主な参考資料
- AFI
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1987年公開。音響監督の斯波重治が、声優でありアクション経験も持つ千葉繁を俳優として撮る企画を押井守へ持ち込み、押井の実写長編監督デビュー作として膨らんだ。千葉のほか田中秀幸、玄田哲章らアニメ畑の仲間が顔を出し、伊藤和典との脚本から、のちに「ケルベロス・サーガ」と呼ばれる世界が立ち上がった。全編の大半を占めるモノクロームは単なる低予算の言い訳ではなく、題名どおり赤を画面上の事件にするための設計で、35ミリフィルムの色彩を意図的に絞っている。ひとりの声優をカメラの前へ連れ出す企画は、結局120分の奇妙な作家映画へ育ち、現場で最初に粛清されたのは企画の慎ましさだったらしい。
音響監督の斯波重治が最初に持ち込んだのは、千葉繁のファンクラブ向けに詩の朗読やショートドラマを収録するLP企画だった。押井守と伊藤和典が参加すると、「映像も付けよう」「35mm映画にしよう」と話が拡大した。音声商品から116分の実写長編へ変貌したことが、本作の異例な成り立ちである。
映画化を提案した時点で、押井守が考えていたのは録音スタジオだけでも撮れる小さな物語だった。声優の男が仕事を終えると、モデルガンを持って正義の味方として走り回るという構想である。そこから特機隊、プロテクトギア、変貌した東京を抱える約2時間の異世界まで企画が拡大した。
撮り上がった作品は約150分近い長さになり、そこからおよそ30分以上を削って116分へまとめられた。そもそもファンクラブ向けLPから始まった企画であり、映画化の段階でも小品が想定されていた。編集で縮めた後にも2時間近い長編が残ったこと自体が、企画の膨張を物語っている。
千葉繁は声優として知られる前に、顔出しの俳優やスタントマンとして活動していた。押井守はその経歴を知り、「役者として出てもらえば面白い」と実写企画を進めた。都々目紅一の走り、転倒、格闘、拷問までを支えるのは、声の人気だけではない身体を使った演技経験である。
アニメ制作の仲間たちが実写の出演者になった。鷲尾真知子、田中秀幸、玄田哲章、兵藤まこ、永井一郎、古川登志夫ら、アニメや音響の現場でつながっていた人々がカメラの前へ立った。アニメ制作の人間関係を実写へ移植したキャスティングである。
タクシー運転手役は、ルパン三世シリーズなどで知られるアニメーターの大塚康生が実際に演じた。ただし台詞の声は永井一郎であり、映る人物と聞こえる人物が分かれている。さらに空港アナウンスは平野文が担当し、実写の画面を声優陣の音で組み直す配役になっている。
黒い装甲服はアニメ・模型・特撮の人材で作られた。出渕裕のデザインを基に、品田冬樹が衣装、速水仁司がマスクを製作し、高田明美がエンブレムを設計した。都市の遠景には開田裕治のマット画も加わり、アニメ・模型・特撮の人材が実写世界を組み上げた。
同一ロットの白黒ネガを揃えることから難航した。当時すでに白黒35mmネガの入手は難しく、長編で色調を揃えるための同一ロット確保はさらに困難だった。使用できるフィルムの総量が限られたため、撮影部は十数秒しか残っていない端尺まで保管して次のカットへ回した。
モノクロ化の目的は題名の「紅」を孤立させることだった。赤い少女、都々目紅一という名、暗闇で光るプロテクトギアの電子眼を、一つの色彩設計へ集めるためである。画面から他の色を退かせることで、題名にある「紅」そのものを演出上の事件にした。
デジタル合成のない時代に、押井守と撮影監督の間宮庸介は、白黒ネガで撮った映像をカラーポジへ焼き付ける方法を選んだ。これにより、同じカットの中で無彩色の世界から赤い少女を浮かび上がらせた。工程が加えた微妙な粒状感も含め、フィルム同士の変換で作った疑似モノクロである。
モノクロネガをカラーポジへ焼く工程は、画質を鈍らせる危険もあった。制作陣はラボでオプティカルテストを繰り返し、撮影を速めるズームレンズの多用を退け、カットごとにレンズを交換した。低予算作品でありながら、時間ではなく映像のキレを守る選択をしている。
押井守は、当時の予算では粗大ごみ置き場から材料を回収してセットを組むしかなかったと振り返っている。新品を古びさせた美術ではなく、捨てられた物を加工して画面へ戻したのである。作品の荒廃した東京は、本物の廃材を再配置した空間でもあった。
撮影は夕方6時頃に始まり、朝日が昇ると終了して解散するという進行が続いた。都市の夜や地下空間を撮るため、出演者とスタッフの生活自体が昼夜逆転していた。千葉繁が「狂乱の日々」と呼ぶ現場では、夜明けが一日の終業時刻だった。
撮影は小平の廃工場、横浜のホテル、東京湾埋立地などを巡り、山形空港と山形県上山のトキワ館も使った。初公開館となったキネカ大森はロケ地でもある。低予算作品でありながら、東京・横浜・山形の実景をつないで架空都市を作る方法が選ばれた。
赤い豆電球が千葉繁のまぶたを焦がした。眼鏡の裏側へ豆電球を仕込み、千葉繁が実際に装着した状態で発光させている。顔の近くに熱源を置いたため、撮影中にまぶたを焦がすほどの熱が生じた。
千葉繁は、どぶ川の水を大量に飲んで腹を壊したと具体的に回想している。衛生管理された水槽ではなく、怪しげなロケ地を巡る低予算撮影の一部だった。画面に残る汚れと苦痛は、俳優の実際の体調不良へつながった。
千葉繁の回想では、拷問台へ固定された水責めは「死にかかった」と感じるほど厳しく、深夜3時に長い階段を何度も駆け上がった際には足がつった。作品の突飛な身体表現は、撮影時には拘束・大量の水・反復走行を伴う負荷になっていた。
夕方から朝までの撮影が続き、千葉繁の回想では睡眠不足と過労が頂点へ達した。助監督は直立したままカチンコを握って眠り、別のスタッフは結局使われなかった穴を掘り続け、スコップを枕に横たわった。徹夜と徒労が同時に積み重なる現場だった。
川井憲次は本作で映画音楽の仕事へ入り、押井守と初めて映画を作った。二人の協働はその後、『機動警察パトレイバー the Movie』『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)『イノセンス』(2004)へ続く。世界的に知られる組み合わせの起点は、自主企画から膨らんだ低予算実写だった。
押井守は「燃える音楽」の見本として『カルミナ・ブラーナ』入りのカセットを川井憲次へ渡した。しかし川井はテープをなくし、初めに聴いた記憶だけでデモを制作した。音響監督の斯波重治は受話器越しの再生を聞いて採用を決め、押井も気に入ったという。
もともと千葉繁のLPを作る話から始まった企画は、完成後も音楽が先に世へ出る順序になった。川井憲次によるサウンドトラックのLPとカセットは1986年11月21日発売で、映画の劇場公開は1987年2月である。映画より先にサウンドトラックを聴けた作品だった。
本作は最初から全国配給を前提にした映画ではなく、完成時点でも劇場公開の予定はなかった。ところが1987年、撮影にも使われたキネカ大森で上映され、長い上映史の出発点になった。ロケ地が最初の公開館にもなったのである。
完成後にはカンヌ国際映画祭へ出す話が持ち上がり、そのためのフランス語字幕プリントが用意された。だが出品枠は別の作品へ譲られ、プリントは使われないまま残った。2014年にキネカ大森で披露されるまで、映画祭へ行けなかった専用版だった。
2015年の上映後トークを記録した参加者によれば、本作には全カット分の絵コンテが用意されていた。千葉繁は、広角レンズなら動きを大きくし、望遠なら抑えるというように、使用レンズを踏まえて演じたという。アニメ的なショット設計を俳優の身体へ移す方法が試された可能性がある。
千葉繁の宣伝企画から生まれた特機隊、ケルベロス騒乱、プロテクトギアの設定は、一作で終わらなかった。実写映画『ケルベロス 地獄の番犬』、漫画『犬狼伝説』、アニメ映画『人狼 JIN-ROH』(1999)へ形を変えて受け継がれた。小さな自主企画が複数媒体の世界設定へ成長したのである。
2003年にバンダイビジュアルから発売された4枚組DVD-BOX『押井守シネマ・トリロジー 初期実写作品集』は、本作を『ケルベロス 地獄の番犬』『トーキング・ヘッド』とまとめた。本編には押井守と伊藤和典の音声解説が付き、72ページの解説書と川井憲次選曲のCDも同梱された。
長く残っていた本作の原版は、東京現像所の事業終了に伴って保管場所を失う可能性があった。関係者が35mmカメラネガを引き上げて保全し、2024年の4K修復素材として使用した。現像所の閉鎖時に救出された原版が、全国再公開まで作品をつないだ。
修復ではオリジナル35mmカメラネガを4K解像度で走査し、傷や揺れを整えてカラーグレーディングを行った。音声は16mm磁気トラックに残るモノラル素材からデジタル化され、ソニーPCLで5.1ch版も作られた。映像と音の双方を押井守の監修・承認の下で再構築している。
2024年の4K修復企画は1000万円を目標に始まり、開始1日で達成した。終了時には2953人から59,336,002円が集まり、目標の約5.9倍に達した。押井守自身が初公開時の反応を「9割までがボロクソ」と振り返る作品が、約40年後に約5933万円の保存支援を得た。
目標の早期達成後、ディスクはBlu-ray単体から4K UHDとの2枚組へ変更され、修復作業のメイキングと英語字幕も追加された。3500万円到達でスチールブック化も決まったが、追加製作により発送予定は遅れ、主催者は告知内で謝罪した。成功そのものが仕様変更と遅延を生んだ企画だった。
1987年の公開はキネカ大森を中心とした限られた上映だった。4Kレストア5.1ch版は2025年3月21日に同館へ戻り、その後は大阪、京都、東京の別館を含む各地へ順次拡大した。38年後の修復版で初めて全国規模の劇場公開が実現した。
原版と一緒に当時のアフレコ台本も見つかった。製作当時のアフレコ台本がフィルムと一緒に発見され、クラウドファンディングの返礼品として復刻された。写真集には完成版にない場面のスチールも入り、削られた約30分を探る紙と写真の手掛かりが残された。
特機隊の世界は早くから漫画『犬狼伝説』へ広がっていたが、映画『紅い眼鏡』自体は長く漫画化されていなかった。藤原カムイが40ページで初めてコミカライズし、2025年3月刊行の『犬狼伝説 改』へ収録した。シリーズの原点が後発漫画から逆に翻案された形である。
本作を『天使のたまご』の興行不振への腹いせで作ったという説がある。しかし、当事者資料が示す直接の発端は、斯波重治による千葉繁向けLP企画である。押井守の当時の気分まで無関係だったとは言えないが、映画が始まった理由を「腹いせ」だけで説明するのは難しそうだ。
鶴原顕央は『紅い眼鏡』が『親鸞 白い道』の予備候補だった可能性を推測したが、本人も裏事情を知らない推測と明記しており、原典はないという話がある。ただし、噂の出どころや制作側の説明まではたどれなかった。そう考えると筋は通るが、今のところは決めつけない方がよさそうだ。
製作時のアフレコ台本と16mm磁気音声は現存する。しかし、全台詞と全音響を完全なポストシンクロで作ったと示す音響スタッフの証言や制作記録は確認できない。多くが後録りだった可能性はあっても、「全編すべて」とまでは言わない方がよさそうだ。
赤い部分は一コマずつ手で彩色したという説もある。公式資料では、白黒ネガをカラーへ焼く光学処理とテストが説明されている。手作業の伝説より、フィルム工程のほうがずっと奇妙で面白い。