主な参考資料
- AFI
- The Guardian
- The Academy
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1974年公開。クリント・イーストウッド主演、ジェフ・ブリッジス共演による本作は、マイケル・チミノにとって初の長編監督作であり、イーストウッドのマルパソ社が製作し、ユナイテッド・アーティスツが配給した。 それまで長編脚本の実績が限られていたチミノは、『ダーティハリー2』(1973)の脚本を手がけた後、イーストウッドを想定して書いた本作の脚本と、自ら監督する案をセットで売り込んだ。 製作は『ダーティハリー2』の終了直後に組まれ、1973年7月からアイダホ州とモンタナ州での撮影が予定され、実際にもモンタナ州グレートフォールズを主拠点に複数の町でロケーション撮影が行われた。 ブリッジスは後年、何度も撮り直すことで知られるチミノの初監督作だったが、スター兼プロデューサーのイーストウッドは通常一、二テイクを好み、本作でも二、三テイク程度で進んだと振り返っている。 興行はThe Numbersが北米2,500万ドル、Box Office Mojoが北米2,170万ドルとしており、集計値は割れるが、両者とも1974年公開作として北米で大きな数字を記録したことは共通する。 ブリッジスは翌年のアカデミー助演男優賞候補となったが、新人監督の船出も、撮影回数を決める時計を持ったスターの前では、まずは予定表どおりに走るほかなかったようだ。
マイケル・チミノは『ダーティハリー2』(1973)の脚本を手がけた後、クリント・イーストウッドを主演に想定して本作を書いた。チミノが売り込んだのは脚本だけではなく、自分で監督するという案も含まれていた。イーストウッドは脚本を買うだけでなく、長編映画を監督した経験のなかったチミノに撮影を任せた。
本作はマイケル・チミノにとって初の長編監督作だった。チミノはニューヨークでCMや企業向け映像を演出していたが、当時クレジットされた長編脚本は『サイレント・ランニング』(1972)だけだった。長編映画を一度も監督していない作り手へ、主演スター自身の製作会社が一本を任せたことになる。
クリント・イーストウッドの製作会社マルパソ社とユナイテッド・アーティスツは、1972年12月に本作の製作・配給契約を結んだ。撮影は『ダーティハリー2』(1973)の終了後に組まれ、同作で製作総指揮を務めたロバート・デイリーが本作のプロデューサーになった。新人監督を単独で現場へ放り込むのではなく、イーストウッドがすでに組んでいた製作体制の中へ迎えている。
本作の題名と二人組の原型は、ダグラス・サーク監督の『大空の凱歌』(1955)にあるとされる。同作では、ロック・ハドソン演じるライトフットとジェフ・モロー演じるサンダーボルトが、19世紀のアイルランドで英国に抵抗する義賊として登場した。チミノは二人の名前と年長者・若者の組み合わせを、現代アメリカを車で移動する金庫破りの物語へ置き換えた。
本作は1973年夏、モンタナ州グレートフォールズを主な撮影拠点にした。制作陣はウルム、ホブソン、フォートベントン、オーガスタ、ショートーなど周辺の町へ移動し、教会、道路、川沿いの風景を実在の場所で撮影した。物語の登場人物が車を乗り換えながら州内を移動するため、背景も一つの町に固定されていない。
マイケル・チミノが別の撮り方を試したくても、主演であり製作側の中心でもあったクリント・イーストウッドは、二、三テイクで十分だと判断することがあった。ジェフ・ブリッジスがもう一度演じたいと申し出ると、チミノはイーストウッドへ確認し、許可が出た時だけ追加で撮影したという。後年、一つの場面を何度も撮ることで知られるチミノの初監督作は、イーストウッドが撮影時間を管理する現場でもあった。
撮影開始の前日、ジェフ・ブリッジスは自分がライトフット役に合っていると思えず、演じ切る自信がないとマイケル・チミノへ打ち明けた。チミノは鬼ごっこの「君が鬼だ」という言葉になぞらえ、ライトフットはブリッジス本人なのだから、役から外れる動きにはならないと励ました。ブリッジスは、その言葉でもらった自信を後の仕事でも思い出したという。
マイケル・チミノは後年、自分が映画監督として仕事を続けられたのはクリント・イーストウッドのおかげだと振り返った。イーストウッドは本作で主演と製作側の責任を負いながら、長編経験のない脚本家へ監督を任せた。チミノはこの決断を、新しい撮影監督や脚本家、監督へ機会を与えるイーストウッドの性格を示すものとして語っている。
終盤でライトフットの顔の片側が下がっていく場面を撮る際、ジェフ・ブリッジスは表情だけで片目を閉じ続ける代わりに、歯科医から顔の片側へ局所麻酔を打ってもらう案をマイケル・チミノへ提案した。麻酔によって顔を実際に動かしにくくした状態で撮影したが、そのフィルムが見つからなくなったため、同じ場面をもう一度撮ることになった。完成版では、ブリッジスが麻酔を使わずに顔のまひを演じた撮り直しの映像が使われている。
ジェフ・ブリッジスはライトフット役でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。『ラスト・ショー』(1971)に続く二度目の候補で、マイケル・チミノの初監督作から生まれた唯一のアカデミー賞候補でもある。受賞したのは『ゴッドファーザー PART II』(1974)のロバート・デ・ニーロだった。
ポール・ウィリアムズが作曲・歌唱した「Where Do I Go from Here」(1972)は、サンダーボルトとライトフットが出会い、二人で車に乗り始めた後に流れる。同じ曲は終幕でも使われるが、今度は運転する人物と助手席に座る人物の位置が入れ替わっている。二人の旅の始まりと終わりを、一曲の反復で結んでいる。
本作の北米興収には、2,170万ドルと2,500万ドルという二種類の記録がある。オリジナル公開分だけを数えた数字と、後年までの累計では集計範囲が異なる可能性があるため、どちらか一方を確定値にすることはできない。少なくとも、製作費の確定額と収支まで同じ数字から断定するのは避ける必要がある。