主な参考資料
- The Academy
- Vanity Fair
- YouTube
- AFI
- Directors Guild of America
- TIME
- Library of Congress
- BFI
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1994年公開。フランク・ダラボンはスティーヴン・キングの中編を脚色し、長編監督としてはほぼ新人の立場で企画を持ち込んだが、キャッスル・ロックはロブ・ライナーが監督しトム・クルーズを主演にする可能性より、ダラボン本人に任せる約束を守った。主な撮影地となった旧オハイオ州立少年院では、蒸し暑い夏に1日15〜18時間、週6日の撮影が約3か月続き、元受刑者たちもスタッフとして現場に加わった。約2,500万ドルの製作費に対し初公開時の北米興収は約1,600万ドルと振るわなかったが、アカデミー賞7部門への候補入り、再上映、ビデオ、ケーブル放送を通じて評価と観客を増やしていった。希望を描いた名作も、まずは興行の独房から自力で脱獄しなければならなかったわけである。
フランク・ダラボンは1983年、若い映像作家へ短編の映画化権を1ドルで認める制度を利用し、『312号室の女』(1983)を30分の短編にした。スティーヴン・キングがその出来を気に入ったことで信頼関係が生まれ、脚本家として実績を積んだ後に「刑務所のリタ・ヘイワース」の長編映画化へ進んだ。
ダラボンは1987年に映画化権を得たものの、自分にはまだ準備が足りないと考え、すぐには脚本を書かなかった。『ザ・フライ2 二世誕生』(1989)などの仕事を続けながら約5年を置き、その後、レッドの回想を軸にした96ページの中編を約8週間で長編脚本へ変換した。執筆期間だけを見れば短いが、その前には監督するための待機期間があった。
ダラボンが最初に長編化しようとしたキング作品は『ミスト』(2007)だった。しかし、すでに『エルム街の悪夢3 惨劇の館』(1987)などへ関わっていたため、さらにホラーを撮ればそのジャンルだけの監督と見なされかねないと考えた。そこで先に、人物と友情を中心に置く非ホラーのキング作品を長編初監督作に選び、成功後にホラーへ戻れる道を残した。
映画化権の期限が迫り、企画を失う可能性が出たとき、ダラボンは友人の監督チャック・ラッセルに脚本を読ませた。ラッセルは原作未読のまま脚本に強く心を動かされ、他の作業を止めてでも本作へ専念し、自分で監督する権利を守るべきだと助言したという。高額の売却話が現れる前から、脚本を手放さない選択は周囲に試されていた。
脚本を読んだロブ・ライナーは、トム・クルーズをアンディ役にして自ら監督する案を考えた。生活に苦労していたダラボンには約300万ドルとされる譲渡案と、別作品を監督できる条件まで提示された。クルーズは本読みにも参加したが、新人監督へ大作を委ねることをためらったため実現せず、ライナーは会社が交わした約束を守ってダラボンの監督作として進めた。
原作のレッドは、赤みがかった髪からその呼び名が付いた白人のアイルランド系男性である。脚本を読んだプロデューサーのリズ・グロッツァーは、人種設定に縛られずモーガン・フリーマンを提案した。映画ではアンディに名前の由来を聞かれたレッドが「アイルランド系だからかも」と返し、原作設定そのものを冗談として残している。
モーガン・フリーマンは脚本を読み終えると、役名を確認する前に「どの役でもよいから出演したい」とエージェントへ伝えた。そこで初めて、依頼されているのが全編を語るレッド役だと知らされたという。人物単体ではなく脚本全体の完成度に惹かれて参加し、その声が映画の時間と感情をつなぐことになった。
アンディ役を決める過程では、トム・ハンクスやケヴィン・コスナーにも話が及んだ。ハンクスは同じ1994年公開の『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)へ進み、コスナーも出演しなかったため、最終的にティム・ロビンスが選ばれた。大スターの存在感より、考えを表に出し切らない謎の残る主人公がレッドの視点から描かれる形になった。
若い囚人トミーにはブラッド・ピットが決まっていたが、『テルマ&ルイーズ』(1991)後の急速なスター化の中で離脱した。ボグズ役はジェームズ・ガンドルフィーニが断り、最終的にギル・ベローズとマーク・ロルストンが演じた。後年なら主役級となる名前が外れたことで、脇役へ視線を奪うスター性より刑務所内の集団が保たれた。
ボブ・ガントンが所長役のオーディションを受けた時期、彼は『デモリションマン』(1993)のため頭を丸刈りにしていた。スタジオ側の懸念を解くため、かつらを用意してニューヨークでスクリーンテストを行い、すでに主演が決まっていたティム・ロビンスと撮影監督ロジャー・ディーキンスも参加したという。完成版の威厳ある所長像は、一人の配役を確かめる専用撮影を経て決まった。
ティム・ロビンスは、新人のダラボンへ大作を任せるなら、撮影部には十分な経験を持つ人物が必要だと考えた。そこで前年の『未来は今』(1994)で組んだロジャー・ディーキンスを推薦し、参加を強く求めた。主演俳優の影響力が、出番や台詞ではなく監督を支える撮影体制へ使われたのである。
ショーシャンク刑務所の外観と一部の部屋には、閉鎖後のオハイオ州立少年院跡が使われた。しかし、監房を向かい合わせに配置し、壁を動かして照明とカメラを入れる必要があったため、主要な監房棟と壁裏の通路は約30分離れた閉鎖工場内に建設した。映画の刑務所は、実在建築と巨大セットを編集で接続した一つの空間である。
オハイオ州立少年院跡は、100年以上使われた末に荒廃していた。ダラボンによれば、囚人役の俳優を乗せたバスが進入路へ到着した瞬間、約20トンに及ぶ壁の一部が道路へ崩れ落ちたこともあった。監房内部を別工場へ建てたのは撮影の自由度だけでなく、崩壊しかねない実在建築へ頼り切らないためでもあった。
オハイオ州立少年院跡は、非人道的な収容環境をめぐる訴訟の後、1990年に閉鎖された施設だった。撮影では実際に服役した人々を囚人役のエキストラとして雇い、彼らは看守の暴力や監房棟で起きた出来事をスタッフへ語ったという。画面の重苦しさには、美術だけでなく施設に残る現実の記憶も重なっている。
主要撮影は蒸し暑いオハイオで約3か月続き、1日の作業が15〜18時間、週6日に及ぶこともあった。ダラボンは日曜日に休めただけでも幸運だったと振り返り、撮影中は毎日が失敗に感じられるほどの圧力を抱えたという。画面のゆったりした時間とは反対に、現場は長時間と高温に追われる工程だった。
屋上で囚人たちがビールを飲む場面は、撮影前に録音したモーガン・フリーマンのナレーションへカメラ移動を正確に合わせる設計だった。タールはすぐ固まるため、俳優たちは塗り直しながら同じ動きを繰り返した。ようやく全要素がそろったテイクを見たスタッフが涙を流し、ダラボンはその反応を成功の目印にした。
運動場でアンディと話すレッドは、会話の間ずっと野球ボールを投げている。この場面には約9時間を要し、モーガン・フリーマンは不満を口にせず投げ続け、翌日には腕をつった状態で現れたという制作逸話が残る。台詞へ注意を向けさせるための何気ない動作が、反復撮影では身体的負担になった。
ブルックスが胸元から幼鳥ジェイクを見せる食堂場面では、鳥が決められた位置で都合よく鳴くとは限らない。そこでティム・ロビンスが鳴き声を待ち、その間へ台詞を合わせたという。完成した会話の少し不規則なテンポには、編集で消されなかった生きた鳥のタイミングが混じっている。
食堂でジェイクが幼虫を食べる場面には、動物保護団体の指示で「自然死した幼虫」を探したという逸話が広く流布している。しかし撮影時の動物使用記録には、幼鳥はハンドラーが直前に胸ポケットへ入れ、食べさせた幼虫はベビーフードで作った小道具だったと明記されている。有名な話ほど、反復回数ではなく制作記録で確かめる必要がある。
撮影監督ロジャー・ディーキンスが本作で第一に置いたのは、刑務所を象徴的に暗くすることではなく自然主義だった。空間の暗さは残しながら、物語の中心である人物を見失わない明るさを探り、レンズは主に28〜40ミリを選んだという。画面の厳しさは、暗部と顔を同時に成立させる設計から生まれている。
ディーキンスは本作の室内と屋外を、どちらもタングステン光向けのフィルムで撮影した。屋外でも通常の昼光補正フィルターを付けず、フィルムの基準感度のまま露光したという。同じ素材を内外で使いながら光の条件を受け止める方法が、刑務所の灰色と屋外の青みをつなぐ一貫した色の土台になった。
アンディが独房の穴を抜け、監房棟の裏側へ降りるとき、足首には小さな袋が結ばれている。中身は脱獄後に必要な服と書類で、ダラボンはこの袋が画面に入ることを撮影上の必須条件にした。銀行へ現れたアンディが折り目のあるスーツを着ている理由は、台詞ではなく数秒の視覚情報で先に説明されている。
アンディが石で下水管を割れば、その音を囚人や看守に聞かれるはずである。そこで映画は大きな雷鳴を待って打ち付ける動作を加え、窓外の閃光は「ライトニング・ストライクス」という照明装置で作った。美術部が用意した管には狙った箇所だけが壊れる仕掛けがあり、脚本上の音の問題を天候、照明、小道具の三つで解いた。
レッドの語りでは、アンディは悪臭の中を500ヤード進む。しかし撮影に使ったのは、柱の型などに使う厚い紙管の内側を汚し、架台へ載せた約20フィートのセットだった。両端を閉じて液体をため、アンディが懐中電灯で自分の顔と進行方向を照らすことで、短い筒を終わりの見えない通路に変えている。
下水管から出たアンディが入る小川は、もともと水位が低く、周囲の牧草地から牛も入る場所だった。美術部は数週間かけて流れをせき止め、水を増やし、俳優が全身を浸せるよう小川全体を消毒した。自然の中で偶然撮れた解放感ではなく、水位と衛生を作り直したロケ地である。
アンディが管を割ると、内部から汚水が勢いよく噴き出す。配管の専門家から「下水管はあのように加圧されない」と指摘されたダラボンは、それを承知で油圧装置による噴出を選んだと説明している。正確な配管挙動よりも、閉じた場所が破れて流れ出す脱出の勢いを優先した演出である。
下水道を抜けた後の解放は、当初もっと長い一連の動きとして考えられていた。しかし撮影時間が足りず、工程を圧縮して、アンディが雨の中で両腕を広げる場面へ絞り込んだ。多くの説明を撮れなかったことが、身体、雨、雷だけへ感情を集め、一枚で脱獄を記憶させる構図を強めた。
小川でアンディがカメラへ近づくショットは、最初の二回が予定どおりに決まらなかった。三回目、ステディカムがロビンスの揺れと逆方向へ振れ、撮影者は意図を外したと感じたが、ダラボンは身体がフレーム内で大きく動く効果を気に入った。技術上のずれを修正せず、疲労と解放の勢いとして採用したのである。
原作で囚人たちが見る作品は『失われた週末』(1945)だが、映画版はリタ・ヘイワース主演の『ギルダ』(1946)へ変更した。これによって原作題名にある女優が本編にも現れ、アンディが入手するポスター、その裏の穴、年月とともに変わる女優像が一つにつながった。単なる映画ネタではなく、題名を小道具へ変換する脚色である。
脱獄後もポスターが壁の穴を隠しているため、「内側へ入ったアンディがどう貼り直したのか」と疑問を持たれやすい。ティム・ロビンスの説明では、ポスターは四辺を固定せず上端だけを留めてあり、めくって穴へ入った後に手を離せば自然に垂れ下がる。必要なのは貼り直しではなく、カーテンのような留め方だった。
原作は、レッドがアンディとの再会を願いながらメキシコへ向かうところで終わり、会えたかどうかを示さない。ダラボンの当初脚本もバスの中の希望で閉じたが、プロデューサーのリズ・グロッツァーらは、再会するつもりなら観客にもその喜びを渡すべきだと主張した。こうして映画は希望を抱く結末から、希望が実現する海辺まで進んだ。
アンディとレッドが再会するジワタネホの海辺は、メキシコではなくカリブ海のセント・クロイ島で撮影された。ティム・ロビンスは、後日あらためて集まった「追加撮影」という記憶はなく、オハイオでの仕事を終えてそのまま島へ移動したと思うと話している。結末が後から加わった事実と、撮影自体が後日の再撮影だったかは分けて考える必要がある。
出所後のレッドには、急速に変わった1967年の社会へ適応できず、スーパー勤務や街の刺激に追い詰められてパニックを起こす長い場面があった。ブルックスと同じく塀の外で自由を恐れる過程を詳しく描いていたが、試写観客はアンディの手紙があるオークの木へ早く進むことを望んだ。そこで編集は、社会復帰の苦痛を圧縮して物語を再会へ向けた。
原作ではブルックスは養老院で静かに亡くなり、アンディの無実を知るトミーは口止めの見返りに別の刑務所へ移される。また所長は在所期間に応じて複数登場する。ダラボンはこれを、ブルックスの自殺、トミーの射殺、腐敗を一身に負うノートン所長へ組み替えた。映画の因果関係は、別々の人物と出来事を一本へ集中させている。
本作は口コミで広がる性質の映画だったが、公開時の観客には「ショーシャンク」という語が発音しにくく、題名を覚えて人へ伝えること自体が難しかった。モーガン・フリーマンとティム・ロビンスは後年、さまざまな誤発音をまねて当時を振り返っている。現在では固有名として定着した題名が、最初は口コミを止める宣伝上の壁だった。
1994年の初公開時、本作は批評面では評価されたものの、長い刑務所映画、覚えにくい題名、強力な競合作が重なり、興行は大きく伸びなかった。その後、アカデミー賞候補を受けた再公開、VHSレンタル、TNTでの反復放送が新しい観客を作った。現在の名作像は、劇場の初速ではなく家庭視聴の積み重ねで形づくられた。
本作は第67回アカデミー賞で、作品賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、録音賞、作曲賞の7部門に候補入りした。しかし同年は『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)などが強く、受賞は一つもなかった。後年の人気は、賞を獲得した結果ではなく、無冠の後に観客が増え続けた評価である。
アメリカ議会図書館は2015年、本作を文化的、歴史的、美学的に重要な映画として米国国立フィルム登録簿へ加えた。選定資料は、初公開時には商業的失敗に近かった一方、後に人気投票で上位へ定着した変化にも触れている。公開から約21年を経て、家庭で育った人気が公的保存評価へ到達した。
海辺の結末からクレジットへ続くエンドタイトル曲は、トーマス・ニューマンが一日のうちに書き、オーケストレーションを施し、録音まで終えた。朝早くから夜遅くまで作業し、本作で最後に書いた曲を最後に録音したという。長い物語を閉じる音楽は、制作の終点に立った一日の集中から生まれた。
スティーヴン・キングは本作の映画化権料として受け取った小切手を換金しなかった。完成後、その小切手を額装し、「いつか保釈金が必要になったときのために」という冗談を添えてダラボンへ送り返したという。無名時代の1ドル映画化から始まった関係は、長編の権利料を記念品へ変えるところまで続いた。
ワーナーのポストプロダクション部門は、本作を4K HDRで修復したプロジェクトとして記録している。担当欄にはフランク・ダラボン、ロジャー・ディーキンスとともに、色仕上げを担ったカラリストのジャネット・ウィルソンが明記された。4K版は画素数だけを増やした商品ではなく、35ミリ撮影の暗部と色を再構築する工程を経た版である。
レッドが石垣の下からアンディの手紙を見つける場面に使われたオークの木は、公開後「ショーシャンクの木」と呼ばれ、ファンが訪れる場所になった。2016年の強風で大きく倒れ、2017年に撤去された後、土地の所有者は残った木材をキーホルダーや栓抜きへ加工した。失われたロケ地が、持ち帰れる記念品へ形を変えたのである。
ティム・ロビンスはアンディ役の準備として、実際の独房へ入ることを望んだ。当初は3日間を想定していたが、刑務所側に勧められてまず3時間を体験すると、それだけで十分だったと振り返っている。自分の意思で退出できる体験が本当の収監と同じではないことも承知したうえで、短時間でも圧迫感が身体へ及ぶ環境を演技の手掛かりにした。
ハドリー主任刑務官を演じるクランシー・ブラウンには、実在の刑務官から役作りへの協力が申し出られた。だが彼は、暴力的で腐敗した人物を特定の職員や職業全体の写しに見せたくないとして取材を断った。現実味を増す材料を集めるのではなく、現実の刑務官と悪役を切り離す判断を選んだのである。
ダラボンは脚本で大量のナレーションを使うことに迷っていたが、『グッドフェローズ』(1990)を見直し、自作よりはるかに多いボイスオーバーが映画を動かしていることに気付いた。撮影中も同作のビデオをオハイオへ持参し、唯一の休日だった日曜に見返して、語りを削らず使い切る方針を確かめていた。
冒頭で拳銃へ弾を込める手と、監房の壁へ名前を刻む手の接写には、ティム・ロビンスではなくフランク・ダラボン監督の手が映っているという。撮影後に追加した挿入ショットなら監督が代わりに手を出すのもありえそうだが、今確認できる出典はIMDbの候補だけで、音声解説や正式なメイキングからは裏付けられていない。
所長室からオペラを流す場面では、当初のアンディは停止命令に従って音楽を切る予定だった。ティム・ロビンスは反対に音量を上げることを提案し、音楽を刑務所全体へ届けてから独房へ送られる流れへ変えた。アンディの静かな抵抗は、音を止めない演技変更によって全囚人が共有する出来事になった。
映画撮影は場所や出演者の都合に合わせて物語の順番を崩すことが多いが、本作は年代の流れに近い順で進められた。アンディとレッドが互いを知っていく時間と、ティム・ロビンスとモーガン・フリーマンが現場で関係を築く時間が並行した。撮影期間中に育った距離感を、長い友情の変化へ重ねられる構成だった。
トミーが高校卒業認定試験へ挑む場面は1966年に設定されている。机の上には、鉛筆で塗った印を機械で読み取るスキャントロン式とみられる解答用紙が置かれているが、この製品の導入は1972年以降だという指摘がある。年代物の刑務所を再現した画面へ、数年後の採点用紙が入り込んだ可能性がある。ソフトを持っている捜査員は、該当場面を一時停止し、この指摘が画面と一致するか確かめてほしい。
脱獄を振り返るレッドは、アンディが下水管を500ヤード進んだと説明し、続けて「半マイル弱」と言い換える。ところが1マイルは1760ヤードなので、500ヤードは約0.284マイルにすぎない。映像の連続性ではなく、ナレーション内の距離換算に残った小さなずれである。
脱獄場面の汚水は、チョコレートシロップとおがくずを水へ混ぜて作ったという説がよく紹介される。フランク・ダラボン自身も材料について記憶が曖昧なまま語っており、配合を記した制作記録までは確認できない。甘い材料であの下水を作ったのなら面白いが、正確な中身としては言い切らない方がよさそうだ。
アンディの監房番号237は、『シャイニング』(1980)のオーバールック・ホテル237号室への目配せだという説がある。どちらもスティーヴン・キング原作なので連想は自然だが、フランク・ダラボンや美術部が意図を語った記録は確認できていない。数字が一致して見えても、今のところは粋な偶然かもしれない。