主な参考資料
- AFI
- TIME
- Los Angeles Times
- American Cinematographer
- The Academy
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1987年公開。ユニバーサル在籍時から『アンタッチャブル』の映画化権を欲しがっていたネッド・タネンは、1984年にパラマウントの映画部門トップへ移ると、同社が保有したまま眠らせていた権利を引っ張り出し、ユニバーサルを離れたばかりのプロデューサー、アート・リンソンに企画を託した。リンソンはテレビ版の派手な暴力を再演するのではなく、より真面目で本格的な作品を目指してデヴィッド・マメットを起用したが、撮影中の改稿には本人が参加できず、ブライアン・デ・パルマが場面を組み替え、病院の予定だった銃撃戦をユニオン駅へ移して『戦艦ポチョムキン』へのオマージュに作り直した。アル・カポネ役はロバート・デ・ニーロの予定が固まらず、代役として押さえられたボブ・ホスキンスには、出演しないまま20万ドルが支払われた。制作費は約2,000万〜2,300万ドル、北米興収は7,000万ドルを超え、ショーン・コネリーには助演男優賞のオスカーまで付いた。法と秩序を描いた映画だが、その裏側は権利の掘り起こし、代役への違約金、現場改稿という、かなり典型的なハリウッドの無秩序でできていたのである。
パラマウントのネッド・タネンは、エリオット・ネスの回想録を映画化する権利の取得に数年を費やした。1984年、スタジオの責任者になると製作者アート・リンソンへ企画を託し、テレビ版の再現ではない長編映画として開発を始めた。公開の約3年前から動いた権利交渉が、企画の出発点にある。
製作者アート・リンソンは、テレビ版で人気だった派手な銃撃を大画面へ移すだけでは企画にならないと考えた。禁酒法下の捜査官を真面目で実在感のある人物として描くため、劇作家デヴィッド・マメットへ脚本を依頼した。硬質な会話と、法を守る側が手段に迷う構造は、この方針から組み立てられた。
デヴィッド・マメットの最初の脚本は、完成版よりはるかに簡潔な輪郭に近く、アル・カポネの出番もごく少なかった。製作を進める中で、ネスの捜査と対になる存在としてカポネの場面が増やされ、二人を同じ規模の公的人物として並べる構成へ変わった。悪役の存在感は初稿後に拡張されたのである。
主要撮影が始まった時、デヴィッド・マメットは別の仕事で改稿に参加できなかった。新しいロケーションや撮影上の変更が必要になると、ブライアン・デ・パルマ自身が場面を書き直した。完成版はマメットの脚本だけでなく、現場で見つかった建築と監督の映像設計によって具体化した。
1985年3月の業界報道では、エリオット・ネス役にジャック・ニコルソンの名が挙がっていた。企画はその後も動き、完成版ではケヴィン・コスナーが、経験を積みながら変わる若い家庭人としてネスを演じた。ニコルソンが正式契約した記録まではないため、「降板」ではなく初期の配役報道として扱うべき話である。
ネス役ではハリソン・フォードとメル・ギブソンも検討されたが、どちらも日程が合わなかった。ケヴィン・コスナーはスティーヴン・スピルバーグとローレンス・カスダンの推薦に加え、アート・リンソンの支持を得て選ばれた。完成された大スターではなく上昇中の俳優を中心に置いたことで、ネスの未熟さを残せた。
実在のエリオット・ネスは当時エドナ・ステイリーと結婚していたが、映画では妻をキャサリンという別人に置き換え、娘も創作した。家庭を先に見せることで、カポネの脅威が職務だけでなく生活へ迫る構造を作っている。史実と異なる家族設定は、主人公の弱さと守る対象を明確にする脚本上の変更だった。
ロバート・デ・ニーロの予定が確定しない間、製作側はボブ・ホスキンスをカポネ役として押さえた。デ・ニーロが出演できることになり、ホスキンスは画面に出なかったが、待機契約に基づいて約20万ドルを受け取った。大役の配役保険が、そのまま出演しない俳優への費用になった珍しい例である。
ロバート・デ・ニーロは舞台を終えると約10週間かけて役を準備し、体重を25〜30ポンド増やした。生え際を後退させ、カポネが利用した仕立屋の意匠を調べ、専用の衣装担当とともにスーツや絹の下着まで揃えた。外から見えない衣類までカポネに合わせる準備が、短い出演期間の前に行われた。
当時の資料では、ロバート・デ・ニーロの撮影は18日間、報酬は約150万ドルだった。撮影終盤に参加し、カポネの存在感を補うため本人の希望を受けて追加場面も書かれた。長い準備に対して現場の日数は短く、限られた出演をホテル、晩餐、法廷の強い場面へ集中させている。
アンディ・ガルシアへ最初に提示されたのは、カポネ側の殺し屋フランク・ニッティだった。脚本を読んだ彼は、ネスたちに勧誘される若いイタリア系警官ジョージ・ストーンを希望した。本人はその役を『荒野の七人』のジェームズ・コバーンに重ね、仲間へ選ばれる瞬間を持つ役として選び直した。
パトリシア・クラークソンはイェール大学を出たばかりで、本作が長編映画デビューだった。ブライアン・デ・パルマは撮影中にネスの妻の場面を増やし、出演期間を約1か月延長したという。本人は後年、その追加報酬が学生ローンの返済に役立ったと振り返っている。
美術監督パトリツィア・フォン・ブランデンスタインは、1930年代の装飾を置くだけでなく、人物を包む建築の量感と権力を重視した。シカゴ劇場の豪華な内装、ルーズヴェルト大学のオーディトリアム、ユニオン駅の大階段を使い、カポネの富、制度の威圧感、銃撃戦の距離を空間そのもので作った。
主要撮影ではシカゴ周辺の25か所以上の実在ロケーションを使った。シカゴ劇場とルーズヴェルト大学はカポネのレキシントン・ホテル、文化センターの屋上は別の建物、西側の倉庫は法廷内部として撮影された。完成版の一つのホテルや司法空間は、複数の建物を編集で接続している。
酒の密輸車を待ち伏せするカナダ国境は、モンタナ州カスケード近郊のハーディ橋で撮影された。橋から続く道が車列を一か所へ集め、騎馬警官とネス隊が両側から挟む配置を明快に見せられた。景色がカナダらしいからではなく、アクションの流れを地形で説明できる場所が選ばれた。
国境襲撃では古典的な西部劇を意識し、南北方向を基本の撮影軸にした。朝と夕方は低い太陽の横光で広い画を撮り、正午には大きなシルク布で直射光を和らげて近景へ回した。一日の太陽移動を逆光の連続へ変える工程により、長い銃撃戦の光が大きく跳ばないよう整えた。
1986年のシカゴを1930年代へ戻すには、古い車を置くだけでは足りなかった。夜景では高層ビルの蛍光灯を黒く覆い、約3ブロックの住宅街では街灯を時代に合う物へ交換し、屋根のテレビアンテナを撤去した。遮蔽が見える方向へカメラを振れないため、都市の改装は撮影可能な角度まで決めた。
撮影監督スティーヴン・H・ブラムは、明るい外景にイーストマン5247、暗い室内に5294を使い分けた。感度はそれぞれASA100相当とASA400相当で、街路の階調とホテル内部の光量を別々の素材で受け止めている。全編を一種類のネガで押し通さず、場所ごとの照明条件を撮影時に調整した。
準備段階ではマーガレット・バーク=ホワイト、アルフレッド・アイゼンスタット、アルフレッド・スティーグリッツらの写真を調べた。そこから、同じ物体が奥へ反復する構図を抽出し、黒いフォード車などを短い焦点距離で重ねた。年代物を置くことより配置のリズムで1930年代の写真感覚を作っている。
撮影方式には1.85対1ではなくアナモフィックが選ばれた。長い焦点距離で人物と背景を圧縮せず、短いレンズで周囲に広い空間を残し、建築、年代車、室内装飾を同じ画面へ入れた。1930年代は俳優の背後の飾りではなく、行動できる広さを持つ環境として撮影された。
ネスの自宅や警察側は、地味な梳毛のスーツ、白いシャツ、黒い靴がなじむ抑えた色で統一された。カポネのホテルではサテンや錦織が照明を反射し、富と過剰さを示す。二人の対立は色だけでなく、光を吸う布と返す布の違いとして画面へ組み込まれた。
アルマーニの名だけでは衣装制作を説明できない。衣装デザイナーのマリリン・ヴァンスが陣営ごとの色、形、帽子、手袋まで設計し、アルマーニ側の工場で1930年代の型を硬すぎない仕立てへ調整した。連邦側は灰色、ギャング側はキャメルや明るい青などで分けられた。
全編を懐古的な金色へ染めず、シカゴの通常場面は冷たく自然な光へ抑えた。強い暖色が現れるのは、最初の摘発を祝うイタリア料理店の夕食と終幕の夕景である。仲間がそろう時間と失った後の帰還だけを同じ金色で結び、照明を感情の記憶として使った。
ロバート・デ・ニーロはカポネを演じる際、手の動きや立ち方まで細かく作った。撮影監督はリハーサルを観察し、顔だけを切り取らず、手と全身の身体言語が読める広さを画面に残した。豪華なホテルを見せる構図は、美術紹介と同時に俳優が姿勢で権力を示す演技空間になっている。
ブライアン・デ・パルマはロケ地へスチルカメラを持ち込み、助監督やスタッフに場面を最初から最後まで演じさせて写真を撮った。人数が足りなければ人物をマーカーで描き、表情も簡単な記号で加えた。写真と手描きを混ぜた絵コンテで、立ち位置、必要な空間、撮影範囲を各部署へ共有した。
ブライアン・デ・パルマは、会話を人物の顔の切り返しだけで処理するとテレビのように見えると考えた。そこで台詞の流れを中断しない長いカメラ移動を使い、人物と建築の関係を保った。言葉の場面にも物理的な移動を与えることで、テレビ版と異なる映画の速度を作っている。
カポネの初登場は頭上から降りるカメラで、記者に囲まれた顔へ近づく。ネスの登場では記者の背後から横へ動き、会見に臨む姿を現す。二人はまだ会っていないが、報道に見られる二人の公的人物として似た規模で導入され、対決の両極へ置かれた。
横長画面で人物の周囲を見せる方針のため、極端なクローズアップはほとんど使われなかった。撮影監督が挙げた例外は、ネスと妻が親密に向き合う二つの場面である。家庭だけを顔の距離で撮ることで、捜査が進みネスが硬くなる前の柔らかさを残した。
最初の摘発を祝うイタリア料理店では、カメラが円卓の周囲を回り、ディゾルブのたびに仲間へ少しずつ近づく。食事の経過を会話の説明で埋めず、連続する円運動で関係がほどけていく時間を作った。四人がチームになる過程を、照明とカメラの距離で示した場面である。
終盤の銃撃戦は、当初の脚本では病院が舞台だった。撮影中の変更をブライアン・デ・パルマが引き受け、ユニオン駅の大階段へ移すと、『戦艦ポチョムキン』のオデッサ階段を踏まえて乳母車と銃撃を組み直した。脚本上の場所変更が、作品を代表する映像引用へ発展した。
ネスとマローンがカポネを倒す覚悟を交わす場面について、ショーン・コネリーは二人が安心して話せる場所として教会を提案した。監督と製作者はその案を採用し、信仰の空間で違法な手段へ踏み込む約束をさせた。俳優のロケーション提案が、正義と手段の矛盾を一枚の画面へ収めている。
ブライアン・デ・パルマは、警察側の勝利を示す英雄的な音楽を求めた。エンニオ・モリコーネはその調子を好まず、合計9案を作った末に、本人が最も大げさだと考えた案が選ばれたと後年語っている。作曲家の好みと監督の映画的な効果が一致しなくても、完成版に合う選択として受け入れた。
主要撮影は1986年8月18日にシカゴで始まり、モンタナを含む25か所以上を巡って13週間で終了した。当時資料が示す製作費は2000万〜2300万ドルである。街灯やアンテナの撤去、実在施設の使用、国境襲撃の大規模撮影を一つの期間へ収めた。
米国公開は当初の1987年6月5日から6月3日へ2日前倒しされた。初動は1012館で、そのうち115館に70ミリ版が用意され、初日興行収入は180万ドルを超えた。全国拡大は6月19日で、大作として映像規格と公開規模の両方を押し出している。
米国・カナダの興行収入は7,000万ドルを超え、当時の集計で1987年の成功作上位に入った。ショーン・コネリーはアカデミー賞とゴールデングローブの助演男優賞を受賞し、エンニオ・モリコーネの音楽はBAFTAとグラミー賞を獲得した。演技、音楽、美術、衣装まで評価が広がった作品である。
エリオット・ネスは連邦捜査局の捜査官ではなく、米国財務省の禁酒局で酒類取締りを担当した。選んだ捜査官たちと醸造所や密輸網を摘発したが、FBIの指揮下で動いた人物ではない。財務省系の禁酒法捜査官という所属は、映画の「連邦捜査官」という印象から抜け落ちやすい史実である。
カポネを刑務所へ送った直接の罪は禁酒法違反ではなく脱税だった。財務省のフランク・ウィルソンらが帳簿と所得の証拠を追い、1931年に有罪評決へつなげた。ネス隊の摘発は密造酒事業へ打撃を与えたが、映画の四人が脱税裁判を完成させたわけではない。
映画ではネス、マローン、ストーン、ウォレスの四人が小さな精鋭隊を作るが、実在の捜査班の氏名と構成は異なる。さらにフランク・ニッティはネスに突き落とされず、カポネ有罪後も生き、1943年に自死した。仲間の人数と悪役の最期は、長い捜査史を一本の復讐劇へ圧縮するための創作である。
マイク・フラナガンにとって本作は初めて観たR指定映画で、小学6年生の時には友人と約20分の自主リメイクまで作った。ユニオン駅の階段が『戦艦ポチョムキン』を踏まえた場面だとは知らず、映画学校で引用元を観て初めて関係に気づいたという。引用が次世代には新しい原典として先に届いた例である。
クエンティン・タランティーノは、本作の冒頭を1987年の映画で最も優れた導入として挙げ、エンニオ・モリコーネの音楽を繰り返し聴けるほどだと語ったという。頭上からカポネへ降りるショットと不穏な主題が、公開世代の異なる監督にも強く残った。制作秘話ではなく、冒頭設計の後年評価として扱う候補である。
国境襲撃で積まれた酒の箱には、赤い一枚葉のカエデを基にした現代的なカナダ意匠が見える。現在の国旗に使われる11尖のカエデ葉は1965年採用で、1930年代の密輸品には早すぎる。短い場面だが、時代美術の中に後年の国家記号が紛れたアナクロニズムである。
公開版に場面が追加・復活したという記述は流通しているが、今回確認した公式商品資料と映画機関資料では、該当場面、尺、公開地域を特定できなかった。何が戻ったのかを示せないため、別バージョン情報としては保留する。
カポネが裏切り者を宴席へ呼び、バットで襲ったという逸話は長く流通しているが、被害者数、殺害方法、カポネ本人の行為には資料間の差がある。映画は一人を狙う劇的な場面へ再構成しており、そのまま史実の再現とは言えない。
実際の脱税事件では、財務省捜査官フランク・ウィルソンらが帳簿と所得の証拠を追った。ネスの禁酒法捜査と脱税捜査は別系統であり、映画は複数の捜査を四人の物語へ統合している。
アル・カポネのバット殺害は、史実そのものというより伝説の誇張を映画が採用した可能性がある。実際の事件としては異論があり、映画的に強調された逸話として見る余地が大きい。