主な参考資料
- ComingSoon.net
- Los Angeles Times
- The Guardian
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2008年公開、原題『ストリート・キングス』。ジェイムズ・エルロイが1990年代に『ナイト・ウォッチマン』の題で書いた初のオリジナル脚本は、ロドニー・キング事件後のロサンゼルスを背景にしていたが、カート・ウィマーとジェイミー・モスの改稿で公開当時の設定へ更新された。企画はスパイク・リーやオリヴァー・ストーンら複数の監督候補を経て長く漂流し、キアヌ・リーブスが『ハーシュ・タイムズ』を見て望んだデヴィッド・エアーが最終的に監督した。約2,000万ドルの製作費に対して世界興収は約6,550万ドルとなり、十年以上寝かされた企画としては商業的な出口を確保した。警察組織の腐敗を描く脚本が、ハリウッドの指揮系統を何度もたらい回しにされたのだから、制作過程まで妙に作品らしい。
出発点はO・J・シンプソン評決期のロサンゼルスだった。初期稿はO・J・シンプソン事件をめぐって警察、人種、証言の信頼が激しく争われた1996年に置かれ、主人公もその空気を体現する警官として作られた。映画化までに時代設定は更新されたが、何が犯罪で、誰が正義を名乗れるのかという疑いは消えていない。古い時事性が現代化されて倫理の濁りへ変わったと知ると、題名の「街の王たち」も皮肉に響く。
エアーは『トレーニング デイ』の脚本家として知られていたが、監督作の実績はまだ限られていた。リーブスが注目したのは肩書ではなく、『Harsh Times』が持つ街の手触りと、壊れかけた男を内側から追う視線だった。その判断によって、長く複数の監督候補を渡った企画が、ロサンゼルスを知る作家の演出へ収束する。主演が前作一本を見て監督を引き寄せたと知ると、本作がエアー作品らしくなった経緯が分かる。
『Street Kings』はエルロイの初期稿から十年以上を経て、複数の監督候補と脚本家を通過しており、その履歴だけを見れば、完成版も妥協の産物と思いたくなる。だがエアーは公開時、上映された版が自分のカットだと語り、画面の選択を引き受けた。企画の起源と完成版の作者は同じではない。長い開発を最後に一つの視点へまとめた事実が、監督作としての輪郭を強くしているうえ、場面の細部にも新しい意味が見えてくる。
1990年代の時事劇を2000年代の映画へ更新するには、携帯電話や年号を変えるだけでは足りない。脚本は、記者だった恋人を看護師へ置き換え、監察官ビッグスとの直接対決を加えた。これにより、事件を報道へ持ち出す道より、警察の内部で正義と権力が衝突する道が太くなった。
本作はLAPDを思わせる組織の腐敗を描くため、元本部長ダリル・ゲイツの出演は単なる著名人の顔見せでは済まない。ゲイツは脚本の中心を、悪事を重ねた警官が自分を取り戻す贖罪に見たとエアーは説明している。葬儀での敬礼は台詞のない短い場面だが、現実の警察史を知る観客には複雑な響きを持つ。
『The Night Watchman』という題なら、観客は夜のロサンゼルスを巡回する一人の警官へ目を向ける。『Street Kings』へ変わると、誰が街の秩序を決めているのかという複数の力関係が前へ出る。ラドローだけでなく、ワンダー、ビッグス、犯罪者たちまで「王」の座を争うように見えるのである。題名の主語が単数から複数へ変わったと考えると、完成版の裏切りの連鎖を短く言い表した改題だと分かる。
脚本にはエルロイ、カート・ウィマー、ジェイミー・モスの名が並ぶが、撮影へ近づくほど俳優と監督による実践的な改稿も必要になる。リーブスはエアー以前から関わり、エアー参加後は台詞の調子や人物の反応を詰めた。紙の上で成立する警官像を、現場で動く身体へ移す作業だった。クレジット外の対話が完成版の声を作ったと分かると、長い企画史と演技が切れずにつながる。
キアヌ・リーブスは射撃や室内への進入訓練に加えて、撃つか撃たないかを瞬時に選ぶ警察用シミュレーションも経験した。警官らしい銃の扱いは構え方だけではなく、どこへ動き、誰を脅威と見なし、何秒で決断するかまで含まれる。完成版では、その正確な動きが正義を保証せず、むしろラドローの独断を速める危うさにもなっている。
アクション映画の体作りは速さや強さを強調しがちだが、本作でリーブスが求めたのは「厚さ」と「重さ」だった。ラドローは敏捷な英雄ではなく、組織の習慣と自身の怒りを体に蓄えた警官である。増した重量感は、狭い室内で相手へ近づくときの威圧や、孤独な場面の停滞にも働く。動ける体より背負っている体を作ったと分かると、衣装の下の役作りまで場面の気分につながる。
キアヌ・リーブスは警官との同乗取材で、その一人から法執行官の過覚醒と家庭生活を扱う本を渡された。脅威へ備え続ける緊張は現場で役立つ一方、家庭へ戻っても切れず、私生活を壊すことがある。ラドローの飲酒や人との距離には、職業上の長所が生活では負担になるという役作りの視点が重ねられている。
都市映画は、有名な建物を映すだけで場所らしさを作れる。本作が選んだのは、主演が長く住んでいても足を踏み入れたことのない地区を含むロサンゼルスだった。ラドローには縄張りに見える街が、演じるリーブスには新しい地形として立ち上がる。その差が、慣れと緊張の混ざった視線を生む。一つの都市に複数の現実があると分かると、乾いた道路や店舗の背景も物語の主役に近づく。
デヴィッド・エアー監督は、撮影日の合間にも脚本を書き直し、翌日分のページをスタジオの承認へ回すことがあった。長年検討された脚本でも、俳優、場所、撮影時間が具体化すると、紙の上では分からなかった問題が現れる。十年単位で開発された企画を、一日単位の撮影と改稿で完成へ近づけた現場だった。
航空撮影は機材、許可、操縦、安全管理が必要で、思い付きだけでは動かない。ところが本作では、エアーの要望から約10時間後に撮影が実現したという。街路の接写を得意とする監督へ、都市全体を見渡す視点が急速に与えられた。小規模映画の感覚とスタジオ映画の機動力が交差した逸話であり、地上の汚れた捜査と空からの巨大で広大な都市像の対比もはっきりと意識したくなる。
汚職警官を追う監察官は、物語の道徳的な答えになりやすい。ローリーとエアーは、ビッグスをそれほど単純に置かなかった。内部を観察し、情報を握り、いつでも人を切れる存在には、秘密警察のような怖さがある。製作者の配役提案がその理解と結び付いたことで、作品全体の灰色が保たれた。悪を追う人物も安心できない顔にしたと分かると、結末まで誰の権力を信じるかが揺れる。
原作者の小説が映画になることと、本人が映画用に書いた脚本が製作されることは別である。本作はエルロイにとって後者の最初の実現作で、完成までには旧題、監督候補、改稿者が何度も変わった。2004年にはスパイク・リー参加が公に報じられ、アーカイブには改訂稿も残る。十四年近い開発の層が一つの公開版へ畳まれたと分かると、題名変更以上の長い制作史が見えてくる。
エアーが音声解説で、本作を43日間の厳しい日程で撮ったと語ったという話がある。ただし、出どころまでたどれる当事者の証言や制作資料は見つかっていない。そんな経緯があったのなら面白いが、今は可能性の一つとして見るのがよさそうだ。
電話帳で殴る場面には発泡素材の小道具があり、ザ・ゲームが本物を試した後すぐ小道具へ戻したという話がある。ただし、この話を支える当事者の発言や制作記録はまだ見つかっていない。そんな経緯があったのなら面白いが、今は可能性の一つとして見るのがよさそうだ。
裏路地の追跡や聞き込み場面をサウス・セントラルで撮り、地域住民が見学・交流できる開放的な現場だったという話がある。ただし、噂の出どころや制作側の説明まではたどれなかった。ありえる話ではあるものの、そのまま信じるには材料が足りない。
エアーとジェイミー・モスがスイスで改稿し、後に妻とワンダーの関係を描く大きなサブプロットが削除されたという話がある。ただし、今確認できる資料には、この経緯を示す記録がない。そうだったのかもしれないが、事実としては言い切らない方がよさそうだ。