主な参考資料
- Directors Guild of America
- Framestore
2026年公開、原題『The Sheep Detectives』。レオニー・スワンの小説『Three Bags Full』の映画化は、プロデューサーのリンジー・ドランが脚本家クレイグ・メイジンへ原作を紹介してから、実現まで二十年近くを要した。監督には『ミニオンズ』のカイル・バルダ、脚本には『チェルノブイリ』のメイジンが組み、実写の牧場とCGの羊をなじませるため、撮影前から詳細な絵コンテと画面設計を用意した。ヒュー・ジャックマンの周囲に、ジュリア・ルイス=ドレイファス、ブライアン・クランストン、パトリック・スチュワートらの声を集めた。羊が事件を解くまでより、風変わりな企画をスタジオの会議室から生還させるほうが長い捜査だったようだ。
プロデューサーのリンジー・ドーランがクレイグ・メイジンへ原作を紹介したのは、映画公開のおよそ17年前である。ドーランは複雑な権利関係を整理するため約7年を費やし、メイジンが脚本を書いたのは公開の約10年前だった。完成した脚本も、可愛い動物映画と喪失を扱う物語が同居する独特の調子を分類できず、長く製作へ進めなかった。
長く棚上げされていた脚本を動かしたのは、MGMのコートニー・ヴァレンティである。彼女は内容を分かりやすい動物コメディへ作り替えるのではなく、この脚本のまま映画にすると判断した。フィル・ロードとクリストファー・ミラーも製作に加わり、風変わりな企画の調子を保つ体制が整った。
脚本づくりで基準になったのは、話す動物の可愛らしさから始まり、予想以上に深い感情へ届く『ベイブ』だった。メイジンは、成長した羊が大人の声で話しながら、世界の嘘や喪失を初めて知る子どものような存在になる点を利用した。動物コメディの形を借りた成長物語として設計されている。
メイジンは犯人、動機、機会、手掛かりを組み立てる作業を「数学と歯車」に近いものとして説明している。全作を読んだというアガサ・クリスティの構成を参照し、機械のように噛み合う謎解きと、喪失を受け止める感情の物語を同時に進めた。羊の勘違いによる笑いだけで事件が解決する脚本ではない。
人間の場面と羊の場面が交互に置かれる構成は、編集段階で膨らんだものではなく脚本から決められていた。原作の要素を使いながら新しい人物や障害も加え、羊が人間の嘘を学ぶ一方、警官ティムも羊から捜査の基本を学ぶ関係にした。二つの側が別々に同じ事件へ近づく群像劇である。
メイジンは、子どもだけに通じる冗談と大人だけに通じる含みを別々に挿入する方法を避けた。小さな子どもと一緒に見ても不快ではなく、大人にも使い古しと感じられない笑いを選び、年齢層を狭めない一本の調子へ揃えた。家族映画だから刺激を後から弱めたのではなく、最初から全員を同じ観客として書いた。
実写撮影中、メイジンはカナダで『THE LAST OF US』シーズン2を制作していたため現場へ行けなかった。その後は編集、羊のアニメーション、声の収録に加わり、物語の調子を保った。謎解きの伏線が密接に組まれていたため、俳優の即興は少量に留まり、完成版も脚本の流れを大きく外していない。
実写長編へ初挑戦したカイル・バルダは、アニメーション出身の絵コンテ作家10人を集め、VFXのない会話場面まで含めて全編を絵コンテにした。それらを完成尺のアニマティックへ編集し、パインウッドでの撮影開始のおよそ2週間前にスタッフ全員で上映した。現場で演技や天候が変わっても、組み直せる基準映像が先に完成していた。
羊たちは会話しているが、後ろ脚で立って歩いたり、服を着たり、親指のある手で物を扱ったりはしない。人間の耳には台詞ではなく鳴き声だけが聞こえるという規則も崩していない。人間の世界にいる本物の羊という身体的制約を守ったまま、姿勢や足踏みで性格を表現した。
フレームストアは羊が歩く、食べる、立ち止まるといった実写資料を何時間も集めた。顔だけを人間のように動かすのではなく、重心の移動、ゆっくりした歩幅、苛立ちを示す足踏みなどを全身の演技へ使った。人間側は、その現実的な動作を物語の状況に応じた感情として受け取る。
バルダは脚本を読み終えた直後、妻とともに自宅近くのオレゴン州の羊牧場へ向かった。そこで羊を撮影しながら、実写とCGを組み合わせる映画の視点や距離感を考え始めた。正式なVFX制作に入る前から、本物の羊を観察する作業が演出案の出発点になっていた。
ジョージの農場には、英国のホワイト・ポンド・ファームが使われた。そこからは地平線上に別の集落がほとんど見えず、世間から距離を置いて羊と暮らす人物像を一枚の風景で示せた。丘の上のエアストリーム型トレーラーは、夕暮れの金色の光を受けながら読み聞かせをする場所として配置された。
羊の群れを中心とするVFXはフレームストアが担当し、ロンドン、モントリオール、メルボルン、ムンバイの制作陣が約1,000カットを仕上げた。メルボルン班は感情の大きな場面を含むデジタル動物の制作で中心的な役割を担った。牧歌的な実写映画に見えるが、ほぼ全編にわたる規模の視覚効果が使われている。
プレビジュアライゼーションでは構図だけでなく、希望するカメラ移動がテクノドリー・クレーンの可動域に収まるかを技術的に検証した。物理的に撮れる部分、特殊効果で作る部分、VFXへ渡す部分を撮影前に分け、実写の機材とデジタル羊が同じ動線を使えるようにした。アニメーション出身監督のイメージを現場の装置へ翻訳する工程だった。
隣の牧草地から食肉処理場へ至る追跡場面では、霧の濃さ、新しい羊群の頭数、画面への入り方をプレビズ上で比較した。セバスチャンと牧羊犬の格闘も先に振り付け、恐怖から悲しみへ変わる瞬間に合わせてカメラの距離と動きを切り替えた。環境効果と動物の演技を別々に足すのではなく、一つの場面設計として撮影へ渡している。
多数の羊を素早く配置するため、制作陣は軽量で規模を変えやすい社内用の複製ツールを作った。群れを密集させるか疎らにするかを即座に比較でき、複製した羊の歩行周期も少しずつずらせた。同じ動きを一斉に繰り返すCG群衆ではなく、自然にばらつく群れをプレビズ段階から確認できた。
制作陣は英国各地の農場を回り、品種と気質を見ながら主役羊の参考個体を探した。ミラーズ・アークにスキャン設備を組み、シェットランド、ボーダー・レスター、スイス・ヴァレー・ブラックノーズ、子羊など、年齢と品種の異なる約50頭を記録した。CGの羊は想像だけで造形せず、実在する身体の差から組み立てられている。
ミラーズ・アークのシェットランド種の雌羊はリリー、ボーダー・レスター種のバドはクラウドの実物参考になった。モップルが遺言読み上げ会場から連れ出される歩き方には、メリノ種のサムの穏やかな歩調を個別に撮影して使った。品種の外見だけでなく、一頭ごとの歩き方まで役へ割り当てている。
CG羊は一体の基本モデルから始め、骨格、体格、毛並みの違いを加えて各役と群衆へ展開した。毛の下では共通する筋肉リグを使っているため、別の羊へ切り替えても同じ演技の仕組みを保てた。外見が異なる大群を効率よく増やしながら、動物としての身体構造を揃える方法である。
本物の羊は捕食される側の動物で、周囲を広く見るため目が頭の側面に付いている。制作陣は写実性を一部だけ譲り、観客が視線と感情を読みやすいようCG羊の目を正面寄りへ移した。毛並みや歩き方を現実に近づける一方、物語を担う顔には意図的な解剖学上の変更がある。
羊が家具や小道具へ触れる場面では、実物だけでなく同じ物のデジタル版を用意し、接触の瞬間に継ぎ目なく切り替えた。遺言読み上げ会場でモップルが枕カバーをかぶる場面は、物干しにある実物と同じ布の動きをCGで再現している。羊本体だけを合成するより、周囲の品物との接触処理が複雑だった。
家具へぶつかる羊の参考映像では、アニメーターが自宅で四つんばいになり、テーブルなどへ体を当てて倒れ方を撮影した。羊の身体を完全に再現するためではなく、視界を塞がれた体が障害物へ当たったときの勢いと家具の反応を調べる資料だった。その人間の実演を、CG羊とデジタル小道具の動きへ置き換えた。
双子の雄羊ロニーとレジーが車へ頭突きする場面は、羊をCG、車の破損を実写の特殊効果で組み合わせた。プレビズを見た特殊効果班は、フロントガラスが外へ抜け落ちず、衝撃点から割れ目だけが広がるよう事前に加工した。デジタル動物の動きが、撮影現場で壊す実物の作り方まで決めている。
テニスボールではなく頭部人形を相手に演技。現場には人形師が操作する頭部と口のある羊の人形が用意され、羊の声を担当する俳優もその場で台詞を返した。視線だけを合わせる代用品ではなく、反応を受け取れる共演相手として使われている。
ジャックマンは、友人であるプロデューサーのエリック・フェルナーから「『ナイブズ・アウト』と『ベイブ』を合わせた映画」と紹介された。クレイグ・メイジンの脚本だと知って読み始め、半分まで進んだところで出演を承諾したという。完成作の宣伝文句だけでなく、主演俳優を企画へ引き込んだ最初の説明でもあった。
リリー役のジュリア・ルイス=ドレイファスには知性と明晰さの中に弱さがあり、モップル役のクリス・オダウドには優しさと経験があるとバルダは考えた。セバスチャンには、ブライアン・クランストンの低くざらついた声と重みを求めた。知名度だけで並べず、羊の身体だけでは伝えにくい履歴と感情を声質で分けている。
物語の鍵になるオルフ(orf)は、羊や山羊に口や鼻の周囲の病変を起こす実在のウイルス感染症である。米国疾病予防管理センターも、感染した動物との接触によって人へうつる可能性がある病気として説明している。ただし、劇中でジョージが開発した治療法は物語上の創作であり、現実の治療法として受け取ることはできない。
車へ何度も頭突きする双子の雄羊は、ロニーとレジーという名である。1950〜60年代のロンドンで犯罪組織を率いた双子、ロニー・クレイとレジー・クレイを思わせる組み合わせで、乱暴者の二頭に英国犯罪史の名前を重ねた小ネタと読める。
隣の牧場の羊が「エクスキュゼ・モワ」とフランス語で応じる場面がある。羊は顔の黒いヴァレー・ブラックノーズ種で、原産地のスイス・ヴァレー州にはフランス語圏が含まれる。品種の出自を一言の台詞へ結び付けた小ネタとして読むことができる。
日本語吹替版では、ロニーとレジーの双子をダイアンの津田篤宏が一人で担当した。英語版でもブレット・ゴールドスタインが二頭を演じており、日本語版も一人二役の構造を保っている。二頭が一組で行動する性格を、同じ声の微妙な演じ分けで表す配役である。
原作はドイツの作家レオニー・スヴァンが2005年に発表したデビュー小説で、原題は物語の舞台となる村名を使った『グレンキル』である。英語版は羊を数える言葉遊びを含む『Three Bags Full』、映画版は事件を解く主役を直接示す『The Sheep Detectives』へ変わった。日本では小説と映画の双方に『ひつじ探偵団』が使われている。
眠れないときに羊を数えるという慣用表現を、終盤では羊のハム自身が眠り込む場面へ反転させている。観客が数える対象の羊が、画面内で仲間の羊を数える側へ回る視覚的な冗談である。
ロケ地にはバッキンガムシャー、ハートフォードシャー、オックスフォードシャー、サリーの各地が挙げられている。アイヴィングホーの村や丘陵、ホワイト・ポンド・ファーム、シェパートン・スタジオを組み合わせ、架空の農場と小村を作ったという。実在する複数の風景とスタジオを継ぎ合わせて、一つの田舎町に見せている。
ジャックマンは、羊飼いが眠る前に羊へ本を読み聞かせる例が実際にあると語っている。映画のジョージは探偵小説好きという設定をそこへ重ね、毎晩の読み聞かせが羊たちの捜査能力を育てる物語へつなげた。奇抜な導入に見えるが、飼育者と羊の日常的な結び付きが出発点にある。
警官ティム役のニコラス・ブラウンは、映画の羊へ感情移入した結果、メニューにラムラックがあると羊たちの声と顔を思い出し、ラム肉を食べられなくなったと話している。CGで完成する共演者だったが、撮影後の食生活まで変えるほど羊を人物として受け止めていた。
題名のインパクトから、『ひつじ探偵団』は本物の羊が推理するドキュメンタリーのように受け取られることがある。実際には動物ミステリーとしてのフィクションであり、作品の仕掛けや声の演出を混同しない方がよい。