最後の視線は、長く保ってもらえなかった
『大人は判ってくれない』の最後、海にたどり着いたアントワーヌの顔が止まります。映画史に残るあの静止画について、トリュフォー監督は、レオーがカメラを見ても、すぐに目をそらしてしまったからだと語っています。[1]
・欲しかった視線は、一瞬しかなかった
映画研究者リチャード・ラスキンが紹介する監督談によると、トリュフォーはジャン=ピエール・レオーに、カメラを見るよう指示しました。少年は指示どおりに見たものの、すぐに視線を外します。監督が残したかったのは、その直前の短いまなざしでした。そこで画面を止め、その瞬間を保ったという説明です。[1]
初めから「少年の顔を静止画にして終える」と決めていた、という証言ではありません。現場で得られた短い動きを、仕上げの方法で長い視線へ変えたという話なのです。
・一瞬の顔に、いくつもの読みが集まった
ラスキンは同じ論考で、この顔がさまざまに受け取られてきたことも紹介しています。希望を見た人、不安や幻滅を読んだ人、こちらを見る目に観客や社会への問いかけを感じた人。海へ逃げた後の少年がどうなるかも、映画は教えてくれません。[1]
ここで分けたいのは、静止画を使うことになった経緯と、完成した画面の意味です。監督が実務的な理由を語ったからといって、その顔を見て観客が感じたことまで、取り消されるわけではありません。
・物語は続きそうでも、映画はここで終わる
少年は、まだ解決していない問題を抱えています。それでも画面が動きをやめれば、私たちには、この映画がここで終わると分かります。ラスキンは、登場人物のその後が開かれていることと、作品が終わりを告げることは両立すると論じています。[1]
視線をもっと長く保ってもらえていたら、違う終わり方になったのかもしれません。欲しかった一瞬だけを引き留めたことで、あの顔は、見終えた後も観客が考え続ける余白を持ちました。