1996年公開、岩井俊二が架空都市イェンタウンを築き、約150分を費やして移民と円をめぐる世界を作った長編である。脚本の初稿は1994年頃にできており、演技未経験だったCHARAに岩井組を体験させるため先に『PiCNiC』を撮ったが、途中で『Love Letter』を作った結果、物語はほぼゼロから練り直された。中国ロケ案は4億円の予算では収まらず、8億円は必要との試算から国内のオープンセットへ切り替え、16ミリと35ミリを併用して岩井自身もカメラを回した。仕上げはアメリカで行われ、出演した伊藤歩は中学3年生で、高校受験と撮影を並行していたという。劇中のYEN TOWN BANDは現実にも活動し、シングルとアルバムがオリコンで同時1位となり、映画から生まれた架空のバンドが現実のヒットチャートを占拠するという実にイェンタウンらしい展開になった。日本での正確な単独配給収入は今回確認できず、日本映画製作者連盟の1996年配給収入上位表にも掲載されていないため、推測値は記載しない。
企画の原型は岩井俊二がまだ長編映画を一本も撮っていない時期に生まれていた。プロデューサーの河井真也はその世界観に強く惹かれたが、4〜5億円規模の映画を新人監督へ任せる承認は得られないと判断した。そこで『undo』『PiCNiC』『Love Letter』を段階的に成立させ、演出力と観客を呼べる可能性を一作ずつ証明した。初期作品群は偶然の助走ではなく、円都を映画にするために設計された長い制作ルートだった。
参考情報:インタビュー(日)
想定製作費4〜5億円という規模を成立させるうえで、最大の出資者となったのは小林武史率いる烏龍舎だった。小林は資金を供給する一方、劇中バンドの新曲と映画全体の劇伴も手がけた。通常のように完成した映像へ後から音楽を添えるだけではなく、企画を存続させる判断と音楽世界の設計を同じ人物が担っていた。グリコの成功が物語の中心へ入ってくる構成には、その制作体制がそのまま反映されている。
参考情報:インタビュー(日)
脚本の初稿は1994年頃に完成し、Charaへの出演依頼もその段階で行われていた。しかし先に『Love Letter』を撮り終えた岩井俊二は、別の物語でありながら、自分が『スワロウテイル』へ入れようとしていた要素をかなり使ってしまったと感じた。そのため既存稿へ部分修正を加えるのではなく、物語をほぼゼロから再構成した。完成版の大きく枝分かれする群像劇は、先行作との重複を避けるために一度壊された脚本から生まれている。
参考情報:公開資料(日)
演技経験のなかったCharaへグリコ役を依頼した岩井俊二は、通常のリハーサルだけで準備を終えなかった。彼女に撮影チームの空気や演出の受け取り方を体験してもらうため、先に『PiCNiC』を撮影した。そこで一本の映画を作り切ったあとに、歌手を夢見る娼婦という難役へ進んだ。『PiCNiC』は独立した作品である一方、Charaと岩井組が長期撮影へ入るための実地訓練という役割も担っていた。
参考情報:公開資料(日)
漫画のような絵コンテで未知の役へ入った。彼女が出演したいと思ったきっかけの一つは、漫画のようにカラーで描き込まれた岩井俊二の絵コンテである。現場では台詞が変わることもあり、決められた文を正確に再現するより、絵と場面の感情をつかむことが求められた。多国籍都市の抽象的なイメージを、演技経験のない主演者へ具体的に渡す道具がカラー絵コンテだった。
参考情報:公開資料(日)
当初は中国で円都を撮る計画があり、実際にロケハンも進められた。しかし岩井俊二が想定していた4億円の予算に対し、現場側の試算は約8億円に達した。そこで美術監督の種田陽平が国内撮影を提案し、日本の空地へ複数のオープンセットを建てる方針へ転換した。実在する海外都市を借りるのではなく、アジア各地で集めた断片を日本の景観へ重ねたため、円都はどこにもないのに妙に現実味のある街になった。
参考情報:公開資料(日)
海外ロケ案を見直すなかで、岩井俊二は家庭用のHi8で街を撮る案まで提案した。試算すると費用は大きく下がったため、その発想を発展させ、街を見せる引き画は35ミリ、人物へ寄る場面は二台の16ミリカメラで撮影する構成に落ち着いた。二台のうち一台は岩井自身が回している。画面の粒子感や急接近する手持ち映像は、予算を守りつつ都市のスケールと住人の呼吸を同時に残すための規格選択から生まれた。
参考情報:公開資料(日)
一つのモデル都市を再現していない。美術監督の種田陽平は、誰も見たことのない街を作るため、香港、台湾、タイ、マレーシアなど複数の地域を巡った。そこで見た門、スラム、急速な都市開発、取り残された空間の印象を別々に蓄え、日本のセットへ再配置した。娼婦街にはタイで見たスラムの記憶が使われるなど、円都の各地区には異なる都市の出自があり、それらが一つの地図へ縫い合わされている。
参考情報:公式資料
円都の街は一カ所に建てられた巨大セットではなく、豊洲、新浦安、鶴見など複数の場所に分かれていた。1990年代半ばの湾岸には、新しいビルやマンションが次々に建つ一方、その脇に広い空地や取り残された工業地帯が残っていた。セットの背後へ現実の開発風景が映り込むことも、隠すのではなく街の一部として取り込んだ。物理的に離れた東京・千葉・神奈川の場所が、編集によって新開発と荒廃の同居する円都へつながっている。
参考情報:資料・アーカイブ
アゲハが刺青を入れる医者のいる阿片街は、約85メートルに及ぶセットだった。しかし制作時点では予算がほとんど残っておらず、新しい造作だけで街を埋める余裕はなかった。種田陽平は、それまでの撮影で使ったセットや資材を寄せ集め、配置と汚しを変えて別の街区へ作り直した。画面の過剰な密度は、潤沢な物量を投入した結果ではなく、使い終えた美術を最後まで転用した現場の工夫から生まれている。
参考情報:公開資料
地図より先に街が完成していた。種田陽平は当時、街全体を俯瞰してから設計するのではなく、必要な地区を一つずつ作っていた。公開時に資料が必要となり、クランクアップ後、頭の中にできあがっていた街をスケッチなしで一枚の地図へまとめた。完成した地図は制作の指示書ではなく、複数のロケ地とセットを行き来した美術監督の記憶から生まれた円都の全体像である。
参考情報:公開資料
伊藤歩は小学時代に『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のオーディションを受けたが、役には選ばれなかった。本人はその場の記憶さえ薄れていた一方、岩井俊二は彼女の印象を覚えていた。当初は『FRIED DRAGON FISH』で浅野忠信が演じた殺し屋の妹役を考え、その後『スワロウテイル』の企画が動くと、オーディションをせずアゲハ役を直接依頼した。落選した場で残した印象が、数年後の代表役へつながったのである。
参考情報:公開資料(日)
伊藤歩がアゲハを演じたのは中学3年の終わり頃で、撮影は約4か月に及んだ。役には日本語だけでなく英語と中国語の台詞があり、英語ナレーションも担当している。同じ時期に高校受験を控え、朝まで撮影してから学校へ向かう日もあった。本人は達成感を味わう余裕より、一日ずつ必死に過ごした記憶の方が強いと振り返る。円都を見つめるアゲハの静けさは、実際には三言語、長期撮影、学業を同時に抱えた15歳前後の仕事だった。
参考情報:公式資料
演技経験の少ない伊藤歩に対し、岩井俊二は完成された演技を要求するより、場面の変化に応じてどう動くかを具体的に伝えた。本人は監督の言葉を信じ、その指示へ素直に反応していくと、画面では自然に芝居として見えたと振り返っている。多くを語らず周囲を観察するアゲハの存在感は、未経験を欠点として隠すのではなく、若い俳優がその場で感じた反応を物語の動きへ変える演出から作られた。
参考情報:公開資料(日)
記者役の桃井かおりを前に、グリコが証拠を隠すため口へ入れる場面で、Charaは思わず笑ってしまった。桃井は後に、訓練された俳優なら同じところで笑わないかもしれないと本人へ伝えたという。失敗として排除されてもおかしくない反応だが、画面ではグリコのとぼけた強さと、相手の圧力をかわす独特の間になっている。歌手を役へ迎えた効果は歌唱場面だけでなく、俳優の型に収まらない一瞬にも残った。
参考情報:公開資料
山口智子には次の連続ドラマ『ロングバケーション』の撮影が控えていたため、本作の撮影開始日は先延ばしできなかった。海外ロケハンとセット準備が難航しても、決められた日に撮り始める必要があった。ところがクランクイン後は予定した撮了日を越えて撮影が続き、連休中に必ず終えるというプロデューサーの指示が出た後も、現場は必要なカットを撮り続けた。豪華キャストの参加は作品の強みであると同時に、固定された開始と延びる終了の両方を管理する難題でもあった。
参考情報:インタビュー(日)
日本のイマジカでは現像テストが何度も行われ、スタッフもそのまま国内で仕上げる前提で準備していた。しかし岩井俊二と篠田昇は、自分たちの目指す映像を実現するにはロサンゼルスのフォトケムが必要だと判断し、撮影済みのネガを米国へ運んだ。貴重なオリジナルネガを海外へ出すリスクと、国内施設への説明を抱えながら、現像から上映用プリントまでを現地で実施した。米国ポストプロダクションは宣伝用の肩書ではなく、国内テスト後に工程そのものを移した決断だった。
参考情報:インタビュー(日)
完成披露試写の当日朝になっても、岩井俊二と上映用プリントはまだ日本へ戻っていなかった。プリントと共に空港から会場へ滑り込んだ監督は、上映開始まで約1時間という段階で、フィルムを切れる部屋を求めた。すでに関係者と観客が集まっているなか、気に入らない場面を実際にカットし、上映版を更新した。当時の編集はデータを差し替える作業ではなく、上映するプリントへ直接手を入れる工程であり、完成披露の直前まで作品の長さと流れが変わっていた。
参考情報:インタビュー(日)
物語の鍵となるカセットには、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」原盤が必要だと岩井俊二は考えた。しかし使用料は2000万円を超え、当初の音楽予算では到底収まらなかった。製作者側でもあった小林武史と河井真也は予算面から難色を示したが、小林は最終的に監督の意図へ同意し、自ら追加負担して原曲使用を実現した。単なる挿入歌ではなく、偽造紙幣のデータを隠した媒体そのものになる曲だったため、安価な再録音や別曲へ置き換えなかったのである。
参考情報:インタビュー(日)
小林武史は本作の劇伴を作るため、ロンドンの大規模なオーケストラを起用した。制作時は採算を先に計算せず音を優先できたため実現し、後年には、同じ規模の響きを新たに作るのは難しいほど贅沢な録音だったと振り返っている。路上の混乱や廃工場のざらついた映像に、狭い現場音ではなく大きく広がる音楽が重なるのは、実際に海外で大編成を録った制作規模によるものである。
参考情報:公開資料(日)
劇中バンドYEN TOWN BANDの「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」は、映画公開より前の1996年7月に発売された。最初から映画の宣伝用楽曲として短期消費されたのではなく、公開後も売上を伸ばし、10月7日付のオリコンチャートで1位を獲得、約85万枚のヒットとなった。劇中でグリコが娼婦から歌手へ上り詰める展開と並行し、Charaの歌声も架空のバンド名義のまま現実の音楽市場で成功した。
参考情報:公式資料(日)
劇中でYEN TOWN BANDが歌う八曲は、映画音楽集という名義ではなく、バンド自身のアルバム『MONTAGE』として1996年9月16日に発売された。「Sunday Park」「Mama's alright」「She don't care」「My Way」など、ステージと物語に関わる曲を一枚の作品として並べている。アルバムは初登場1位を記録し、架空のバンドに現実のディスコグラフィーが生まれた。グリコたちの音楽活動は本編の外でも同じ名義のまま続いたのである。
参考情報:公式資料(日)
岩井俊二が監督した「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」のミュージックビデオは、本編のダイジェストだけでなく、新たに撮影したカットを組み合わせた約5分の作品である。楽曲のヒットと本編の上映継続に伴い、上映館で追加併映され、1996年12月7日には独立した短編として劇場公開された。映画の中の歌が現実のヒット曲となり、その映像が再び映画館へ戻るという、作品と音楽の往復が完成した。
参考情報:公開資料(日)
伊藤歩は本作で、第20回日本アカデミー賞の新人俳優賞と優秀助演女優賞を同時に受賞した。中学3年の終わりから約4か月の撮影へ入り、英語と中国語を含むアゲハ役へ挑んだ仕事が、若手の将来性だけでなく一本の助演演技としても評価されたのである。本人は当時、岩井俊二や篠田昇、共演者に支えられて毎日をこなした感覚が強く、受賞しても「なぜだろう」と思うほど実感が薄かったと振り返っている。
参考情報:公式資料(日)
第20回日本アカデミー賞では、種田陽平が優秀美術賞、中村裕樹が優秀照明賞を受賞した。種田はバンコク、クアラルンプール、シンガポール、台北、香港などを巡って円都の表情を組み立て、中村は異なるフィルム規格が混在する現場で、微妙な光量の制御を求められたと振り返っている。円都を印象づける密集した造形と、人物や街を包む不安定な光は、別々の技術部門の仕事として公式に評価された。
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2013年3月20日発売のBlu-rayは、岩井俊二監修で本編をHDリマスター化し、日本語・英語・中国語が混在するオリジナル音声を5.1チャンネルとステレオで収録した。初回版には、旧DVD特別版へ収録されていたメイキング・ドキュメント『円都』を別DVDとして完全復刻し、当時のアウターケースを意識したスリーブも付属した。映像を高精細化するだけでなく、巨大セットや長期撮影の過程を追える制作記録も同時に戻した商品である。
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公開30周年の2026年、岩井俊二完全監修で4KリマスターとDolby Atmos化が行われた。4K版は2025年の東京国際映画祭で先行上映されたが、全国公開へ向けてその版にさらに調整を加えている。16ミリと35ミリが混在する本編を高解像度化するだけでなく、日本語・英語・中国語、街の雑音、YEN TOWN BANDの音楽が重なる作品を立体音響へ再構成した。2013年のHDリマスターからもう一段、映像と音の両方を劇場用に更新した版である。
参考情報:公式資料(日)
YEN TOWN BANDは映画公開後も終わらなかった。2015年には約19年ぶりの新曲「アイノネ」を発表し、新潟県十日町市で12年ぶりのライブを行った。さらに全国公演へ活動を広げ、劇中バンドが再結成という現実のバンドと同じ時間を持つようになった。円都の物語から生まれた音楽は、公開時の宣伝期間を越え、約20年後にも新作を生み出すプロジェクトへ成長した。
参考情報:公式資料(日)