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1987年公開。ユニバーサル在籍時から『アンタッチャブル』の映画化権を欲しがっていたネッド・タネンは、1984年にパラマウントの映画部門トップへ移ると、同社が保有したまま眠らせていた権利を引っ張り出し、ユニバーサルを離れたばかりのプロデューサー、アート・リンソンに企画を託した。リンソンはテレビ版の派手な暴力を再演するのではなく、より真面目で本格的な作品を目指してデヴィッド・マメットを起用したが、撮影中の改稿には本人が参加できず、ブライアン・デ・パルマが場面を組み替え、病院の予定だった銃撃戦をユニオン駅へ移して『戦艦ポチョムキン』へのオマージュに作り直した。アル・カポネ役はロバート・デ・ニーロの予定が固まらず、代役として押さえられたボブ・ホスキンスには、出演しないまま20万ドルが支払われた。制作費は約2,000万〜2,300万ドル、北米興収は7,000万ドルを超え、ショーン・コネリーには助演男優賞のオスカーまで付いた。法と秩序を描いた映画だが、その裏側は権利の掘り起こし、代役への違約金、現場改稿という、かなり典型的なハリウッドの無秩序でできていたのである。
『アンタッチャブル』は人気テレビシリーズの延長ではなく、よりシリアスで実録寄りの映画として企画が進んだ。脚本にデヴィッド・マメットが起用された背景には、その方向転換の意図があったとみられる。
映画版のエリオット・ネスは、従来像よりも家庭を持つ理想主義者として再構成されている。配役候補や家族設定の変化を見ると、映画が史実再現よりドラマ設計を優先したことがうかがえる。
アル・カポネ役はロバート・デ・ニーロで固まる前に、ボブ・ホスキンス版へ進む可能性があった。最終的にデ・ニーロが参加できるようになり、ホスキンスには補償金が支払われたという。
ロバート・デ・ニーロは『アンタッチャブル』でアル・カポネを演じるため、約30ポンド増量したとされる。撮影日数は多くなかったが、役作りと存在感は作品全体に強く刻まれた。
本作のユニオン駅シーンは、映画史に残る階段の銃撃戦として知られる。だが初期形では病院が舞台だったとされ、撮影準備の過程で大胆に再設計された。
『アンタッチャブル』はシカゴの実景を大胆に生かしつつ、別の建物で史実の場所を代用する手法も多用している。とくにカポネの居所まわりは複数の建築空間を組み合わせて映画的な“神話のシカゴ”を作っていた。
本作の衣装は、ジョルジオ・アルマーニの名がクレジットに並ぶ点でも印象的である。人物ごとの色と仕立てが、善悪や階級差の見え方にまで踏み込んで設計されていた可能性が高い。
『アンタッチャブル』は実景中心の作品に見えるが、実際には光学効果の専門会社が複数クレジットされている。目立たない処理ほど時代再現の完成度を支えていた可能性がある。
本作の音楽は、エンニオ・モリコーネの代表作の一つとして語られる。アカデミー賞は逃したが、グラミー賞では受賞しており、評価の高さは公的記録にも残っている。
本作は、パトリシア・クラークソンにとって劇場映画デビューの一本でもある。本人によれば、法廷場面への追加参加が当時の生活費と学費返済を支える助けになったという。
ユニオン駅のベビーカー場面で使われた赤ん坊は、スタント部署に近い身内だった可能性がある。記録ではスタント・コーディネーターの息子が映っていたとされる。
ショーン・コネリーのマローン役は、受賞級の名演として記憶される一方、訛りだけは後年にネタ化された。絶賛と違和感が同居した珍しい受容例である。
本作には、公開直後に差し替えや復活があった可能性が示唆されている。だが今回確認できた範囲では、何が戻ったのかまでは断定できない。
アル・カポネのバット殺害は、史実そのものというより伝説の誇張を映画が採用した可能性がある。実際の事件としては異論があり、映画的に強調された逸話として見る余地が大きい。