10秒だけ聖歌風へ変わり、すぐにラバの鳴き声と不規則な伴奏へ戻る。同じ聖歌は、彼女が修道女姿のまま隠れて葉巻を吸う場面にも現れる。さらに彼女が酒を飲み、荒っぽい言葉を使う場面では西部劇風の音色が前へ出る。正体を台詞で明かすより前に、モリコーネは一人の人物へ「聖」と「俗」の二種類の音を割り当てていた。
題名の「二頭目のラバ」はホーガンとも読める。一方、サラはホーガンへ「私のラバと同じくらい頑固」と言い、後には「ミスター・ラバ」と呼ぶ。しかもホーガンは、彼女の正体を疑いながらも旅を続け、何度説得されても自分の取り分にこだわる。原題の二頭目は、頑固な旅の相棒へ向けた冗談として読める。
現在確認できる主な版は、米国向けの104分50秒版と国際向けの113分43秒版である。約9分の差は、歩き始める前後、村への到着、弔問する人々とのやり取りなどを数秒ずつ詰めた箇所が多い。最も目立つのは、酒場でホーガンが連絡相手を訪ね、サラと会話する場面のまとまった削除で、短縮版は要塞攻略へ向かう筋を速く進める代わりに旅の間の二人芝居が薄くなる。
キノ・ローバーが2024年に発売した2枚組は、35mmオリジナルカメラネガを4Kスキャンした国際版を、HDRとドルビービジョン対応の4K UHDへ収録した。もう一枚のブルーレイには2020年に4K修復された米国短縮版が入り、114分と105分の二つの編集を同じ商品で比較できる。国際版には新旧二本の音声解説とイーストウッドの旧インタビュー、米国版にはラジオスポット、テレビスポット、予告編が分けて収録された。
エンニオ・モリコーネの「ラバのいななき」と「シスター・サラのテーマ」は、2012年の『ジャンゴ 繋がれざる者』で再使用され、公式サウンドトラックにも収録された。前者はジャンゴとシュルツが町へ入る場面、後者はブルームヒルダが箱から出される場面に置かれる。ラバの鳴き声を含む旅の音と、サラを示す聖歌風の音が、42年後の西部劇で主人公の登場と囚われた女性へ分けて使われた。
物語の背景となるフランスのメキシコ出兵は1861年から1867年までである。一方、アルフレッド・ノーベルが各国でダイナマイトの特許を得たのは1867年で、大規模生産と国際的な普及はそこから始まった。発明年だけなら舞台末期と重なるが、メキシコの傭兵が大量の棒状ダイナマイトを入手し、列車の橋脚やフランス軍要塞へ自在に使う設定は、普及後の時代を先取りしている。
列車を爆破するため、サラが鉄橋の補強材を登る場面では、接写で茶色いブーツの足元が滑る。直後にカメラが橋の下から彼女を見上げるショットへ切り替わると、足元は黒いスニーカー状の履物に変わって見える。顔と足元を同時に見せる危険な登攀を、接写、スタント、下方アングルへ分けて撮った際の連続性のずれとして確認できる。
冒頭クレジットではシャーリー・マクレーンの名前が先に出て、クリント・イーストウッドは二番手に置かれている。『スイート・チャリティ』を大きく売り出していたスタジオの期待と、すでに一作80万ドル級の報酬を得ていたマクレーンの地位が反映された順番である。現在の再発売商品ではイーストウッドが前面に出ることも多いが、完成版のクレジットには1970年当時の二人のスター序列がそのまま残っている。
音楽がモリコーネで主演がイーストウッドのため、『真昼の死闘』をセルジオ・レオーネ作品と混同する話がある。しかし監督はドン・シーゲルで、ドル箱三部作とは別の流れの映画だ。
映画の前半イメージだけで、サラを本物の修道女として紹介する説明も見かける。しかし物語上は正体のズレが重要で、単純な修道女キャラとして扱うと作品の面白さを取り落とす。
荒野の雰囲気から撮影地をスペイン西部劇のロケ地と混同する話がある。『真昼の死闘』はメキシコ舞台の作品として語られることが多く、撮影地の断定には資料で裏を取りたい。