主な参考資料
- AFI
- TIME
- American Cinematographer
- Library of Congress
- The Academy
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1978年公開。アレクサンダーとイリヤ・サルキンドらは、ワーナーが完成品を買い取るネガティブ・ピックアップ方式で資金リスクを背負い、『スーパーマン』と続編をほぼ同時に撮る巨大企画を立ち上げた。『オーメン』を成功させたリチャード・ドナーは、荒唐無稽な題材ほど真剣に扱う「真実味」を現場の合言葉にし、トム・マンキーウィッツと脚本を整理しながら、観客に本当に人が飛んでいると思わせる撮影技術を追求した。主演には著名スターではなく細身のクリストファー・リーヴを選び、筋肉を詰め物で作る案を退けた本人がトレーニングで体を作った。一方、約19か月に及ぶ二作並行の撮影は予算と日程を膨らませ、ドナーと製作者側の関係は悪化し、彼は第1作を完成させた後に続編から外された。約5,500万ドルの製作費に対して世界興収は約3億ドルとなったが、空を飛ぶ男を信じさせた現場では、監督と製作者の信頼関係だけが最後まで離陸できなかったのである。
アレクサンダー・サルキンドとイリヤ・サルキンドは1975年、300万ドルで25年間の映画化権を取得した。コミックの人気を借りた低予算企画ではなく、最初から国際市場を狙う大作として進める契約だった。完成までには脚本、監督、撮影地が何度も変わり、権利取得から公開まで三年以上を要した。
マリオ・プーゾの初期脚本では、クラークは新聞記者ではなくテレビ記者、ロイスは天気予報担当、レックスはルーサー・ラックスと改名されていた。ルーサーの本拠地には鏡の迷路があり、当時のテレビ文化を取り込んだ風刺喜劇へ傾いていた。後の改稿でデイリー・プラネットやおなじみの人物関係が戻され、神話的な導入と現代都市の冒険へ整理された。
ロバート・ベントン、デヴィッド・ニューマン、レスリー・ニューマンがプーゾ稿を引き継ぎ、ニューマン夫妻だけでも六、七回の改稿を重ねた。撮影開始後はトム・マンキーウィッツが第1作と第2作を整え、人物の口調と物語の現実味を調整した。しかし全米脚本家組合の裁定により、画面上の肩書は脚本家ではなく「クリエイティブ・コンサルタント」となった。
リチャード・ドナーは制作方針として「ヴェリシミリチュード」、つまりもっともらしさを掲げた。空を飛ぶ人物や崩壊する惑星を写しても、俳優の感情、光、物の重さは現実として扱うという意味である。特撮、衣装、演技を同じ基準で判断したことで、コミックを笑いの対象にせず大作映画として成立させた。
第1作と『スーパーマンII』を続けて撮る計画により、当初1500万ドルとされた予算は2000万ドルへ増えた。特撮の試行、再撮影、長期化した複数班の撮影が費用を押し上げ、両作合計の最終額には7,000万ドル台から1億900万ドルまで幅のある証言が残る。単純な一作分の製作費として断定できないほど、二本の勘定が絡み合った。
サルキンド親子は以前、『三銃士』の撮影素材を二本へ分け、出演者から報酬をめぐる反発を受けていた。本作では同じ問題を避けるため、一回の契約が一作品だけを対象とする「サルキンド条項」が俳優契約に置かれた。第1作と続編を同時進行する製作方法が、物語だけでなくハリウッドの契約文面にも痕跡を残した。
当初はガイ・ハミルトンが監督し、イタリアで撮影する計画だった。マーロン・ブランドをめぐる事情で制作拠点が英国へ移ると、税務上の亡命者だったハミルトンは国内に長期滞在できず、リチャード・ドナーが後任となった。撮影地の変更が、作品全体の演出方針まで変える監督交代へ連鎖した。
主役探しは約二年続き、ポール・ニューマン、クリント・イーストウッド、アル・パチーノ、ロバート・レッドフォードら多数の名が検討された。スターの名前で企画を売る案と、観客が俳優ではなくスーパーマンを見る案がせめぎ合った末、一般にはほぼ無名だったクリストファー・リーヴへ方向転換した。候補者の多さは、原作の顔を壊さず興行を保証する難しさを示している。
クリストファー・リーヴは身長と演技を評価された一方、細身すぎるとして最初は有力候補から外された。衣装の下へ発泡素材の筋肉を入れる案を断り、実際に体を作る条件で役を獲得した。完成版の堂々とした姿は、既に理想体型だった俳優を見つけた結果ではなく、配役後に役へ近づけた成果である。
元ボディビルダーでダース・ベイダーのスーツアクターでもあるデヴィッド・プラウズが、リーヴの体作りを指導した。毎日二時間のウェイトトレーニング、九十分のトランポリン、高たんぱくの食事を続け、資料によって約20〜30ポンドの増量が記録される。筋肉だけでなく、トランポリンで離陸と着地の姿勢も繰り返し練習した。
リーヴはクラークでは背を丸め、声を高くして動作を途切れさせ、スーパーマンでは胸を開き低い声でゆっくり話した。クラークの人物像には『赤ちゃん教育』のケーリー・グラントも参考にした。ロイスの部屋で眼鏡を外し、背筋と声だけで正体を明かしかける場面は、同じ顔を別人として見せる設計が最もよく分かる。
ロイス役にはスーザン・サランドン、ジェシカ・ラング、ストッカード・チャニング、アン・アーチャーらが検討された。マーゴット・キダーの決定は主要撮影の開始直前で、既に巨大セットと複数班が動き出す寸前だった。会話の速さとユーモアを持つロイスが決まったことで、リーヴの生真面目なスーパーマンとの対照が整った。
ジョー=エル役のマーロン・ブランドは、12日間で225万ドルに加え、興行収入に連動する歩合を受ける契約だった。無名のリーヴより先にブランドとジーン・ハックマンを発表し、企画への出資と配給の信用を作った。短い出演時間に対する報酬というより、大作を成立させる看板への支払いだった。
ブランドは風邪をひいた状態で撮影初日を迎え、強い照明で約41度に達するセットと約14キロの衣装に耐えた。クリプトン評議会での長い演説は一回で撮り終えられた。台詞カードの逸話だけでは見えない、集中力と撮影効率を示す初日の記録である。
ブランドはクリプトン人が人間と同じ姿である必要はないとして、ジョー=エルを緑の鞄やベーグルにし、声だけで演じる案を出した。ドナーは、コミックを読んだ子どもなら父親の姿を知っていると説得し、通常の人物として出演させた。荒唐無稽な提案を退けた理由も、現実性ではなく原作を知る観客への誠実さだった。
ブランドは台詞を完全に暗記するより、その場で言葉を探すため視線の先へ台詞を置く方法を使った。赤ん坊のカル=エルとの場面では、おむつ付近に台詞を置いたという証言がメイキングで繰り返されている。完成映像では父親が子どもを見つめているように見え、撮影上の仕掛けが人物の視線と重なった。
口ひげを剃りたくないジーン・ハックマンに対し、ドナーは自分も剃ると約束した。ハックマンが剃って現れると、ドナーはあらかじめ付けていた偽物の口ひげを外し、約束を文字どおり実行した。頭髪は剃らず、劇中で複数のかつらを使い、最後に禿頭を見せる演出へ変えられた。
1948年の連続活劇でスーパーマンを演じたカーク・アリンと、ロイス役のノエル・ニールが、列車内のロイスの両親として出演した。若いクラークが列車を追い越す場面で、過去の映像版を担った二人が未来のロイスを見守っている。画面上では役名も俳優名も表示されない小さな継承である。
少年クラークを演じたジェフ・イーストは、リーヴに近づけるため義鼻と髪の処置を施して撮影した。完成版では台詞の大半がクリストファー・リーヴの声へ置き換えられ、本人は事前に知らされていなかったと後年語っている。列車を追い越した直後の叫びには、イースト本人の声がわずかに残る。
プロダクション・デザイナーのジョン・バリーには、クリプトンを設計し建設する時間が11週間しかなかった。結晶を拡大撮影した写真集から未来的な形を見つけ、建築、衣装、機械を白い結晶の体系へ統一した。金属機械を並べる一般的な宇宙像と距離を取り、滅びる惑星に冷たく抽象的な文明の外観を与えた。
クリプトン人の衣装には、前面投影用スクリーンにも使う3M製の再帰反射素材が使われた。カメラと同じ方向から照明を当てると光がレンズ側へ戻り、輪郭を失わず白く発光して見える。半透明鏡と専用ライトボックスを組み合わせたため、俳優の顔は普通に写しながら衣装だけを異様に輝かせられた。
撮影は一時、英国、米国、カナダなどで最大九班が動いた。撮影監督ジェフリー・アンスワースは各班のラッシュを確認し、違うスタッフと場所で撮った素材が同じ作品の光に見えるよう調整した。特撮班、ミニチュア班、ロケ班を単に並行させるだけでなく、一人の撮影監督が画面全体の基準を保った。
クリプトンでは再帰反射素材とカメラ正面の光を使い、輪郭が白く輝く抽象的な画面を作った。地球では薄い霧フィルターと自然な光へ切り替え、スモールビルとメトロポリスを人間が暮らす場所として撮った。三つの章が別の映画に分裂しないよう、色を変えながらも柔らかな階調は共通している。
スモールビルの墓地場面では、撮影監督ジェフリー・アンスワースが晴天の強い影を避け、曇り空の均一な光を選んだ。アルバータの広い土地を雄大な観光風景にせず、クラークと母の喪失へ視線を集めている。空を自由に飛べる青年が、父の死だけは変えられない場面を静かな自然光で支えた。
ジェフリー・アンスワースは公開前の1978年10月に亡くなり、映画冒頭には献辞が置かれた。最終的な色調整はピーター・マクドナルドとデニス・クープらが、日々のラッシュと本人の方針を手掛かりに仕上げた。多数班の映像をまとめた撮影監督の仕事は、本人不在の仕上げ工程でも基準として残った。
リーヴ用の衣装は25着用意され、約6枚のマントは立つ、座る、飛ぶ、着地するといった動作ごとに使い分けられた。飛行用のマントには細い線を入れ、無風のスタジオでも後方へ流れる形を保った。観客には一着に見えるスーツを、ワイヤー、照明、水、姿勢に合わせて複数の撮影道具へ分けていた。
長い移動では天井レールとワイヤー、接近した顔では背中を支えるポール、奥行き移動では前面投影とズーム、遠景では人体模型を使った。飛行は一つの発明で解決せず、距離、速度、カメラ角度ごとに方法を変えている。異なる仕掛けを編集でつなぎ、同じ人物が連続して空を移動している感覚を作った。
ゾラン・ペリシッチのゾプティック方式では、カメラ側のズームと背景を映す投影機のズームを機械的に同期させた。俳優がほぼ同じ場所にいても、人物と背景の大きさが反対に変化し、画面の奥から手前へ飛んでくるように見える。後から人物を貼り付けるだけの合成より、撮影時に光と遠近を合わせやすい方法だった。
飛行機の操縦経験があるリーヴは、空中でどちらの肩を下げ、腕と視線をどう向ければ旋回して見えるかを考えた。ワイヤーに吊られた受け身の姿ではなく、自分で進路を選ぶ人物として動いた。特撮担当者が「最良の効果はリーヴ自身」と評した理由は、装置の限界を身体の小さな動きで隠した点にある。
スーパーマンがロイスを抱えて夜空を飛ぶ約五分の場面は、接写を含めて多方向から撮影し、完成まで三か月を要した。リーヴとキダーは代役を使わず、吊り具、髪、衣装、視線、投影背景の位置を細かく合わせた。穏やかな会話へ見せるため、身体を固定する装置の負担を表情に出さない演技も必要だった。
ロイスをバルコニーへ降ろすスーパーマンは、四か月前に撮った映像を前面投影したものだった。その投影が終わってから19秒後、リーヴ本人がクラークの衣装で室内の扉から入り、一続きの画面で二つの姿を成立させた。合成映像、俳優の着替えではなく、投影面と入口の距離を利用した舞台的な仕掛けである。
デイリー・プラネット社の外観とロビーには、1930年完成のデイリー・ニューズ・ビルディングを使った。ロビー中央の巨大な地球儀は映画用セットではなく、建物に元から設置されていた実物である。現実の新聞社建築が既にコミックの象徴に近かったため、装飾を作り込まずにメトロポリスの中心として使えた。
R/グリーンバーグ・アソシエイツは、スリットスキャン技法で出演者名を光の軌跡とともに手前へ飛ばした。1938年のコミックを映す小さな白黒画面から画面が宇宙へ広がり、ジョン・ウィリアムズの主題曲とともに大作の規模を宣言する。主人公が登場する前に、文字と音楽だけで飛行の速度と高揚感を体験させる構成である。
ジョン・ウィリアムズ作曲、レスリー・ブリッカス作詞の「キャン・ユー・リード・マイ・マインド」は、マーゴット・キダーが歌う版も録音された。完成版では歌唱を外し、ロイスの内面を語る朗読として旋律に重ねた。空中を飛ぶ非現実的な場面を、突然のミュージカルにせず人物の心の声として保つ変更だった。
デレク・メディングスの班は、ゴールデンゲート・ブリッジに全長約18〜21メートル、フーバーダムに高さ約12メートルの模型を作った。橋上の車両も縮尺を合わせ、ダムには六台のポンプで水を補給して流量を保った。模型を大きくすることで、水や車の動きを実物に近い重さで撮り、低速度撮影と組み合わせて災害の規模を作った。
第51回アカデミー賞では、レス・ボウイ、コリン・チルヴァース、デニス・クープ、ロイ・フィールド、デレク・メディングス、ゾラン・ペリシッチへ特別業績賞が贈られた。マット画、機械効果、撮影、光学合成、ミニチュア、ゾプティックという異なる仕事が、一つの飛行世界として評価された。通常の一部門では収まりにくい複合技術の成果だった。
劇場公開版の後、未使用場面を戻した188分のテレビ放送用版が作られた。2017年に35ミリの画面原版が見つかって高精細化され、日本では188分版と151分のディレクターズ・カットを収めた2枚組ブルーレイとして発売された。単なる「完全版」ではなく、テレビ販売のために長くした編集と、監督が整えた編集を別々に比較できる商品である。
全米501館の公開初週末で746万5343ドルを稼ぎ、当時の歴代3位となった。一週間では1204万4352ドルに達し、三週間後には805本のプリントで4733万3567ドルを記録した。宣伝だけでなく初動と上映館拡大が続いたことで、同時撮影していた続編を完成させる商業的な根拠が生まれた。
2017年、米国議会図書館は本作を国立フィルム登録簿へ加えた。公開時の興行成功や特撮の新しさだけでなく、コミックの人物を大予算の実写映画で真剣に扱い、後のスーパーヒーロー映画の制作基準を作った作品として保存対象になった。選定は「人気作」の評価を越え、米国映画文化の記録として残す判断である。
若いケヴィン・ファイギは『スター・ウォーズ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)と並べて本作を重要な映画として挙げた。就職時にはリチャード・ドナーの製作会社を選び、ローレン・シュラー・ドナーの助手として映画業界へ入った。後にマーベル・シネマティック・ユニバースを統括する人物の職歴が、ドナー版を作った環境から始まっている。
ジェームズ・ガンはドナー版を好きなコミック映画の上位に挙げ、猫を救った後に微笑むリーヴの姿を重視した。主人公が義務だけでなく人助けを楽しむ人物であることと、ジョン・ウィリアムズの希望に満ちた主題曲を、新しい映画の基準として語っている。後世へ残ったのは飛行技術だけでなく、超人の善意をどう表情で見せるかという演出だった。
1977年7月、ニューヨークでロケをしていた夜に市内の大停電が発生した。撮影班は街灯の配線から照明電源を取っていたため、撮影監督ジェフリー・アンスワースは自分たちが停電を起こしたのではないかと一瞬考えたという。メトロポリスの夜景を作る現場が、現実の都市の明かりをすべて失う出来事に遭遇した。
ジョー=エル役のマーロン・ブランドについて、最初の打ち合わせでスーツケースや緑のベーグルとして登場する案を出したという逸話が語られている。かなり有名な話だが、ブランドの奇人伝説として面白く広まりやすい小ネタでもある。