主な参考資料
- 007公式サイト
- American Cinematographer
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1977年公開。イーオン・プロダクションズ製作の007シリーズ第10作、ロジャー・ムーア版の第3作であり、ハリー・サルツマンの離脱後、アルバート・R・ブロッコリが初めて単独で製作を担った作品である。巨大タンカー内部を収容できる撮影所が存在しなかったため、美術監督ケン・アダムの設計に合わせ、パインウッド撮影所へわずか13週間で当時世界最大の「007ステージ」を新設した。冒頭のスキー滑降はカナダ北極圏のアスガード山で撮影され、スタントマンと撮影班をヘリコプターで山頂へ運び、実際の断崖とパラシュートを使って成立させている。共同製作者を失ったブロッコリは規模を縮めるどころか撮影所から建て始めたわけで、シリーズ存続への回答としては豪快だが、経理担当には悪役の秘密基地より恐ろしかったはずである。
映画と原作が共有するのは、ほとんど題名だけである。原作はヴィヴィエンヌという女性の一人称で、アディロンダックのモーテルへ偶然ボンドが現れる小規模な犯罪劇だった。フレミングが原作の筋を映画に使うことを望まなかったため、製作陣は潜水艦、海底基地、ソ連の女性諜報員を一から組み立てた。最も自由な「原作もの」として、題名を残したこと自体が重要な企画上の制約だったのである。
準備中に長年の共同製作者ハリー・サルツマンがイーオン・プロダクションズの持分を売却し、遅延の中で予定監督ガイ・ハミルトンも離れた。巨大な007ステージを象徴とする本作は、安定した体制で膨張した大作ではない。ブロッコリはルイス・ギルバートを呼び戻し、単独製作者として初めてシリーズを背負った。体制交代の危機を最大規模の映画へ反転したことが、完成作の大きな祝祭的な勢いにもつながっている。
ルイス・ギルバートは、冒頭の雪山でボンドが倒す敵をアニヤの恋人にする設定を加えた。ボンドとアニヤの対立は、英ソのライバル関係だけで作られたのではない。観客は華麗な逃走を先に楽しんで後からその代償を知り、二人の協力には最初から復讐の期限が埋め込まれたのである。プレタイトルの勝利が終盤の脅威へ戻るため、大規模な見せ場の列にも一本の強い感情的な背骨がはっきりと通った。
ユナイテッド・アーティスツの幹部が、友人の彼女に何か小さな役はないかと尋ねたところ、ブロッコリはアニヤ役の主役へ起用する判断をした。バーバラ・バックは、最初から大規模なヒロイン選考の本命として紹介されたわけではない。脇役の相談からボンドの対等な相棒へ跳躍したのである。任務説明で二人が同時に同じ推理を口にする場面を見ると、配役の格上げが脚本上の対等さにも直結している。
製作側の助手がアメリカのテレビシリーズに出ていたリチャード・キールを見つけ、その存在感を役へ結びつけた。ジョーズ役は、巨漢を大勢並べた一般募集で決まったのではない。ほとんど台詞を与えず、金属の歯とゆっくりした動きだけで脅威を作るには、画面に入った瞬間の輪郭が必要だったのである。テレビ画面での発見が二作品をまたぐ悪役を生み、翌作にも戻って長く続く人気へつながった。
着想源は、スキーヤーが断崖から飛ぶカナディアン・クラブの広告だった。ユニオンジャックのパラシュートが開く名場面は、別の映画スタントを拡大したものではない。調べると広告自体は合成だったが、出演者リック・シルヴェスターはバフィン島なら本当にできると答えた。偽物の映像を実写で追い越すという逆転から、本物の危険を伴う007シリーズ屈指の強烈な一発が生まれたのである。
撮影班は何週間も天候を待ち、風と雲が収まった瞬間に一度だけ実行した。アスガルド山のジャンプは、成功するまで何度も飛んだ場面ではない。三台のカメラを回していたにもかかわらず、完成版に必要な落下を捉えたのは一台だけで、数分の導入が一本のネガへ集中していたのである。静かにスキーが崖を越える間は、編集では代替できない完全にむき出しの長く厳しい実時間そのものに見えてくる。
山頂へ人と機材を上げるにはヘリが必要なのに、拠点のフロビッシャー湾から目的地まで機体を飛ばせなかった。断崖上の撮影班は、近くの空港からヘリコプターで簡単に移動したのではない。そのためヘリを分解して木箱へ詰め、現地へ運んで再び組み立て、飛ぶスタントの前に飛ぶ機械を作り直す必要があったのである。画面の孤立した雪山は、過酷な物流の難しさまで含む圧倒的な実景だった。
必要な水槽、潜水艦、大人数の戦闘を収められる施設が見つからず、ケン・アダムはパインウッドに新しい恒久ステージを設計した。リパラス内部は、既存の格納庫を飾って撮ったのではない。公式記録では内部セットを含め、わずか13週間で形になり、一つの場面のために撮影所の地図を書き換えたのである。その後も「007ステージ」として大作を受け入れ続けたため、美術が建築遺産へ変わった例でもある。
当時の撮影記事によれば、007ステージには約120万ガロンの水、60万トン級タンカーの実物大部分、米英ソ三隻の潜水艦再現物、さらに数百人の出演者とスタッフが入った。リパラスの船渠が巨大に見えるのは、遠近法だけの効果ではない。模型の外観と実物大の内部を役割分担させたため、遠景の荒唐無稽さと人が走る床の重量感が最後まで切れずに極めて強固に、確かにつながったのである。
撮影班はスコットランドのファスレーン基地へ入り、実際の核潜水艦拠点でカメラを回す許可を得た。潜水艦基地の外観は、パインウッドのセットと軍艦模型だけで構成されたのではない。当時の専門誌は、同じ環境を作れば数百万ドルが必要だったと記しており、秘密基地を装うため本物の秘密性へ近づいたのである。岸壁や水面の密度が、その後の巨大な架空セットへ明確な現実の基準を与えている。
海を進む外観にはビスケー湾で撮った実在のスーパータンカーを使い、潜水艦を呑み込む異常な形と動きはデレク・メディングスの模型へ渡し、人間が戦う内部は007ステージへ移した。リパラスは、一隻の巨大模型を全場面で使った船ではない。実物・模型・建築の三つの縮尺を編集で一隻に見せたのである。船首が開いてから内部へ切り替わる瞬間ほど、技法の境界がほとんど完全に隠されている。
ナッソーの水中班は、ラマー・ボーレンの指揮で16週間にわたり撮影し、別のアクション班と第一班が各地を動く間も同時進行した。潜水ロータスの場面は、主撮影の合間に数日だけ海へ潜って足したものではない。一つの追跡に独立ユニット四か月を投入したのである。水面へ飛び込んだ車が、海中では急に静かで長い冒険へ変わるのは、撮影体制そのものが別作品級に切り替わったからでもある。
ロータスが供給した7台分のシェルは、空気砲で海へ飛ばす空車、変形の各段階、モーターで泳ぐ潜水艇、細いワイヤーで導く模型へ役割を分けられた。ボンドのロータスは、撮影現場でも一台が道路から海中へ入り、そのまま変形したわけではない。一台の連続動作を複数の専用機が演じることで、着水の乱暴さと水中の安定した運動を両立したのである。変形は機械仕掛けだけでなく、編集が完成させた錯覚でもあった。
ケン・アダムとデレク・メディングスは、実物大の水中艇を動かすダイバーを観客に見せないため、最初から車内を覗けない形へした。潜水ロータスの窓が黒いルーバーで覆われるのは、深海のまぶしさを防ぐ劇中機能だけではない。人を隠す必要が未来的なデザインへ変換されたのである。横から見ると普通の車の窓ではなく、撮影上の秘密を画面上の黒い外装そのものが封じていることが分かる。
班は当初、運転するダイバーの気泡を消すため再呼吸器を使ったが、扱いが難しく危険もあった。水中ロータスの周囲に立つ泡は、隠しきれなかった撮影ミスではない。ラッシュを見ると、むしろ泡がある方が車の動きと水の重さを自然に見せたため通常の潜水器具へ戻し、消す予定の痕跡を実在感として採用したのである。気泡は内部に人がいる秘密を隠しつつ、艇の速度と方向を鮮明に可視化している。
デレク・メディングスによれば、そこでは4分の1スケールの模型が使われた。ロータスが海へ飛び込み、最初に水中の姿を見せるショットは実物大の潜水艇ではない。その後に機能別の艇や模型へつなぐため、観客が「車が潜水艦になった」と受け入れる最初の一歩を小型モデルが担い、最初の説得を最小の車へ任せたのである。透明な海とゆっくりした動きが、模型の軽さを水の浮力へ置き換えている。
当時プロデューサー補佐として水中班にいたマイケル・G・ウィルソンが、自ら海中で多数のスチルを撮り、その一部が複数のポスターへ使われた。水中ロータスの宣伝写真は、完成映像から後で切り出した静止画だけではない。製作現場と宣伝美術を同じ人物が潜って接続したのである。映画本編とは別の角度から捉えた車の姿が、公開前に「海を走るボンドカー」という発想を世界へ一枚で伝えた。
「ノーバディ・ダズ・イット・ベター」のタイトル映像では、銃や旗や女性のシルエットだけでなく、ロジャー・ムーア本人が画面へ入る。公式記録では、ボンド役俳優がメインタイトルに登場したシリーズ初の例である。役名の記号だった人物が主演俳優の身体へ変わることで、三作目のムーアを新しいシリーズの顔として宣言した。抽象的なタイトルを見直すと、宣伝用の顔見せではなく、シルエット世界の構成要素として配置されている。
参加できないバリー自身がマーヴィン・ハムリッシュを推薦し、作詞家キャロル・ベイヤー・セイガーは映画題ではなく「ノーバディ・ダズ・イット・ベター」を曲名にした。本作の音楽は、シリーズのジョン・バリーが不在だった穴を埋める代役仕事ではない。歌詞の途中にだけ「私を愛したスパイ」を忍ばせたのである。題名を外した主題歌がボンドを表す決まり文句となり、歌、劇伴、美術がそろってアカデミー賞候補になった。
エジプト政府側の監督役が現場にいたため、ボンドは足場が崩れた直後の皮肉な台詞を撮影時には発声せず、口だけを動かして後から吹き替えたという。現地を悪く見せないための立会いをくぐり抜けた音声だけのすり替えという話である。完成版では自然な一言に聞こえるが、口元と音を意識すると、ロケ地交渉とブラックユーモアが同じ瞬間へ重なって見える。ソフトを持っている捜査員は、該当場面を聞き直し、音や台詞がこの指摘と一致するか確かめてほしい。
リパラス内部は、既存の撮影所では収まらず新しいステージまで建てた巨大空間である。ケン・アダムは光源設計を友人スタンリー・キューブリックへ相談し、人のいない日に自分の車で007ステージへ連れて行った。二人は約4時間、セット内を歩きながら光の位置を検討したという。名を伏せた助言が、奥行きの果てまで見える画面を支えていた。
ロータス・エスプリは路面をよく捉えるため、通常の走らせ方では映画的な横滑りが出にくかった。車両に同行していた技術者ロジャー・ベッカーが性能を引き出して走ると、その場で追跡場面の運転を任された。ロータス公式も、激しい走行はベッカー、寄りの画はロジャー・ムーアが担当したと記録している。車を知る技術者がスタントマンになったのである。
ボンドカー採用を求めるメーカーが製作側へ売り込むなか、ロータスは逆の方法を選んだ。車名を隠した発売前のエスプリをパインウッドの製作事務所前へ置き、質問へ答えないまま走り去ったのである。製作側が正体を追う形になり、のちに白いエスプリがボンドカーへ選ばれた。説明しない広報が、潜水する名車の入口になった。
ジョーズの金属歯は画面では無敵の武器だが、リチャード・キールにとっては長時間つけられないほど不快な装具だったという。笑顔を見せる短い瞬間ほど、本人は痛みに耐えていたことになる。鎖を噛み切る場面には甘草菓子を使ったという証言もあり、硬い殺人道具を柔らかな小道具で作る逆転がある。歯と鎖の接触を見直すと、恐怖と安全設計が同じ画面に見えてくる。
アニヤは一流の諜報員だが、マニュアル車の操作ではボンドを苛立たせる。この場面はバーバラ・バック本人も同方式の運転ができず、ロジャー・ムーアの反応が即興だったという現場説がある。能力を競い合う二人の関係へ、俳優本人の不得手が一瞬だけ入り込んだ形である。本人の証言までは確認されておらず、即興だったという現場説として伝わる。
エジプト撮影では食事の確保が難しく、英国から運んだ食材も冷却の失敗で使えなくなった。製作者アルバート・R・ブロッコリは現地で鍋や材料を集め、出演者とスタッフへ自らパスタを振る舞った。007公式にも、手製の夕食で現場の信頼を得たことが記録されている。大作を支えたのは巨大セットだけでなく一鍋の料理でもあった。
ケン・アダムの回想では、バーバラ・バックは実際の水圧が想定より強く、目の前の奔流へ本気で驚いた。アトランティスの通路へ大量の水が押し寄せる場面では、アニヤの恐怖が演技だけではなかったという。セットの物理量が俳優の表情を変えたという逸話である。本人の原音声は示されておらず、ケン・アダムの回想として伝わっている。