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2002年公開。宮﨑駿の企画、柊あおいの原作、吉田玲子の脚本を、森田宏幸が劇場長編初監督として映画化した。企画の発端はテーマパーク向けの猫キャラクターと約20分の短編依頼だったとされ、『耳をすませば』のバロンとムタを足場に構想が長編へ育った。ジブリは宮﨑・高畑以外の若手に監督を任せる試みとし、百瀬義行監督の25分短編『ギブリーズ episode2』との二本立てで公開した。映連資料では、興行収入はこの併映番組全体で約64億6000万~64億8000万円と集計され、2002年の邦画首位となったが、『猫の恩返し』単独の数字ではない。20分の委託企画は75分の長編と邦画年間首位に育ち、猫より企画のほうがずいぶん気まぐれだったのである。 ---
『猫の恩返し』は、最初から劇場長編として企画された作品ではない。発端はテーマパークの猫キャラクターと約20分の短編を作る依頼で、企画自体が立ち消えた後も物語だけが残った。小さな施設映像になるはずだった案が膨らみ、最終的には75分の映画として全国のスクリーンへ出たという。これは見返したくなる。
参考情報:資料・アーカイブ(日)
バロンとムタが再登場するのは、完成後に加えた小さなサービスではない。宮崎駿は柊あおいへ、地球屋、バロン、ムーンという三つの要素を使う物語を依頼した。柊はそれを、成長した月島雫が書いた物語という発想で形にしたため、本作は続編というより雫の想像力から枝分かれした姉妹編に見えてくる。現場の工夫が見えてくる。
参考情報:公式資料(日)
『猫の恩返し』は、スタジオの片隅で行われた小規模な新人実験ではない。『千と千尋の神隠し』の次回作を誰へ任せるかという重い局面で、粘り強い作画に定評があり演出を志していた森田宏幸が選ばれた。軽やかな75分の背後には、ジブリが次の監督を育てる切迫した課題があったという。知ると画面の手触りが変わる。
参考情報:公開資料(日)
森田宏幸は、最初から劇場長編監督として堂々と席へ着いたわけではない。宮崎駿に演出を勧められ、いずれ経験豊かな監督が来ると思っていたが、制作が進むうち自分が監督だったと気づいたという。ハルが成り行きで猫の国へ運ばれるように、監督自身も後戻りできない位置まで企画に連れて行かれたという。一筋縄ではいかない制作だ。
参考情報:公開資料(日)
若い監督の机に宮崎駿が張り付けば、普通は圧倒されて逃げたくなる。ところが森田宏幸は、疑問が出るたび宮崎を捕まえ、納得するまで質問を続けた。鈴木敏夫の回顧では、ついに距離を取ったのは宮崎の側で、森田は自分の速度を崩さず映画を完成させたという。映画の裏側が少し近くなる。
参考情報:公開資料(日)
制作中の題名はまず『猫の国のハル』だったが、鈴木敏夫がより広い観客へ届く題を求めた。次に出た『バロンがくれた物語』は、森田宏幸が主人公はバロンではなくハルであるとして退けた。二度の押し返しを経て『猫の恩返し』となり、猫側の行為と少女側の体験を同じ題で包んだという。これは見返したくなる。
参考情報:公開資料(日)
ハルは魔法を使わず、自分の力で空を飛ぶこともない。森田宏幸は、そんな普通の少女にも冒険と王子様が現れてほしいという願いを主人公へ込めたと語っている。だから物語の核心は特別な能力を得ることではなく、流されていたハルが自分の感覚を取り戻すところにある。現場の工夫が見えてくる。
参考情報:公開資料(日)
主題歌「風になる」の入口は、大規模な候補者選考ではなかった。美術や作画の女性スタッフが、自分たちの好きな曲として一枚のCDを森田宏幸へ貸し、そこからつじあやのとの打ち合わせへ進んだ。作品を作る側の日常的な音楽の好みが、そのままハルの帰る日常を包む曲になったという。知ると画面の手触りが変わる。
参考情報:公式資料(日)
「風になる」は作品と一体で記憶されているが、映画で流れる音源は一般的なシングル版と同じではない。エンディングには、ウクレレとアコースティックギターを中心にしたAcoustic Versionが使われた。猫の国から日常へ戻ったハルを、派手な余韻ではなく軽い呼吸のような編成で送り出している。一筋縄ではいかない制作だ。
参考情報:公開資料
バロンは登場した瞬間から、ハルが信頼できる存在に聞こえなければならない。声を担当した袴田吉彦は、役の印象を決める最初の一言を自宅で何百回も練習して収録へ臨んだ。気障になりすぎず、猫でも人間でもない紳士らしさは、短い挨拶を繰り返し整える作業から生まれたという。映画の裏側が少し近くなる。
参考情報:公開資料(日)
猫の国で伝説を持つ大柄なムタには、スタジオの身近なモデルがいた。ジブリ周辺に住み着いていた半野良猫の「ウシコ」で、公式日誌には来客の高級車の上でも平然とくつろぐ姿が記録されている。画面のムタが人に媚びず、どこでも自分の場所にしてしまう性格には実在猫の大物ぶりが重なる。これは見返したくなる。
参考情報:公式資料(日)
『猫の恩返し』の親しみやすい絵柄は、完成した後なら自然にジブリ作品として受け入れられる。だが初の社内ラッシュでは、これまでと違う絵と色の印象に面食らったスタッフもいたと日誌に残る。森田宏幸の初監督作は、物語だけでなく画面の手触りから従来作との距離を作っていたという。現場の工夫が見えてくる。
参考情報:公式資料(日)
2002年の海外試写は、完成データをネットで送って終わる仕事ではなかった。ソウルへ向かう際、本編六巻の35mmフィルムを監督・助監督・制作の三人が二巻ずつ持って飛行機に乗った。75分の物語が物理的な重さを持ち、スタッフの手荷物として国境を越えた時代の記録だ。知ると画面の手触りが変わる。
参考情報:公式資料(日)
日本語版では、大柄なムタを「ブタ」と呼び違えるだけで一文字の駄洒落が成立する。英語版は同じ音の関係を移せないため、名前を「Moo-ta」のように発音し、今度は牛と間違えた形へ置き換えた。翻訳は台詞の意味を運ぶだけでなく、笑いが起きる仕組みそのものを別の動物で作り直している。一筋縄ではいかない制作だ。
参考情報:映画データベース(米)
猫の国では多くの住人が二足で歩いても、前脚は猫の足として描かれる。ところがバロンだけは、手袋に包まれた長い指と親指を持ち、物を人間のように扱う。『耳をすませば』に登場した猫の人形から来た存在だと知ると、同じ猫の姿でも彼だけが別の法則で動いていることに気づく。映画の裏側が少し近くなる。
参考情報:映画データベース(米)
「猫王とルーン王子は左右で色の異なる瞳を持つ。」という話がある。だが、現時点で制作側の裏付けはそろっていない。気になる手がかりのまま保留にしておきたい。
参考情報:映画データベース(米)