主な参考資料
- AFI
- Directors Guild of America
- American Cinematographer
- The Academy
- Library of Congress
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1971年公開。ロビン・ムーアのノンフィクションは、1961年のニューヨークにおける麻薬捜査を下敷きにしており、実在の刑事エディ・イーガンとソニー・グロッソは本作の技術顧問として参加した。 フリードキンの後年の回想によれば、企画は資金、配役、ポストプロダクションで難航し、主演候補としてジャッキー・グリーソンやジミー・ブレスリンを経た末、撮影直前にジーン・ハックマンが決まった。 ハックマンとロイ・シャイダーは、モデルとなった刑事たちと2〜3週間行動を共にし、手入れの際に見た所作を演技へ取り込んだという。 『ブリット』とは構造を変え、車が地下鉄を追う形にした追跡場面は、通常のブルックリンを舞台に、二台のポンティアックと複数の車載カメラで撮影され、ハックマン自身も完成版の半分以上を運転したとフリードキンは語っている。 初日の撮影ではスタント車のタイミングのずれから予定外の衝突が起きたが、負傷者はなく、予備車を使って続行された。 The Numbersは製作費を約220万ドル、Box Office Mojoは北米興収を5,170万ドルと記録し、5部門のアカデミー賞を得た本作は、警察協力と予定外の衝突までを材料に、70年代の基準になったのである。
本作のもとになったのは、ニューヨーク市警の麻薬捜査官エディ・イーガンとソニー・グロッソが1961年に着手した密輸事件である。二人は約120ポンド、当時の評価額で3,200万ドルを超えるヘロインを押収したが、実際の捜査は約二年半に及び、その間に映画のような銃撃による死者は出ていない。完成版は複数の捜査過程と人物をまとめ、長期捜査をドイルの執念が暴走していく一続きの追跡劇へ圧縮した。
企画は約一年かけて二本の脚本を作った後、ナショナル・ジェネラル・ピクチャーズから中止され、約十か月動かなかった。ウィリアム・フリードキンによれば、その後はほぼすべての大手スタジオに二度ずつ断られたという。最終的に20世紀フォックス社長のリチャード・D・ザナックが、手元に残っていた150万ドルの範囲で作れるなら進めてよいと判断し、撮影へ移った。
最初の二本の脚本には、完成版のような大規模な追跡場面がなかった。フリードキンと製作のフィリップ・ダントニは、元新聞記者で小説『シャフト』を書いたアーネスト・タイディマンならニューヨークの街の言葉を扱えると考え、映画脚本の経験がなかった彼に新稿を依頼した。物語の骨格はできていたが、企画を成立させる最後の要素として追跡場面を新たに作る必要があった。
フリードキンとダントニは、追跡場面の案を出すためニューヨークのレキシントン・アベニューを約50ブロック歩いた。その途中で、一台の車が別の車を追う『ブリット』(1968)と同じ構造を避け、ドイルの車が高架電車のニコリを追う案を会話だけで組み立てた。翌日、二人はタイディマンへ内容を口述し、最初は五、六ページほどの脚本になった。
最初の脚本では、高架電車の運行や安全装置の描写に現実では起こり得ない点が多かった。助監督らとフリードキンはニューヨーク市交通局の広報、技術、安全部門と数週間協議し、列車同士を本当に衝突させないことを条件に施設使用の許可を得た。交通局が示した実際の運行手順を取り込むと、追跡場面は初稿より長く、複雑になった。
追跡場面は、ブルックリンのベイ50丁目駅から62丁目付近まで約26ブロックを使い、約五週間にわたって順不同で撮影された。高架電車を使えるのは朝夕のラッシュを避けた午前10時から午後3時までで、途中に昼休みも必要だったため、一日に確保できる撮影時間は五時間に満たなかった。完成版の約15分の流れは、別々の日と場所で撮った車、電車、歩行者の映像をつないで作られている。
追跡場面を撮った1970~71年のニューヨークの冬は、気温が華氏5度、摂氏では氷点下15度前後まで下がる日があった。カメラ機材が凍り、高架電車が動かず、火花を出す特殊効果装置や機材運搬車まで止まったことがある。撮影監督オーウェン・ロイズマンは冬の灰色の光を画調へ取り込み、街の寒さが映像から伝わるようにした。
追跡用には茶色の1970年型ポンティアックを二台用意し、一台は後部座席を外してカメラ固定具を入れられるようにした。前部バンパーには路面近くの主観映像を撮るArriflex、車内にはハックマン越しに前方を見るカメラと、フロントガラスだけを撮るカメラを置いた。ハックマンが運転する場面では三台を同時に回し、一度の走行から俳優の表情と道路の映像を確保した。
追跡場面の危険な五つのスタントは、『ブリット』(1968)にも参加したスタント運転手ビル・ヒックマンが担当した。一方、フリードキンによれば、完成版で使われた運転映像の半分以上ではジーン・ハックマン本人がハンドルを握っている。俳優の顔が見える走行と衝突を伴う外観撮影を分け、二人の運転を編集で一続きにした。
交差点での衝突や乳母車を避ける場面は、助監督と警察が数ブロック先まで交通を制御し、低速で五、六回リハーサルしてから撮影した。しかし主観映像を得る最後の走行だけは交通を止めず、ビル・ヒックマンがサイレンを鳴らしながら約26ブロックを時速70~90マイルで二度走った。フリードキンは車内に同乗し、その二回から完成版の主観映像の多くを選んだ。
追跡場面の撮影初日、交差点から出る青い車は、ドイルのポンティアックを数フィート手前でかわす予定だった。ところが相手のスタント運転手が進入のタイミングを誤り、ビル・ヒックマンが運転するポンティアックへ真横から衝突した。二人にけがはなかったが車体は大きく潰れ、その映像を残したうえで、以後は予備のポンティアックを使って衝突前の場面を撮った。
交通局は列車同士を実際に衝突させることを認めなかったため、撮影班は停車中の列車の横へ別の列車を並べ、そこから離れていく動きを撮った。その映像を毎秒12コマで撮影して逆再生すると、カメラを載せた列車が停車車両へ急接近するように見える。衝突の瞬間に大きな効果音を重ね、実物を壊さずに重量感を作った。
追跡場面の音は、現場で録れたものをそのまま使っていない。撮影と粗編集を終えた後、フリードキンは録音技師クリス・ニューマンとニューヨークで高架電車の音を作り、20世紀フォックスのバックロットでは音響監修のドン・ホールと自動車の音を録音した。実写映像へ別々に集めた走行音、衝突音、金属音を重ね、車と電車が同時に加速している感覚を作った。
撮影計画は一カットずつ詳細に決められていたが、最初につないだ追跡場面はフリードキン自身が「形になっていなかった」と感じる出来だった。編集のジェリー・グリーンバーグは、道路を走る車、電車内のニコリ、乗客、信号、ドイルの視線を並べ替え、必要に応じて一、二コマを足したり削ったりした。撮影時には別々だった二つの移動が、編集によって同じ瞬間に競り合う動きへ変わった。
フリードキンと製作のダントニは、撮影監督オーウェン・ロイズマンへ「美しいニューヨーク」にしないよう求めた。ロイズマンは日中を通常より約1.5段、夜を1段ほど暗く撮り、フィルムを1段増感現像してから明るく焼き付けた。黒を強く締めるのではなくコントラストを平らにし、冬の街全体へ灰色がかった、くすんだ質感を与えた。
街路では通常の撮影用ドリーを使わず、移動ショットは一般車の窓、歩きながらの手持ち、または車椅子にカメラマンを乗せて撮った。カメラオペレーターのエンリケ・ブラボは手持ち撮影を滑らかにできる技術を持っていたが、制作側は映像が整いすぎないよう肩当てを見えない形で外した。偶然その場へ居合わせた記録映像のような揺れを、意図して残している。
シャルニエが地下鉄へ乗ったり降りたりしてドイルを翻弄する場面は、グランド・セントラル駅の既設蛍光灯だけで撮影された。ホームの蛍光灯は青く、車内の灯りはそれより暖かかったが、ロイズマンは車内のランプを交換せず、色の違いをそのまま残した。大勢の通行人と列車を使う限られた時間を節約しながら、実際の駅で目にする不均一な光を画面へ取り込んだ。
街路や刑事の部屋をくすんだ画調で統一する一方、富裕な仲介人がいるホテルの室内だけは撮り方を変えた。ロイズマンはニューヨークのホテル・ピエールの白い壁と天井を利用し、実用照明の電球を替え、天井へ光を反射させて通常より明るく撮った。暗く撮って明るく焼く本編の方法を反転させ、麻薬取引の上層にいる人物の空間だけを豊かな色で見せている。
ジーン・ハックマンとロイ・シャイダーは撮影前の2~3週間、役のモデルとなったエディ・イーガンとソニー・グロッソに同行した。二人は夜間の麻薬捜査や酒場への手入れを見学し、身体検査の手順、刑事同士の合図、街で使う言葉を覚えた。冒頭近くでドイルとルッソが酒場へ入り、客を壁際へ並ばせて調べる場面は、実際の手入れで見た行動を俳優が組み直して演じた。
ドイルとルッソのモデルになったエディ・イーガンとソニー・グロッソは、現場の技術顧問として撮影へ参加した。さらにイーガンはドイルの上司ウォルター・シモンソン、グロッソは連邦麻薬捜査官クラインを演じている。実在の刑事二人が自分たちを直接演じるのではなく、ハックマンとシャイダーが作った架空の刑事を別の役から監督する配置になった。
車を解体する整備士も事件の当事者だった。実在事件でイーガンとグロッソを助け、フランスから運ばれた車を解体してヘロインの隠し場所を探した警察整備士本人である。完成版では、実際に経験した作業を同じ役名で再現している。
ドイル役にはジャッキー・グリーソン、実在の刑事エディ・イーガン、ニューヨークの記者ジミー・ブレスリンらが検討された。ブレスリンは短期間準備したものの、演技経験がなく、母との約束で自動車を運転しないと分かって候補から外れた。撮影開始が迫るなか、代理人スー・メンガースがジーン・ハックマンを提案し、制作側は翌日までに彼を採るか映画を中止するかを決める状況で出演を決定した。
ドイル役の選定が撮影直前まで難航したのに対し、相棒ルッソ役は早く決まった。フリードキンは、それまでロイ・シャイダーを舞台で一度見ただけだったが、面談に来た彼をその場で起用したと振り返っている。ハックマンの荒い衝動を受け止める人物として、落ち着いたシャイダーを先に確保した。
フリードキンが敵役に望んでいたのは、ルイス・ブニュエル監督の『昼顔』(1967)で見たフランシスコ・ラバルだった。しかし名前を覚えておらず、「ブニュエル作品に出たスペイン人俳優」とだけ配役担当へ伝えたため、同じくブニュエル作品で知られるフェルナンド・レイが呼ばれた。レイはフランス人ではなくフランス語も話せなかったが、ラバルは英語を話せず日程も合わなかったため、そのままシャルニエ役に決まった。
ドイルがサンタクロース姿で追跡する場面は、実在の刑事たちが張り込みで使った変装をもとにしている。また、容疑者へ「ポキプシーで足を拾ったことはあるか」と意味の通らない質問を浴びせるのも、相手を混乱させ、考える余裕を奪う尋問方法から生まれた。ドイルの奇妙な言動は笑いのためだけでなく、イーガンとグロッソの現場経験を人物へ移したものだった。
当時の映画現場では、離れたスタッフへ色の違うハンカチや夜の懐中電灯で撮影開始と停止を伝えることがあった。助監督テレンス・A・ドネリーによれば、本作では初期型のMotorolaトランシーバーを導入したが、一台につき一つのチャンネルしか使えなかった。そのため彼は、スタント班、助監督班、交通整理を助ける警察用に三台の重い無線機を上着へ下げていた。
ニコリが逃げ込む高架電車の前面には「N」と表示されているが、1971年当時、追跡の舞台になったウェスト・エンド線を走るのはB系統だった。公開後、ブルックリンの住民が路線と交通量の不自然さをフリードキンへ指摘し、監督は現実の運行を一部曲げたことを認めた。利用できた撮影車両と物語上の経路を優先したため、路線表示だけが実際の運行とずれている。
本作は第44回アカデミー賞で8部門に候補となり、作品賞、監督賞、ジーン・ハックマンの主演男優賞、アーネスト・タイディマンの脚色賞、ジェリー・グリーンバーグの編集賞を受賞した。撮影のオーウェン・ロイズマン、助演のロイ・シャイダー、音響部門も候補となっている。企画段階では各社に断られた低予算映画が、追跡場面だけでなく演技、脚本、編集を含む五部門で受賞した。
公開から34年後の2005年、米国議会図書館は本作を全米映画登録簿へ追加した。この制度は、文化的、歴史的、美学的に重要なアメリカ映画を将来へ保存するためのものである。1972年のアカデミー賞受賞だけでなく、1970年代の犯罪映画とニューヨークの都市撮影を変えた作品として、公的な保存対象にもなった。
2009年に発売されたBlu-rayでは、フリードキンの監修で色を薄くし、白黒に近い映像へ淡い色を重ねたような新しい画調が採用された。しかし撮影監督オーウェン・ロイズマンには事前相談がなく、本人は完成した転送を強く批判した。2012年の「Filmmakers Signature Series」版では、フリードキンとロイズマンがともに監修した新しいマスターを作り、1971年の撮影意図に近い色調へ改めている。
2023年、米国のCriterion Channelなどで配信されていた版から、冒頭約10分の警察署内の会話が約10秒削られていることが判明した。削られたのはドイルが人種差別語を使う部分を含むが、編集済みであることは視聴画面に表示されていなかった。一方、当時の英国やカナダの配信版には同じ削除がなく、権利元も編集者と理由を公表しなかったため、現在も国や媒体によって異なる版が存在する。
警察の化学者が押収した粉末の純度を検査する場面では、小道具ではなく実物のヘロインを使ったという説がある。撮影へ協力した刑事や警察関係者は多いが、証拠品の持ち出し記録、警察側の許可、化学者または小道具担当者の証言は確認できていない。監督の音声解説とされる発言も、今回参照できた一次資料では原音を確認できなかった。
高架電車の撮影許可を得る際、制作側が交通局関係者へ現金4万ドルを渡し、問題が起きた場合に備えてジャマイカ行きの片道航空券まで用意したという説がある。実際に交通局の広報、技術、安全部門と数週間協議したことは監督が詳しく記録しているが、現金の支払い、受取人、航空券を示す会計資料や当事者の原証言は見つかっていない。
サンタクロース姿で容疑者を追う場面は27回撮り直され、ジーン・ハックマンが現場を去ろうとしたため、契約違反の可能性を示して撮影を続けさせたという説がある。フリードキンとハックマンの関係が撮影中に緊張していたことは複数資料で確認できるが、27回という回数、退場の時点、法的措置の警告を示す撮影日報や両者の原証言は確認できていない。
ドイルたちが使う青い覆面車の後部窓には麦わら帽子が置かれており、これは仲間の警察官へ捜査車両だと知らせる当時の合図だったという説がある。画面上で帽子は確認できるが、1970年前後のニューヨーク市警の運用資料、刑事本人の証言、監督の音声解説原盤までは確認できていない。