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2011年製作のフランス映画『Forces spéciales』で、日本では劇場公開されず、テレビ放映時に使われた別題が『スペシャル・フォース 壮絶!人質奪還作戦』である。長編初監督のステファヌ・リボジャは、フランス軍や特殊部隊を長年取材してきた映像記者で、出演者たちをロリアンの海軍コマンド部隊との訓練へ送り、ダイアン・クルーガーには実際の記者への取材も行わせた。安全と費用の問題からアフガニスタンそのものではなく、フランス、ジブチ、国境に近いタジキスタンで撮影し、電力も施設も乏しい現地では250枚のマットレスや2,500点の衣装を運び込み、風、雪、砂漠へその場しのぎで対処した。製作費は約1,000万ユーロ、フランス国内の観客動員は約20万4,600人にとどまった。軍事行動の現実味を求めて国境近くまで進軍した作品だが、映画館の観客席を制圧する作戦までは成功しなかったのである。
監督は先にフランス特殊作戦司令部を撮っていた。ステファヌ・リボジャ監督は劇映画へ入る前の2005年、フランスの特殊作戦司令部を扱うドキュメンタリーを制作していた。秘密性の高い部隊へ長く取材を重ね、教官マリウスともそこで出会った。先に現実の部隊を撮り、その関係からフィクションを育てたため、装備や動作だけでなく、隊員同士の距離感まで取材経験が土台になっている。
撮影はタジキスタン5週、ジブチ3週、モンブラン1週。撮影は一つの国で完結していない。タジキスタンで5週間、ジブチで3週間、最後にモンブランで1週間撮り、乾いた低地から標高の高い雪山までを一続きの逃避行へつないだ。アフガニスタンでは戦争のため撮れず、道路でヒマラヤへ入れるタジキスタンを選んだという。地形の変化を追うと、三地域を縫い合わせた編集が見える。
俳優はロリアンで1週間のコマンド訓練を受けた。部隊役の俳優たちは、ロリアンの海軍コマンドで1週間の訓練を受けた。5日目の夜には覆面の隊員約20人が突然現れ、俳優を地面へ押さえ、手を縛り、閃光・音響手榴弾を使う急襲訓練まで行われた。武器の持ち方を覚えるだけでなく、特殊部隊の仕事が持つ圧倒的な力を体験したことで、劇中の連帯と緊張が身体へ入った。
ダイアン・クルーガーだけは部隊訓練から離された。部隊役の俳優たちが一緒にコマンド訓練を受ける一方、ダイアン・クルーガーは撮影まで意図的に別行動だった。彼女は代わりに実際の戦場記者たちと会い、動機や生活を聞いた。救出される記者と、結束済みの部隊という距離を、撮影前から俳優同士にも作ったのである。画面でエルサが少しずつ隊の一員になる変化が、現場の関係作りとも重なる。
マリウス役は本物の元海軍コマンド教官。マリウスを演じたアラン・アリヴォンは、海軍コマンドで22年間勤務し、教官も務めた人物である。監督は彼の実際の愛称「マリウス」を残し、話し方や振る舞いまで役へ取り込んだ。撮影前は技術顧問になるはずだったが、自分自身を下敷きにした役を演じることになったのである。部隊の中で動きが自然に見えるのは、演技以前の経験があるからだ。
ジャイモン・フンスーの主演に出資側の抵抗があった。ステファヌ・リボジャはコバックス役にジャイモン・フンスーを強く望んだが、黒人俳優をフランス映画の主役に据えることへ、出資側から抵抗を受けたと振り返っている。それでも監督は譲らず、部隊の多様性を指揮官の配役で示した。完成版でフンスーが当然のように隊を率いている姿の裏には、資金調達の段階から守られたキャスティング判断がある。
軍の撮影協力は既存の訓練時間へ合わせた。軍用ヘリや空母の映像は、映画のためだけに部隊を動かしたのではない。軍がもともと消化する訓練飛行や演習の予定へ、少人数の撮影班が合わせた。監督は軍のカレンダーへ映画側が従ったため、追加の公費負担はなかったと説明している。画面の規模を上げる方法が、予算の増額ではなく、軍の実際の運用時間との綿密な調整だったのである。
約80人と40台の車両を国境近くへ運んだ。タジキスタンの現場には約80人が入り、車両は最大40台に達した。撮影地は首都ドゥシャンベから長い悪路を進むアフガニスタン国境近くで、毎晩安全会議も行われた。劇中では少人数の部隊が孤立して見えるが、その画面を作るために、現実には大きな車列と警備、医療・行政の調整が山岳地帯を動いていた。
中国で250枚のマットレス、カブールで2500点の衣装。タジキスタンの撮影地には、映画隊を受け入れる設備がほとんどなかった。そこでスタッフは中国へ250枚のマットレスを買いに行き、衣装約2500点はカブールから運び込んだ。画面に映る武装勢力の服だけでなく、80人規模の隊が眠る場所まで自分たちで用意したのである。遠隔地ロケが美しい景色の選択だけでなく、生活基盤を運ぶ物流だったと分かる。
標高3500〜4000メートルで本物の装備を背負わせた。山岳場面では、俳優たちは標高3500〜4000メートルを歩き、軽い撮影用の代用品ではなく重い実物の軍装備を背負った。酸素の薄さと荷重が呼吸や歩幅を自然に変え、部隊が消耗していく様子へそのまま入る。過酷さを演技の美談にするだけでなく、なぜ身体の動きが鈍く見えるのかを、地形と装備の両方から説明できる制作判断である。
現地の太陽が唯一の照明だった場面がある。エリアスが高原で敵を引き受ける場面では、現地に大規模な照明設備も電力もなく、太陽が唯一の主光源だった。しかもその時期は15時30分ごろに日が落ちる。広い戦場を見渡せる画面は、好きな時間まで撮れたものではなく、短い自然光へ爆発、銃撃、人物の動きを収めた結果である。光の美しさと撮影の制約が同じ場面にある。
武装勢力役には地元の教師や技師も参加した。タジキスタンで武装勢力を演じた人々は、職業俳優だけではなかった。監督の回想では、建築家、技師、教師、農民、元ムジャヒディンなど、異なる生活を持つ地元の人々が参加した。画面では一つの敵集団に見えるが、その背後には多様な現地社会がある。衣装と武器で一括りにされた群衆を、誰が演じていたかまで知ると見え方が変わる。
徽章から隊員の出身部隊を読み分けられる。隊員の制服を見ると、全員が同じ部隊出身ではないことを示す細部があるという。コバックスらは海軍コマンド、エリアスは空軍の特殊部隊、ティクタクは陸軍の落下傘部隊と読む説である。フランスの特殊作戦司令部が軍種を越えて人員を選ぶ仕組みを、ベレー帽と徽章だけで表した可能性がある。ただし部隊同定は画面上の意匠を読んだ説であり、公式設定として断定はできない。
エリアスの最期は『プラトーン』と重なるという説。仲間を逃がすため一人で残ったエリアスは、追撃を受け、銃弾に倒れる。名前と展開は『プラトーン』のエリアス軍曹を強く連想させ、監督自身も同作を好きな戦争映画として挙げている。意図的な引用と断定できる発言はないものの、参照作の記憶を別の山岳戦へ重ねた可能性を考えたくなる画面上の類似である。