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角川春樹は礼儀正しく背筋を伸ばす原田知世が当時のスター像と逆向きで売れないと考え、大林宣彦と本作を原田が将来一人で見返すための「引退記念映画」として構想した。大林は原田を中学校の卒業式と高校の入学式へ出席させると決め、通常なら40日かかる撮影を28日へ圧縮した。大林が原田の小さな瞳へ光の反射を入れることを重視したため、照明部は光源をセットの高い位置へ上げ、撮影部はカメラを横へ動かすレールを床より低く敷くため床を掘った。松任谷由実が本作のために提供した主題歌「時をかける少女」(1983)は約60万枚を売り、原田の映画デビューと歌手活動を同時に押し出した。本作は『探偵物語』(1983)との二本立てで公開され、日本映画製作者連盟が記録する配給収入2,800,000,000円は二作品を組み合わせた興行の合算である。国立映画アーカイブは保存状態の良いオリジナルネガを使い、撮影監督の阪本善尚監修で全574カットの色と明るさを複数回調整し、完成時に近い色彩を再現した。
角川春樹は、礼儀正しく背筋を伸ばす原田知世の佇まいが当時のスター像と逆向きで、人気者にはならないと考えていた。そこで角川と大林宣彦は、本作を原田が将来一人で見返せる「引退記念映画」として作ることにした。結果は予想と反対になり、本作が原田の映画デビューと大きな転機になった。
大林宣彦は、原田知世を中学校の卒業式と高校の入学式へ出席させると決めた。その結果、通常なら40日かかる撮影を28日へ圧縮した。撮影の4時間前に起きる日程が続き、原田は学校生活と映画初主演を同時に守るため、短期間の現場を走り切った。
大林宣彦は、原田知世の小さな瞳へ光の反射を入れることを重視した。照明部は光源をセットの高い位置へ上げ、撮影部はカメラを横へ動かすレールを床より低く敷くため、床そのものを掘った。顔へ光を届かせる目的から、照明とカメラの高さを同時に組み替えたのである。
深夜の現場でスタッフが食欲を失うなか、原田知世は豚汁を3杯食べた。続く大事な場面の台詞を練習する前に、原田は食べたものを落ち着かせようと縄跳びをしたという。大林宣彦は後に、原田が人気者になれたのは「胃袋のおかげ」だと冗談を交えて振り返った。
原田知世は5万7千人が参加したオーディションで選ばれ、本作で映画デビューした。映画経験のない15歳を物語の中心へ置く企画は、完成後に「売れない」という当初予測を覆した。
本作は尾道の坂道、寺、路地を物語の時間感覚へ取り込んだ。大林宣彦の『転校生』(1982)に続き、『さびしんぼう』(1985)へつながる尾道三部作の第2作に数えられている。
筒井康隆の小説は、本作より前にNHKのテレビドラマ『タイム・トラベラー』(1972)として映像化されていた。国立映画アーカイブが本作を「最初の映画化作品」とする場合の「映画化」は劇場映画を指す。本作は最初の映像化ではなく、最初の劇場映画化である。
松任谷由実は本作の主題歌として「時をかける少女」(1983)を原田知世へ提供した。原田は家族そろって松任谷のファンだったため、曲を受け取ることに緊張したと振り返っている。シングルは約60万枚を売り、原田の俳優活動と歌手活動を同時に押し出した。
本作は『探偵物語』(1983)との二本立てで1983年7月16日に公開された。日本映画製作者連盟が記録する配給収入2,800,000,000円は、二作品を組み合わせた興行の合算である。本作単独の興行収入として扱うことはできない。
原田知世は本作で第8回報知映画賞の新人賞と、第7回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受けた。映画初主演作での評価が、当初「引退記念映画」とされた企画を継続的な俳優活動へ変えた。
国立映画アーカイブは、撮影監督の阪本善尚が監修する再タイミング版を制作した。再タイミングは、フィルムを焼き付ける際に色と明るさを調整する工程である。保存状態の良いオリジナルネガを使い、全574カットを複数回調整して、完成時に近い色彩を再現した。
KADOKAWAが発売した本作のDVDとBlu-rayには、劇場予告編とテレビスポットが映像特典として収録されている。現在公開されている角川シネマコレクション公式YouTubeの予告編も、1983年版の映像とクレジットを確認できる資料になっている。
「1983年版が最初の映像化」は誤り。筒井康隆の小説は、すでにNHKのテレビドラマ『タイム・トラベラー』(1972)として映像化されていた。本作は最初の映像化ではなく、最初の劇場映画化である。
「本作だけで28億円を稼いだ」とする説明には注意が必要である。日本映画製作者連盟の2,800,000,000円は、本作と『探偵物語』(1983)を組み合わせた二本立ての配給収入である。本作単独の興行収入へ読み替えることはできない。