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ガン・ファイターの映画トリビア用メインビジュアル
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放送日 8月28日(金) 13:00〜

ガン・ファイター

The Last Sunset / 1961
IMDb ⭐ 6.7放送日 2026/8/28 NHK BS🕐 112分🎬 Universal Pictures1961年
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1961年公開。カーク・ダグラスのブライナ社は『スパルタカス』のポストプロダクション中に、ハワード・リグスビーの小説をダルトン・トランボへ脚色させ、ダグラス自身がロバート・アルドリッチを監督に招いた。トランボにとってはブライナ社で『スパルタカス』に続く仕事となったが、制作の指揮系統は穏やかではなく、ダグラスは回想で、メキシコ入りしたアルドリッチが別企画の脚本家たちを連れていたことや、ユニバーサルが製作管理を主張したことに不満を残している。ロック・ハドソンとダグラスの唯一の共演作は、アグアスカリエンテスを含むメキシコで全編ロケされ、1960年7月29日に予定どおり撮り終えたものの、ポストプロダクションの問題で米国公開は1961年6月までずれ込んだ。アルドリッチは後年この仕事を自身でも特に不快な経験の一つと語った一方、常連の撮影監督アーネスト・ラズロと編集者マイケル・ルチアーノを同行させ、モノクロームではなくイーストマンカラーで乾いたロケ地を撮った。製作費は資料によって300万ドルまたは350万ドルと割れ、フランスでの累計入場者数は165万5,692人と記録されるが、米国内の総興収は今回、一次資料で確定できなかった。西部劇の広い空の下でも、プロデューサー、監督、スタジオが別々の方向を向けば、いちばん早く走るのは公開日だけである。

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脚本
信頼度

カーク・ダグラスの製作会社ブライナ・プロダクションズは、『スパルタカス』(1960)の仕上げ作業が続いていた時期に、ハワード・リグスビーの小説『サンダウン・アット・クレイジー・ホース』(1957)の映画化を進めた。脚色を任されたのは、『スパルタカス』(1960)でダグラスと組んだダルトン・トランボである。ブラックリストに載っていたトランボの名前を正式にクレジットへ戻す大作の裏で、同じ製作会社と脚本家による次の西部劇も動き始めていた。

脚本
信頼度

ロバート・アルドリッチは企画の存在を知ると、カーク・ダグラスへ自分に監督させてほしいという手紙を送った。ダグラスはその強い売り込みを受けて起用を決め、メキシコで撮る西部劇の指揮を任せた。ところが撮影が始まると二人の関係は悪化し、アルドリッチは後年、本作を自身の仕事の中でも特に不快な経験の一つに挙げることになる。

脚本
信頼度

カーク・ダグラスとロック・ハドソンが映画で共演したのは本作だけだが、二人を組ませる計画はその前から存在した。ブライナ・プロダクションズとユニバーサルは、メキシコを舞台にした西部劇『Viva Gringo!』を開発し、二人の主演を想定していたものの、約7万5,000ドルの開発費を使った段階で製作を断念した。その後に成立した本作で、未実現に終わったスターの組み合わせが別の物語として実現した。

キャスティング
信頼度

カーク・ダグラスは逃亡中のガンマン、ロック・ハドソンは彼を追う保安官を演じたが、二人の役の比重は物語だけで決まったわけではない。ユニバーサルは、自社の看板俳優だったハドソンをダグラスと同格に扱うよう求め、保安官の場面を増やした。ダグラスは後年、その変更で本来の物語に合わない場面まで加わったと不満を残している。

制作秘話
信頼度

ロバート・アルドリッチはメキシコの撮影地へ、本作とは別の企画を進める五人の脚本家を連れてきた。主演だけでなく製作にも関わっていたカーク・ダグラスは、本作の撮影中に別作品を開発する姿勢へ反発し、脚本家たちを帰国させたという。この出来事を境に二人の関係は冷え込み、撮影終了後も再び組むことはなかった。

脚本
信頼度

ダルトン・トランボは本作の脚本を書いていた途中で、『栄光への脱出』(1960)の仕事を優先するため作業を離れた。同作の監督オットー・プレミンジャーが、ブラックリスト下にあったトランボの実名をクレジットへ出すと約束したためである。ロバート・アルドリッチは脚本に手を入れる必要があったと不満を残しながらも、実名復帰の機会を選んだトランボの判断は全面的に正しかったと認めている。

キャスティング
信頼度

製作上の衝突が多かった現場で、ロバート・アルドリッチが高く評価したのはロック・ハドソンの仕事ぶりだった。アルドリッチによれば、ハドソンは大スターでありながら自分の立場を誇示せず、準備をして真剣に撮影へ臨んだという。ユニバーサルが役を広げたことへの不満と、実際に演じた俳優への評価は、監督の中で別の問題として扱われていた。

キャスティング
信頼度

ベル役は当初ローレン・バコールへ提示されたが、彼女が出演を断ったため、ドロシー・マローンが演じることになった。マローンはロック・ハドソンと『風と共に散る』(1956)、『翼に賭ける命』(1957)で共演しており、本作が三度目の組み合わせである。ただし、バコールが辞退した理由については、本人の説明を確認できていない。

撮影
信頼度

アメリカ西部を舞台にした本作は、メキシコで全編撮影された。広大な牛追いの場面にはアグアスカリエンテス周辺を使い、撮影所が必要な場面はメキシコシティのチュルブスコ撮影所で制作した。ロバート・アルドリッチは常連の撮影監督アーネスト・ラズロと編集者マイケル・ルチアーノを同行させ、乾いた土地と強い日差しをイーストマンカラーで捉えた。

撮影
信頼度

牛追いの場面では、本物の牛を大規模に移動させて撮影したが、群れを予定どおり動かすだけでは映像にならなかった。ジョゼフ・コットンの回想によれば、撮影時期と牛の繁殖行動が重なり、雄牛が雌牛へ乗ろうとする様子が画面へ入り続けたという。演技やカメラで調整できない動物の行動が、数千頭を使う西部劇の撮影を難しくした。

撮影
信頼度

ジョゼフ・コットンはメキシコでの長期ロケに備え、現地の食事や水で体調を崩さないよう、自分用の缶詰と瓶入りの水を持参した。それでも撮影隊で最初に激しい病気になり、脱水症状を起こしたという。最も用心していた出演者が最初に倒れた出来事は、屋外撮影の環境を完全には管理できなかったことを示している。

音楽・音響
信頼度

オマリーが劇中歌「Pretty Little Girl in the Yellow Dress」(1961)を口笛で奏でる場面は、カーク・ダグラスにとって簡単な演技ではなかった。アグアスカリエンテスの暑さ、風、砂埃の中で約二週間撮影した後、ダグラスの唇はひび割れ、口笛を吹くと痛む状態になっていた。画面では余裕を見せるガンマンの仕草が、実際にはロケ地の厳しさをこらえながら撮られている。

音楽・音響
信頼度

ディミトリ・ティオムキンは当初、78人編成のオーケストラで本作の音楽全体を作る契約を結んでいた。しかし1960年12月、ベンジャミン・フランクリンを題材にした別の映画企画へ取り組むため降板し、アーネスト・ゴールドが劇伴を引き継いだ。ティオムキンがネッド・ワシントンと書いた劇中歌「Pretty Little Girl in the Yellow Dress」(1961)は残され、ゴールドがその旋律を本編の音楽へ組み込んでいる。

音楽・音響
信頼度

劇中歌「Pretty Little Girl in the Yellow Dress」(1961)は、宣伝用に添えられた歌ではなく、オマリーの記憶を動かすために使われている。彼が口笛で旋律を奏でると、黄色い服を着た若い頃のベルと、同じ色のドレスを着る娘ミッシーの姿が重なる。母と娘の関係を主人公より先に観客へ意識させる音楽上の手掛かりである。

公開・反響
信頼度

劇中歌「Pretty Little Girl in the Yellow Dress」(1961)は、映画の外でも宣伝に使われた。マイク・クリフォードがコロムビア、カール・ドブキンス・ジュニアがデッカでそれぞれ別のレコードを制作し、シカゴでの初公開時には「黄色いドレスが最も似合う少女」を選ぶコンテストまで開かれた。出演者キャロル・リンレイもパレードに参加し、歌の題名を街頭宣伝へ広げている。

公開・反響
信頼度

撮影中の題名は『Day of the Gun』だったが、ユニバーサルは公開へ向けて別の名前を探し続けた。候補には『The Magnificent Two』『The Majestic Brutes』『Two to Make Hate』『Death Is My Middle Name』など、二大スターの対決を強く押し出す案が並んでいた。最終的に『The Last Sunset』へ落ち着いたのは製作の終盤で、日本では『ガン・ファイター』という別の題名で公開された。

制作秘話
信頼度

メキシコでの撮影は1960年7月29日に予定どおり終了したが、本作はすぐには公開されなかった。撮影後の仕上げ工程で問題が生じ、アメリカでの公開は1961年6月まで延びている。その間にはディミトリ・ティオムキンの降板とアーネスト・ゴールドへの作曲交代も起きたが、公開延期の原因すべてが音楽だったと断定できる記録はない。

公開・反響
信頼度

ユニバーサルは公開前、批評家へ本作の結末を明かさないよう依頼していた。ところが業界誌『バラエティ』の公開時評は、その要望に従わず、物語の核心に関わる展開まで記述した。観客へ秘密を守ろうとする宣伝側の方針と、作品を説明しようとする批評側の判断が、公開時点ですでに衝突していた。

情報不足・要確認
信頼度

本作がセルジオ・レオーネの西部劇へ大きな影響を与えたという説がある。メキシコの乾いた風景や、善悪で割り切れないガンマンの描写には後の作品との共通点を見つけられる。ただし、レオーネ本人が本作を挙げた発言や、どの場面を参照したかを示す制作記録は確認できない。影響を受けていたのかもしれないが、本人の言葉が見つかるまでは作品同士の似た感触として楽しむのがよさそうだ。

情報不足・要確認
信頼度

ベル役については、ロバート・アルドリッチとカーク・ダグラスが最初にエヴァ・ガードナーを望んでいたという説もある。しかし、ガードナーへ正式なオファーが届いたのか、日程や出演料の交渉まで進んだのかを示す記録は見つかっていない。ローレン・バコールへの提示と辞退は確認できる。ガードナーも候補だったのかもしれないが、正式な配役候補とするには制作資料がもう一つ欲しいところだ。

情報不足・要確認
信頼度

ロバート・アルドリッチは、自分が選ぶ映画を作る資金を得るためだけに本作を監督したという説がある。一方で、企画を知ったアルドリッチ自身がカーク・ダグラスへ監督を希望する手紙を送った経緯も確認されている。険悪な撮影を終えた後にはそう感じていたのかもしれないが、最初から金銭だけが目的だったとするには、発言の原文と掲載時期を確かめたいところだ。

情報不足・要確認
信頼度

ミッシー役の配役には、カーク・ダグラスがサンドラ・ディーを望み、その後チューズデイ・ウェルドが決まったものの、『ハイ・タイム』(1960)の撮影遅延で辞退したという説がある。完成版でキャロル・リンレイが演じたことは確認できるが、その前の候補順、ウェルドの契約、降板理由を示す制作資料は見つかっていない。二人も候補だったのかもしれないが、正式な出演予定者だったかは同時代の配役表が見つかるまでは言い切らない方がよさそうだ。

裏取り強め
有力ソースあり
未確認・噂寄り
情報不足・要確認

主な参考資料

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