主な参考資料
- AFI
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1998年公開。ジェイムズ・デモナコとケヴィン・フォックスのオリジナル脚本をエフ・ゲイリー・グレイが監督し、サミュエル・エル・ジャクソンとケヴィン・スペイシーを二人の交渉人として対峙させた。撮影監督ラッセル・カーペンターは大作『タイタニック』の直後に本作へ入り、主に二つの部屋で進む心理劇を、華美な大作への「解毒剤」となるフィルム・ノワールとして設計した。シカゴの夜景にはスタジアム用照明や移動式発電機を持ち込み、ロサンゼルスのスタジオ撮影では蛍光灯を徐々に消して影を増やし、長い室内劇の緊張を映像で保った。製作費は約5,000万ドル、北米興収は約4,470万ドルで、評判ほどには切符売り場を説得できなかった。人質より手ごわかったのは、二つの部屋が中心の139分を夏の大作市場へ売り込む交渉だったようだ。
年金詐欺の元警官が本当に高層ビルへ立てこもった。セントルイスの元警官ダニエレは、警察・消防の年金基金をめぐる犯罪で刑を受けた直後、事件を明らかにした側の幹部を高層ビルで拘束した。映画は犯人と告発者の立場を組み替え、無実を訴える交渉人の物語へ変えている。
映画の着想元になった実在の立てこもり事件は、15時間ではなく、武装した犯人の投降まで25時間続いた。ダニエレは人質のフランクを先に解放したが、自身はその約10時間後まで建物内に残った。15時間は人質解放まで、25時間は事件全体という、異なる終点を示す数字である。
映画はローマンとセイビアンを、互いの技術を知り尽くした二人の達人として描く。そのため交渉はチェスのように見えるが、公式特典はLAPDの実務家へも話を聞き、現実の人質対応と映画制作の両側を置いた。派手な突破作戦だけでなく、話し続けて時間を作る仕事へ目を向けると、電話場面の緊張が違って見える。
ウォルシュは、善人とも悪人ともすぐ決められない組織人を演じることで知られ、本作でも交渉の緊張を大きく支える。1998年2月に急逝したため、同年7月の米国公開を見ることはなく、映画は本人へ捧げられた。ニーバウムへの疑いが解けたり深まったりするたび、俳優の細かな反応が物語を動かす。
『シェーン』のラストは、生きて去るのか、傷で死へ向かうのか、観客の解釈が分かれることで有名である。本作はその曖昧さを引用するだけでなく、ローマンとセイビアンの信頼を測る道具に使う。終盤の一言は、周囲には古い映画の感想にしか聞こえないが、二人には次の演技を始める合図になる。
映画の宣伝では「交渉人が人質犯になる」という逆転が最大の売りだった。ジャクソンの実人生には、学生運動の中で大学の教職員を拘束した過去があり、公開時の取材でもその出来事が紹介された。もちろんローマンの汚職捜査とは目的も状況も異なる。それでも、組織へ要求を届かせるため越えてはならない線を越える人物を、抗議と拘束の両方を知る俳優が演じたという接点は、役の怒りを単なる技巧以上に感じさせる。
人質交渉の映画では、音楽が感情を先に説明しすぎると駆け引きの不確かさが消える。レヴェルは監督の判断が揺れる中で複数の方向を試し、2~3か月かけて最終的に初期素材へ戻った。後から正解が見えたというより、別案を通過して最初の音の機能を確認したのである。書き直しが最初の選択を証明したと分かると、派手さを抑えたスコアの粘りが長い制作過程そのものと重なる。
作曲家グレーム・レヴェルは、本作を音楽が映画全体のリズムを動かした仕事として誇りに挙げている。銃撃や移動が少ない交渉場面で音楽を前へ出しすぎず、低い緊張を持続させることで、二人が考える時間と観客の焦りを同時に作った。長い会話を停滞させない推進力を、編集だけでなく音楽も担っている。
完成版のクレジットには、エド・アーネソンとボブ・ブラノンが二人の警察技術顧問として記載されている。公式映像特典でも実在の交渉人を扱っており、制作陣は複数の経路から現実の手続きを参照した。観客へ状況を伝えるための省略と、職業らしく見える動作の両方を組み立てるための協力だった。
ロケーション資料によると、本作はシカゴ、ロサンゼルス、英国のパインウッド・スタジオで撮影された。窓から見える都市、警察が集まる路上、オフィスの内装が別々の場所でも、時間、光、方角を一つの建物としてつなぐ必要がある。籠城映画の連続性は、地理的に離れた三地域の素材を美術、照明、編集でまとめることで保たれている。
家庭用映像資料には、製作者デヴィッド・ホバーマンらがシカゴを選んだ理由を扱う『On Location: Why Chicago』という短編が収録されている。人質事件の多くは建物内で進むが、窓の外の高層建築や硬い街路がローマンを囲む組織の規模を伝える。都市の選定そのものが、一本の制作特典になるほど重視されていた。
ロケーション資料では、主要撮影は1997年9月1日から11月25日までの約3か月に組まれている。物語はリアルタイムに近く進むが、撮影順は物語順とは限らず、数週間前の表情や別都市の外景を同じ緊張の流れへ接続しなければならない。約3か月の現場を一夜の出来事に見せるため、俳優の状態や照明の連続性が保たれた。
二人の交渉人は同じ部屋にいない時間が長く、演出を誤ると電話を撮った映像の往復になりかねない。Grayは高層階と路上、交渉室と人質側を視覚的に組み、声が届く範囲と届かない範囲を画面で示した。ジャクソンが評価したのも、その視覚的な語りだった。若さではなく空間を動かす能力が抜擢の理由だと分かると、窓やモニター、映画の画面全体にわたる視線の切替えが際立つ。
ロサンゼルスのセット外へ、シカゴの77 West Wacker Driveから6台のカメラで撮った160×40フィートの景観写真を設置したという話がある。ただし、この話を支える当事者の発言や制作記録はまだ見つかっていない。そうだったのかもしれないが、事実としては言い切らない方がよさそうだ。
予告編に本編未使用の共闘台詞があり、オープニングの人物写真の強調が基金事件の関係者を示すという話がある。ただし、本人や現場関係者の証言、制作時の記録は確認できない。本当なら面白いが、今のところは噂として聞くのがよさそうだ。