主な参考資料
- Vanity Fair
- YouTube
- American Cinematographer
- CGW
- WIRED
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2009年公開。J・J・エイブラムスは長く続いたシリーズを若い新キャストで再起動しつつ、旧作の歴史を消さずに別の時間軸へ分岐させることで、古参と初見客の双方を映画館へ呼び戻そうとした。撮影監督ダン・ミンデルとは35ミリのアナモフィック撮影を選び、CG一辺倒にせず、照明をレンズへ直接当てて大量のフレアを発生させるなど、未来世界に物理的な手触りを持たせた。エンタープライズの機関室にはセットではなくカリフォルニアのビール工場を使い、当初2008年末だった公開も、完成への不安ではなく夏興行への期待から2009年5月へ移された。約1億4,000万ドルの製作費に対し世界興収は約3億8,700万ドルとなった。半世紀級の宇宙船を若返らせる処方箋が、ビール工場とレンズの反射だったのだから、未来は案外アナログである。
ネロが過去へ現れた瞬間、従来の歴史が書き換えられたのではなく、そこから別の時間軸が枝分かれした。老スポックが旧シリーズから来た本人として登場するため、過去十作とテレビシリーズの出来事は消えずに存続する。一方、新しい時間軸ではカークの父の死やバルカン星の崩壊まで描ける。長年の設定を保存しながら、先の展開を予測できない再始動にするための脚本上の解決策だった。
レナード・ニモイは長年、スポック役への復帰依頼を断っていた。J・J・エイブラムス、ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマンから企画を聞いて脚本を読むと、その場で参加を決めたという。老スポックは旧シリーズを保証するための記号ではなく、若いカークを導き、若いスポックへ未来を託す役である。ニモイ自身も、この出演によってスポックとの関係に満足できる区切りがついたと語っている。
クリス・パインは最初のオーディションで、宇宙船や技術に関する台詞を現実の言葉として扱えず、自分でもひどい出来だったと振り返っている。J・J・エイブラムスはその映像を見ておらず、約7か月後に再び機会が巡ってきた。撮影中も意味の分からない専門用語に迷うと、監督から「観客に何かが起きていると伝わればよい」と助言された。カークの勢いは、用語を完璧に説明する演技より、危機の切迫感を優先して組み立てられた。
新キャストは、旧シリーズの俳優をそっくり再現するとパロディに見える危険を意識していた。サイモン・ペッグはジェームズ・ドゥーアンの息子クリスとも話し、スコッティの精神を受け継ぎながら声色のコピーにはしなかったと説明している。ザカリー・クイントやカール・アーバンも、既知の人物だと分かる要素を保ちつつ、自分の演技として成立させた。結果として乗組員は懐かしい人物の再演ではなく、若い時代の別のアンサンブルになった。
韓国系米国人のジョン・チョーは、日系米国人として知られるヒカル・スールーを自分が演じてよいのか迷っていた。相談を受けたジョージ・タケイは、1960年代のテレビでスールーは特定の一国ではなく、当時ほとんど姿のなかったアジア系全体を代表する人物として作られたと説明した。チョーは旧演技の低い声まで真似る案も考えたが、自分の世代のスールーとして役を組み立てた。
クリス・ヘムズワースにとって、ジョージ・カーク役は長編映画への初出演だった。登場時間は短いが、艦長を失ったUSSケルヴィンの指揮を引き継ぎ、妻と生まれたばかりの息子を含む約800人を逃がす。制作関係者の回想ではマーク・ウォールバーグも候補だったが実現せず、当時はまだテレビ中心だったヘムズワースが起用された。のちのスター性を先取りした配役が、カークの人生を決める冒頭を支えている。
エンタープライズのコンピューター音声は、旧テレビシリーズから長く同役を務めたメイジェル・バレットが担当している。病状が進んでいたため録音は自宅で行われ、作業を終えたのは2008年12月の死去のおよそ2週間前だった。画面上の俳優と艦内デザインが一新されても、船が応答する声だけは創始期からの連続性を保っている。夫ジーン・ロッデンベリーとともにシリーズを支えた彼女の最後の映画出演でもある。
ロベルト・オーチーとアレックス・カーツマンは、生まれ育った環境も物事の考え方も異なる脚本家コンビである。二人はその差を、直感で動くカークと論理を優先するスポックの関係へ重ねた。どちらか一方が正解なのではなく、対立する発想が組み合わさったときに危機を突破できる構造である。宇宙艦隊の仲間が集まる物語であると同時に、共同脚本そのものを二人の主人公へ置き換えた再出発になっている。
J・J・エイブラムスは、宇宙映画の背景が作り物だけで閉じることを避け、可能な限り実在する場所で撮る方針を立てた。USSケルヴィンの下層部にはロングビーチの発電所、エンタープライズの機関部にはヴァン・ナイズの醸造所、新兵が乗船する宇宙港には第二次大戦期の巨大格納庫が使われている。施設が元から持つ配管、油汚れ、奥行き、照明を残し、必要な範囲だけデジタルで延長した。
撮影はデジタルではなく35mmフィルムのアナモフィック方式で行われた。ダン・ミンデルはレンズを比較し、50mmのパナビジョン・プリモを画面の基準に選んだ。アナモフィック特有の歪みや光の伸びは視覚効果との合成を難しくするが、人物と空間に均一ではない厚みを与える。宇宙船のCGも、その光学的な癖へ合わせて仕上げられた。
手で作ったレンズフレア。壁面の照明をレンズへ直接向け、それでも足りないときはスタッフがキセノン懐中電灯をカメラへ向け、撮影中に手で動かした。光がいつ、どの形で走るかを完全には制御できない方法である。整然とした未来の艦橋へ、フィルム撮影の予測不能な光を混ぜる狙いだった。
USSケルヴィンの艦橋には、『フラッシュ・ゴードン』の冒険活劇、1965年型コルベットの広告、葉巻ラウンジという三つの異なる意匠が持ち込まれた。エンタープライズより古い世代の船だと分かるよう、暗い色調と硬い直射光が使われている。華やかな未来都市を模倣するのではなく、20世紀の工業製品と社交空間を組み合わせたことで、使い込まれた航海船の雰囲気を作った。
エンタープライズは、円盤部、細い胴体、二本のナセルという旧シリーズの輪郭を崩せなかった。そのうえで美術班は、建築家エーロ・サーリネンを思わせる連続した曲線を船体へ加えた。VFX班は約4か月をかけ、カメラの距離やレンズに応じて細部と比率を調整している。懐かしいシルエットと、工場から出たばかりの新造船らしい表面を同じ設計へ収めた。
候補生たちがシャトルへ乗り込む宇宙港には、第二次大戦期に造られた巨大な飛行船格納庫が使われた。内部は全長約1000フィート、幅約300フィートあり、大人数の俳優、車両、照明を同じ空間へ置ける。制作陣は床と人物の移動を実写で撮り、格納庫の先に見える宇宙港だけをデジタルで拡張した。最初から全景を合成するより、距離の基準が画面内に残る方法だった。
USSケルヴィンの機関部はロングビーチの発電所で撮影され、油汚れと重い設備をそのまま古い船の質感に使った。対するエンタープライズは、新品の船にふさわしい清潔さを求め、ヴァン・ナイズのアンハイザー・ブッシュ醸造所へ移った。二隻の違いは同じセットの色替えではなく、現実の工業施設が持つ汚れ、配管、表面材の差から作られている。
エンタープライズの機関部に使われた醸造所は、撮影用に閉鎖された施設ではなく実際に稼働していた。発酵区画は外気が約38度の日でも冷却され、照明の熱で温度を変えるとビールを損なう恐れがあった。大きなドリーも持ち込めず、カメラは主にステディカムで移動した。俳優が配管の間を走る場面は、食品工場の温度と生産工程を維持したまま撮られている。
バルカン上空の掘削台は、ドジャー・スタジアムの駐車場に実物の足場を組み、周囲を屋外グリーンスクリーンで囲んで撮影された。屋内より合成は難しくなるが、風、砂埃、太陽光が俳優と衣装へ実際に当たる。デルタ・ヴェガのセットも隣接して造られ、アラスカとユタで撮った景観を背景へ合成した。一つの駐車場が灼熱のバルカンと氷の惑星の土台になった。
転送室の床には古いフレネルレンズが組み込まれ、下から強い光を俳優へ当てられる構造になっていた。人物が消える瞬間をすべてCGに任せず、まずフィルム上で身体と室内を白飛びさせ、その光をデジタルの渦へつないでいる。俳優の服や周囲の床へ実際の反射が生まれるため、転送効果だけが背景から浮かない。旧シリーズの光る転送を、実照明と合成の二段階で更新した。
手持ちフェイザーには、銃身部分が180度回転する機構が組み込まれている。スタンと殺傷モードを切り替えると、同じ武器の別の面が銃口として前へ出る。旧シリーズの機能を残しながら、どちらを選んだかを小道具の物理的な動きで見せる設計である。発射音も連続する光線ではなく、反動を感じる短い衝撃音へ改められた。
本編には約1000のVFXカットがあり、そのうち約850をILMが担当した。デジタル・ドメイン、イーヴル・アイ、ローラ、スヴェンガリなども分担し、宇宙船、惑星、クリーチャー、デジタル合成を仕上げている。宇宙船はすべてCGで作られたが、35mm実写のレンズ特性と現場照明へなじむよう調整された。
冒頭のUSSケルヴィン破壊は約6分にわたり、攻撃を受けるたびに船体の状態が変わる。VFX班は損傷を六段階に分け、穴、火災、剥離、漂う破片が前後のカットで逆戻りしないよう管理した。短い爆発の連続ではなく、一隻の船が機能を失っていく過程として設計された。
ILMは船体や惑星を壊すために「フラクチャー」というシステムを開発した。対象をおよそ500から1万の剛体へ分割して物理計算し、その周囲へさらに細かな粒子を加える。実際に計算する破片の数を抑えながら、画面上では数え切れない物質が内側へ崩れる規模を作った。バルカン消滅は爆発ではなく、地表が吸い込まれて崩壊する運動として組み立てられている。
編集段階で宇宙戦の構成が大きく変わり、先に作ったプレビズの多くが使えなくなった。ILMはアニメーションとレイアウトを18人の混成班へまとめ、場面によってはショットの半数近くを再制作した。終盤だけでも約70カットが一から作られ、編集室では未完成部分にショット内容を書いた黒画面を置いて物語の流れを先に決めた。
音響班は、宇宙空間をすべて無音にした版を試している。しかしケルヴィン襲撃では攻撃の強弱が伝わりにくく、長い戦闘全体が平板になったため採用しなかった。その代わり、乗員が船外へ放り出される瞬間と宇宙降下で音を急に奪っている。科学的な無音を全編の規則にはせず、人物が真空へ出た感覚を際立たせる場面へ絞った。
転送の映像案は制作中に何度も変わった。旧作に近い光線、身体が結晶化する案、周囲を輪が回る案のそれぞれに音響班が別の音を作っている。最終版では、上下へ伸びる光線の感覚と身体を包む回転音を混ぜた。旧シリーズの耳馴染みを残しながら、新しい映像の動きを音でも説明する形に整理された。
艦橋の背景には、画面に大きく映らない乗員たちの報告、復唱、確認が絶えず流れている。音響班はこれを集団ADR(複数人で背景の台詞を録り直す作業)で録音し、主役の台詞を邪魔しない低い層として配置した。非常事態でも船の各部署が仕事を続けているため、数人だけで操縦している空間には聞こえない。電子音と人声の両方でエンタープライズの乗員数を表している。
操作卓の短い電子音には、鳥の声、電話の呼出音、動物の叫び、喜劇用の効果音まで使われている。素材の正体が分からなくなるまで切り詰め、音程と長さを変えてボタンごとの反応へ組み直した。完全に滑らかなデジタル音へせず、1960年代のアナログ機器を思わせる不揃いさを残している。
マイケル・ジアッキーノの音楽は、ソニー・スコアリング・ステージで107人編成のオーケストラと40人の合唱団により録音された。旧作の旋律を全編の主題にはせず、新しいカークとスポックのためのテーマを先に立てている。アレクサンダー・カレッジの旧テレビ版主題は、乗組員が揃ったエンドクレジットで新テーマと合流する。
バルカンに関わる音楽では、中国の擦弦楽器である二胡が使われている。ロミュランの場面でも素材は同じだが、録音した音を加工して荒く歪ませた。両者はシリーズ設定上、同じ祖先から分かれた種族である。同じ楽器の素顔と変形を使い分けることで、血縁と対立を台詞とは別の層へ置いた。
宇宙降下は真空の無音から始まり、大気へ入るにつれて風、ソナーのような音、衣服の裂ける音、衝撃波が増える。さらに三人それぞれへ異なる呼吸、服、パラシュート音を用意した。同じ方向へ落ちる人物を、画面だけでなく装備の音でも区別している。
デルタ・ヴェガでカークが老スポックと出会う偶然には、撮影済みの説明があった。老スポックが、改変された宇宙は本来の均衡へ戻ろうとして二人を引き合わせたと語る場面である。J・J・エイブラムスは説明すると神秘性が失われると判断し、完成版から削除した。
ケルヴィン襲撃後からネロ再登場までの二十五年間には、クリンゴンの流刑地ルラ・ペンテで拘束される物語が用意されていた。尋問を受けたネロが脱走する場面まで撮影され、仮面姿のクリンゴンも登場する。完成版では削除されたため、ウフーラが傍受したクリンゴン通信がその出来事の名残になった。
初期脚本ではロバート・エイプリルが指揮するエンタープライズを冒頭で破壊し、後から同名の後継艦を登場させる構想だった。パラマウントは時間軸を変えても象徴の船を壊す案には反対した。船名と艦長はUSSケルヴィンとロバウ船長へ書き換えられ、カークの父だけが新しい歴史の犠牲になった。
J・J・エイブラムスはネロの部下を強面の坊主頭で揃え、ナラーダの異様な集団像を作った。ところが撮影でロバウ船長が現れると、演じるファラン・タヒールも坊主頭だった。敵と交渉役の輪郭が同じになり、監督は「これでクビになるかもしれない」と冷や汗をかいたという。完成版では照明、衣装、構図の差によって両者を分けている。
USSケルヴィンの名は、J・J・エイブラムスの祖父ハリー・ケルヴィンに由来する。船体番号NCC-0514も祖父の誕生日5月14日を組み込んだものとされる。のちにこの船の破壊を分岐点とする世界全体が「ケルヴィン・タイムライン」と呼ばれるようになり、家族名がシリーズ公式の時間軸名にまで広がった。
自動ドア音には、ロシアの列車トイレ由来の音が使われたという説がある。だいぶ面白い音響トリビアだが、強い一次確認は弱く、現時点では出どころ注意の小ネタとして扱いたい。
新エンタープライズ号の全長は、資料によって数字が揺れるとされる。制作途中のスケール調整や資料差が混ざった可能性があり、巨大船の設定にもサイズ表記の混線が起きている。
2009年版を「旧シリーズへそのまま続く前日譚」と説明すると、けっこう誤解を招く。本作は時間改変で分岐した物語であり、旧作の若い頃をそのまま描く一本道の前日譚ではない。
Uhuraのファーストネーム「Nyota」は、2009年版で初めて劇中ではっきり使われた重要な名前だ。ただし、名前そのものがこの映画で新規発明されたわけではなく、劇中初明示と考案時期は分けて見る必要がある。