主な参考資料
- The Guardian
- American Cinematographer
- Directors Guild of America
- Los Angeles Times
2022年公開の本作で、『リトル・チルドレン』から16年ぶりに長編へ戻ったトッド・フィールドは、ケイト・ブランシェットのために脚本を書き、彼女が断れば作らなかったと語っている。指揮場面では「演じているように見える音」を嫌い、ドイツのホールに100人の演奏家を集め、ブランシェットが振る実演を録った。彼女は指揮者ナタリー・マレー・ビールに数週間学び、ドレスデン・フィルとのマーラー第5番リハーサルを自ら指揮し、バッハも演奏した。ジュリアードの長回しは二人だけで2日間動きを固め、スタッフ参加後さらに2日を要した。The Numbersの現行集計では北米興収約677万ドル、海外約2,250万ドル、世界累計約2,927万ドルである。指揮者の権力を撮るため、監督も100人の楽団と数日の工程を振り切った――映画作りも、少し大きな指揮棒を振る仕事らしい。
トッド・フィールドは2020年3月、ロックダウン中の約12週間で本作の脚本を書いた。リディア・ター役は最初からケイト・ブランシェットを想定しており、彼女が断れば別の俳優で作るのではなく、映画そのものを諦めるつもりだった。ブランシェットは脚本を一気に読み、出演をすぐに引き受けた。
トッド・フィールドは2020年9月、運転しながらケイト・ブランシェットの代理人と電話し、彼女の予定が今後3年間埋まっていると告げられた直後に車を衝突させた。事故後もポルシェに残った車内の異音は、本編でリディアが運転中に聞く正体のはっきりしない音として録音された。出演交渉が行き詰まりかけた時の事故が、登場人物の不安を表す音へ変わっている。
『リトル・チルドレン』(2006)から本作までの16年間、トッド・フィールドは映画作りを離れていたわけではない。レオナルド・ディカプリオらへ打診した企画、ジョーン・ディディオンとの政治スリラー、コーマック・マッカーシー原作の映画化などを進めたが、配役や予算の壁で成立しなかった。2020年に書いた本作は、長く続いた企画開発の中で実際に撮影まで進んだ復帰作である。
リディア・ターは架空の指揮者だが、冒頭で彼女を紹介するのは実在の作家アダム・ゴプニックである。劇中ではアレック・ボールドウィンの実在ポッドキャスト番組や、ウィーンの仕立屋エゴン・ブランドシュテッターも本人の名前で使われた。架空人物だけを現実の文化人と制度の中へ置くことで、観客が伝記映画だと思い込むほど具体的な経歴を作っている。
本作は、照明、録音、衣装など通常なら最後に流れる詳細なスタッフクレジットから始まる。トッド・フィールドは、権力者が一人で頂点に立っているのではなく、多数の働きによって支えられている構造を先に見せるため、この順番を選んだ。リディアの名前が広く知られる一方で、演奏や映画を作る人々の名前が見えにくくなるという主題を、上映開始時から示している。
ケイト・ブランシェットは役作りのためにドイツ語、ピアノ、指揮を並行して学んだ。ロシアの指揮教育者イリヤ・ムーシンのマスタークラス映像や、複数の指揮者によるグスタフ・マーラー「交響曲第5番」(1902)の演奏も研究している。ジュリアードの講義で弾くヨハン・セバスティアン・バッハ「平均律クラヴィーア曲集」(1722/1742)も本人の演奏である。
劇中でベルリンの楽団員を演じたのは、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者たちである。リハーサル場面では画面外の別の指揮者に合わせたのではなく、ケイト・ブランシェットの動きを見て実際に演奏した。彼女は台本どおりに腕を振るだけでなく、テンポや入りの合図を楽団へ伝えなければならなかった。
トッド・フィールドは当初、グスタフ・マーラー「交響曲第5番」(1902)は有名すぎるとして使用をためらった。音楽顧問ジョン・マウチェリは、葬送行進曲から嵐を経て愛へ進む曲の構造が物語に合うと説明し、選曲を勧めた。冒頭のトランペットをリディアが舞台袖へ遠ざける演出も、死の気配を自分から離そうとする行動として脚本へ組み込まれている。
オルガ役のソフィー・カウアーは、友人から送られたフェイスブックの募集を見て応募した音大生で、映画演技の経験はほとんどなかった。ズームでの審査後、エドワード・エルガー「チェロ協奏曲 ホ短調」(1919)の演奏映像を急いで提出するよう求められ、その演奏を見たトッド・フィールドらが起用を決めた。俳優へチェロを教えるのではなく、奏者本人の演奏から役を作る配役だった。
映画演技の経験がほとんどなかったソフィー・カウアーは、撮影前にマイケル・ケインのカメラ演技講義を動画で見て準備した。撮影現場ではケイト・ブランシェットとトッド・フィールドの指導を受けながら、音楽家として自然に行ってきた視線や呼吸を演技へ移していった。チェロの技術はすでに持っていたが、カメラの前で人物として存在する方法は現場で学んだのである。
オルガが弾くエドワード・エルガー「チェロ協奏曲 ホ短調」(1919)は、ソフィー・カウアー本人の演奏である。彼女がドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と合わせられたリハーサルは一度だけで、撮影ではケイト・ブランシェットの指揮に応じて生演奏した。整えた別録りへ差し替えず、オーディション場面に必要な緊張と不完全さも含めて使われている。
ジュリアードの講義は約10分間切れずに続くが、単に一方向から記録した場面ではない。通常なら約35カットに分ける画角を、俳優とカメラの移動だけで一つにつなぎ、ケイト・ブランシェットの演技が場面の速度を決めるよう設計した。最初のテイクは終盤の技術的な失敗で使えず、その後2日間に12回ほど重ねて完成させている。
トッド・フィールドと撮影監督フロリアン・ホーフマイスターは、人物が動かない場面ではカメラも動かさないという基本方針を置いた。オーケストラが演奏を始めると音楽に合わせてカメラを動かしたくなるが、リハーサル場面でも固定した位置から観察することを優先した。映像がリディアの感情を代わりに説明せず、観客が行動を見て判断できる距離を保っている。
撮影テストで気に入った古いツァイス製レンズは、被写界深度が不安定で、本編の撮影日程を通して使うには危険だった。そこでARRIのシグネチャー・プライムを基礎に、解像感を落とすLowresとコントラストを抑えるLowconという特注仕様を作った。古いレンズが人物の顔へ与える柔らかさを残しながら、アレクサ65などの大判デジタルカメラで安定して撮影できる形へ置き換えている。
撮影監督フロリアン・ホーフマイスターは、リディアが人前で作る「見せる姿」と、家庭でただ存在する時の姿を照明で分けた。公開インタビューや会食では方向の明確な主光を当て、シャロンや娘といる場面では強い主光を避けて柔らかな影へ置いた。楽団のリハーサルでは二つの状態が重なるため、輪郭を保ちながらもコントラストを弱めている。
ドレスデン文化宮殿のホール上部にある反射板は、奏者が互いの音を適切な強さで聞くために必要で、同時に譜面を読める明るさも作っていた。映画照明の都合だけで高さや位置を変えることはできないため、照明班は反射板へ磁石で黒い布を留め、既存の光を少しずつ抑えた。実際の楽団が演奏できる音響条件を残したまま、画面の明暗を整えている。
撮影監督フロリアン・ホーフマイスターの推定では、本作の約90%は実在する場所か、既存建物へセットを組み込んだ空間で撮影された。ドレスデン文化宮殿では客席の一部を外してクレーンや小型セットを置き、舞台裏を撮影拠点として使った。人物を巨大な無背景セットへ置くのではなく、現実の建築が持つ距離と音の響きを残している。
ヒルドゥル・グーナドッティルの劇伴は、観客へ感情を指示しないよう、環境音へ溶けるほど小さくミックスされた。ベルリンのトンネルでは、音楽が鳴っていると意識するより先に、不安を身体で感じる程度まで抑えられている。トッド・フィールドは劇場へ、ドルビーの基準値7、別方式なら85デシベルで再生するよう指定し、静かな音量設計を守ろうとした。
録音技師ローラント・ヴィンケは、通常はオーケストラ録音に使う複数マイクの配置方式「デッカ・ツリー」を各ロケ地へ持ち込んだ。装置をカメラの近くへ置き、画面で人物を見ている位置と同じ距離から部屋やホールの響きを収録した。台詞を常に近接マイクで明瞭にするのではなく、場所ごとの反響を残すことで、観客がその空間に座っているような音を作っている。
ドレスデン文化宮殿でのリハーサルでは、40を超える楽器へ個別のマイクを置き、演奏を楽器ごとに収録した。ただし個別マイクだけではホールの響きが消えるため、カメラのそばに置いたデッカ・ツリーでも空間全体を同時に録っている。撮影現場で生まれた演奏の速度を残しながら、完成時には楽器の細部と客席で聞く響きを混ぜられる設計だった。
リディアがオルガへ注意を向ける靴音は、トッド・フィールドと編集者モニカ・ヴィッリが、編集作業をしていたスコットランドの旧修道院で仮音として録った。その響きが場面に合ったため、専用スタジオで作り直さず完成版にも残している。一方、セバスチャンが鳴らすペンの音は、フィールドが数少ない喜劇的な瞬間として、現実より目立つ大きさまで強めさせた。
最終ミックスはロンドンのアビー・ロード・スタジオで、ドルビーアトモス用に仕上げられた。ただし音響チームは基準設備の結果だけで完成とせず、複数の映画館へDCPを持ち込み、コントラバスの低音や小さく置いた劇伴が意図どおり聞こえるか確認した。映写技師の経験があるトッド・フィールドは、上映する部屋も一つの楽器のように調整する必要があると考えていた。
ヒルドゥル・グーナドッティルが手がけた関連アルバムは、本編で鳴る音を登場順に並べた通常の劇伴盤ではない。練習中の断片、登場人物が聞く音、映画では完成まで到達しない演奏を組み合わせ、音楽が形になる過程を一枚の作品にした。劇中では聞こえないほど小さく置かれた劇伴や、リディアが準備していた音楽の完成形をアルバム側で確かめられる。
衣装デザイナーのビナ・ダイヘラーは女性指揮者も調べたが、リディアの主な参考にはヘルベルト・フォン・カラヤンら男性指揮者を置いた。普段は動きやすいゆったりしたパンツを選び、指揮台へ立つ時だけ腰回りに強い構造を持つパンツへ替えている。男性中心の制度で身につけた権威が、台詞だけでなく服の形にも表れている。
リディアが身につける腕時計は、文字盤が手首の内側へ向いている。指揮中に時計のガラスが照明を反射し、奏者の目を刺激しないようにするためで、衣装班が実際の指揮者の習慣を調べて取り入れた。画面では目立たないが、何を着けるかだけでなく、演奏中にどう着けるかまで役作りに含まれている。
終幕のゲーム音楽公演に集まる観客のため、衣装班は約250着のコスチュームを製作した。本編の大部分を占める暗いスーツとは異なり、短い場面の客席全体を別の文化と催しへ変える必要があったためである。数分の登場でも、リディアがそれまで支配していたクラシック音楽界とは異なる仕事場を、群衆の服装から成立させている。
脚本段階の人物名はTarで、ケイト・ブランシェットは発音しにくいとして末尾へRを足す案を出していた。その後ブダペストで、ハンガリー語の「薬局」を意味するgyógyszertárの表示にtárという綴りを見つけ、Aの上のアクセント記号をトッド・フィールドへ提案した。こうして人物名と題名に、現在の「Tár」という表記が加わった。
実家へ戻った場面では、兄がリディアを「リンダ」と呼び、古い持ち物にもLinda Tarrという名が残っている。冒頭で語られるレナード・バーンスタインへの師事についても、彼が1990年に亡くなった時期とリディアの年齢が合いにくいとして、トッド・フィールドは実際には学んでいない可能性を示した。名前だけでなく、世界的指揮者としての経歴にも本人が作った部分があると読める設計である。
実在の指揮者マリン・オールソップは、職業、同性パートナーとの家庭、若い女性指揮者を支援する制度など、リディアの設定が自分と表面的に重なることへ抗議した。女性が少ない職業で、ようやく中心人物になった女性を加害者として描くことは危険だと批判している。これに対してケイト・ブランシェットとトッド・フィールドは、特定の指揮者をモデルにした伝記ではなく、性別にかかわらず権力が人を腐敗させる過程を描いた作品だと説明した。