主な参考資料
- AFI
- TIME
- Los Angeles Times
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1993年公開。企画は1985年にローレンス・マークが小説家イアン・マキューアンへ持ちかけた脚本から始まり、20世紀フォックス、ユニバーサル系クォンタム、ヘムデールなどを移動して、最終的にフォックスへ戻った。 1991年にはマイケル・レーマン監督で撮影準備が進み、ニューイングランドのセットにすでに約400万ドルが投じられていたが、マコーレー・カルキンの配役をめぐる交渉で止まった。 AFIと当時報道によれば、父でマネジャーのキット・カルキンは『ホーム・アローン2』出演契約の条件として本作への起用を求め、フォックスは撮影を翌秋へ延期し、レーマンは離脱した。 後任のジョセフ・ルーベンのもとで1992年11月に主要撮影が始まり、マサチューセッツ州ケープ・アン、ミネソタ州トゥー・ハーバーズ、ラスベガスで撮影し、終盤の高所場面はスペリオル湖畔のパリセード・ヘッドに組まれた。 全米公開では1,847館で初週末約1,252万ドルを記録して首位に立った一方、ロサンゼルス・タイムズの公開時評は、カルキン起用のために企画の元の監督・製作者・一部キャストまで入れ替わった点を皮肉とともに批判した。 Box Office Mojoでは北米興収約4,479万ドル、海外興収約1,582万ドル、世界興収約6,061万ドルである。子役の一人を確保するために企画全体を組み替える――当時のフォックスにとっては、作品の善悪より先に興行の正解だったのだろう。
本作の企画は、プロデューサーのローレンス・マークが1985年に小説家イアン・マキューアンへ原案を持ち込み、二人で脚本を開発したことから始まった。その後、企画は20世紀フォックスからユニバーサル系のクォンタム・ピクチャーズ、ヘムデールへ移り、ユニバーサルが降りた後はオーストラリアの配給会社ホイツが準備費の大半を負担した。最終的にフォックスへ戻って撮影が始まるまで、八年近くを要している。
完成版では、母を亡くしたマークが伯父の家へ預けられ、従兄弟ヘンリーの異常な行動に気づく。しかし1991年に報じられた企画段階では、二人は従兄弟ではなく兄弟として書かれていた。マークを外部から来た観察者に変えたことで、家族が信じるヘンリーの顔と、マークだけが見る危険な顔を対立させる構成になった。
1991年、本作はマイケル・レーマン監督のもとで撮影開始直前まで進んでいた。ところがマコーレー・カルキンの父でマネジャーだったキット・カルキンが、息子をヘンリー役に起用しなければ『ホーム・アローン2』(1992)へ出演させないとフォックスへ要求した。続編を失いたくないスタジオは本作を約一年延期し、『ホーム・アローン2』を先に撮影する道を選んだ。
撮影が止まった時点で、ニューイングランドのセット建設などに約400万ドルが使われ、約60人の仕事も中断したと報じられた。マイケル・レーマンは一年待つ選択肢を示されたが、配役を決める権限を失った状態で続けずに離脱した。レーマンと脚本を直していたイアン・マキューアン、彼を支えたプロデューサーのローレンス・マークも完成版の制作体制から外れ、監督、製作者、脚本家がそろって入れ替わる結果になった。
後任監督ジョセフ・ルーベンは、マコーレー・カルキンがすでにヘンリー役へ決まっていたことを、本作へ参加した理由の一つに挙げている。『ホーム・アローン』(1990)で善良な子どものイメージを持つ人気俳優を、家族へ危害を加える少年として撮れることに魅力を感じたためだった。撮影現場のカルキンは役柄とは反対に明るく、イライジャ・ウッドとの雪合戦や雪の砦作りから連れ戻すこともあったという。
1991年版では、ヘンリーの母スーザンをメアリー・スティーンバージェンが演じる予定だった。撮影が一年延期された後、ジョセフ・ルーベンから再び出演を依頼され、本人も復帰を望んだが、すでに『フィラデルフィア』(1993)への出演を決めていたため日程を合わせられなかった。スーザン役はウェンディ・クルーソンへ替わり、主要撮影も1992年11月19日へ繰り上げられた。
撮影開始の数日前、キット・カルキンはジョセフ・ルーベンが選んだコニー役の候補を退け、当時8歳だった娘クイン・カルキンを起用するよう求めた。スタジオはマコーレーを降板させられる可能性を避け、要求を受け入れた。完成版ではクインがヘンリーの妹コニーを演じ、亡くなった弟リチャードの写真には、実弟ロリー・カルキンが写っている。
エヴァンズ家の外観には、マサチューセッツ州マンチェスター・バイ・ザ・シーにある実在の別荘が使われた。室内場面はその家で一部を撮っただけではなく、近隣のビバリーにあるリンチ公園へ、実物の建築に合わせた室内セットを建てている。海が窓の外へ実際に見えるよう、セットは鋼鉄製の建物からレールで屋外へ引き出し、撮影後は風雨を避けるため毎晩中へ戻した。
主要撮影は1992年11月から翌年の冬にかけて、ニューイングランド各地で続いた。当時の地域では、ハリウッド映画が一部分のロケだけでなく、冬をまたいで大規模に撮影することはまだ珍しかった。ボストンの舞台やCMで働いていた地元スタッフが美術、照明、配役へ参加し、本作をきっかけに映画の現場で班を率いる立場へ進んだ者もいた。
ヘンリーとマークが人間そっくりの人形「ミスター・ハイウェイ」を橋から落とす場面では、一般道を長時間封鎖できないことが問題になった。ロケ担当のベン・デューイは約一か月をかけ、二車線の道路が二車線をまたぐ条件に合う橋を80~90か所ほど調査した。最終的に、周辺道路へ車を迂回させられるニューハンプシャー州のピーズ空軍基地内で撮影した。
橋の下でキャンピングカーが横転し、後続車が次々に衝突する場面は、一台しか用意できない車両を使った一発撮りだった。車内後部へ鋼鉄製の枠に収めた55ガロンの水槽を置き、運転手が急に向きを変えると水の重さが片側へ移る仕組みにした。ジャンプ台や空気砲で車体を跳ね上げず、運転手が人影を避けて横転したような低い倒れ方を作っている。
衣装デザイナーのシンシア・フリントは、マークの服を青と緑でまとめ、ヘンリーの残酷さが表へ出るにつれて赤い服を増やした。二人が同じ場所にいる場面でも、マークの落ち着いた寒色と、ヘンリーのシャツや上着、マフラーに広がる赤を見比べられる。善悪を示すために常に同じ色を着せるのではなく、物語の進行に合わせてヘンリー側の色を強めている。
画面ではマークとヘンリーが互いを追い詰めるが、撮影の合間にはイライジャ・ウッドとマコーレー・カルキンが森へ入り、木の枝を武器、松ぼっくりを手榴弾に見立てて遊んでいた。雪の日には雪合戦や砦作りを続け、ジョセフ・ルーベンが二人を撮影へ連れ戻すこともあった。暗い内容を演じる子役が一日中役へ閉じ込められないよう、待機用バスや遊ぶ時間も用意されていた。
ウッドは子ども向けでない作品への出演を喜んだ。家族映画に出演する同年代の子役とは異なる題材へ挑めることに面白さを感じていたという。マークの恐怖を演じる一方で、本人は物語の残酷さを避けるのではなく、ジャンル映画へ参加する機会として受け止めていた。
物語の終盤はメイン州の大西洋岸という設定だが、撮影場所はミネソタ州のスペリオル湖を望むパリセード・ヘッドだった。自然の岩は角が鋭く、子役が格闘できないため、美術班は断崖の上部へ木材と石膏で人工の岩場を作り、表面をゴムで覆った。造形部分と本物の岩の間には約90~120センチの空間を設け、内部に入ったスタッフが俳優へつないだ二重の安全ケーブルを操作した。
断崖にぶら下がる二人を横から撮るため、撮影監督ジョン・リンドリー自身もクレーンで岩壁の外へ出た。リンドリーが乗った「エア・チェア」には姿勢を安定させるジャイロが付き、足元の操作部で左右の向きを変えながら撮影できた。俳優だけをスタジオで撮って背景を合成した場面ではなく、子役とカメラの両方を実際の断崖へ配置している。
マコーレー・カルキンとイライジャ・ウッドは、グロスターの消防署に組んだ高さ約4.5メートルの台で、二本のケーブルに身体を預ける訓練を受けた。ヘンリーが手を離される接写ではカルキン本人をカメラから遠ざかる方向へ約9メートル落とし、両親の許可も取り直した。カルキンは危険な動作を引き受ける条件としてBB弾を撃つ銃を希望し、撮影後に受け取ったという。
英国では、1993年に起きたジェームズ・バルジャー事件の後、子どもが残酷な行為をする本作の公開が約一年延期された。BBFCの記録では劇場版が1994年9月に審査され、1995年のビデオ版には変更が加えられている。この版では、人間そっくりの人形を橋から交通の中へ落とす行為が模倣される危険を理由に約33秒が削られ、2002年にはそれより約32秒長い物理媒体・配信用の版が審査された。
マコーレー・カルキンとイライジャ・ウッドは子どもにも人気があったが、本作はアメリカで17歳未満の単独鑑賞を制限するR指定を受けた。フォックスは家族映画と誤解されることを避けるため、劇場予告編の冒頭でR指定を明示し、『愛がこわれるとき』(1991)のジョセフ・ルーベン監督作であることも強調した。子役の知名度を隠さず、内容が子ども向けではないことを先に伝える宣伝だった。
本作は1993年9月24日に全米1,847館で公開され、初週末に約1,252万ドルを記録して興行収入首位となった。最終的な興行収入は北米約4,479万ドル、海外約1,582万ドル、世界合計約6,061万ドルである。一方、最終製作費は当時の報道でも1,700万ドルと2,800万ドルに分かれており、どちらか一方を確定値として扱うことはできない。
マークとヘンリーがタバコを試す場面では、本物のタバコではなく、乾燥させたパセリとレタスを筒へ詰めたものを吸ったという説がある。子役が口にする小道具としては具体的な内容だが、小道具担当者の記録、撮影台本、当事者の証言は確認できていない。
ヘンリーは左右で色の違う靴を履いており、黒い側が悪、白い側が善を表すようジョセフ・ルーベンが指示したという説がある。画面上で靴の違いは確認できるが、その意味を説明した監督取材や衣装資料は見つかっていない。衣装デザイナーが確認しているのは、ヘンリーへ赤を増やし、マークを青と緑でまとめた配色までである。
ジョセフ・ルーベンは本作をPG-13指定の観客へ届けようとし、R指定の変更を求めたものの、マコーレー・カルキンの幼いファンが見る可能性を考慮して認められなかったという説がある。公開前にスタジオがR指定作品としての宣伝方法に苦慮したことは確認できるが、再審査を申し立てた記録や審査側の回答は見つかっていない。
ヘンリーが一度だけ口にする強い罵り言葉は、R指定が決まった後にジョセフ・ルーベンが追加し、キット・カルキンから許可を得たという説がある。完成版にその台詞があることは公開時の記事とBBFCの審査記録でも確認できるが、初期脚本との差、追加時期、両親の許可を示す制作記録は見つかっていない。