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アンドレイ・タルコフスキーは、のちに『鏡』(1975)となる企画が承認されない間に仕事を止めないため、モスフィルムから提案されたスタニスワフ・レムの小説『ソラリス』(1961)の映画化を引き受けた。レムとの協議後、タルコフスキーと共同脚本のフリードリヒ・ゴレンシテインは、地球上の場面を短縮し、主人公の妻マリアを削り、結末の場所を地球から惑星ソラリスへ移した第3稿を作った。未来を珍奇な機械で説明しないという監督の方針に合わせ、衣装は現代服に近づけられ、宇宙ステーションには実物の工業材料、2基の模型、リアプロジェクションや多重露光を組み合わせる合成撮影が用いられた。美術部はブリューゲルの絵画とレンブラントの版画を通常の印刷物ではなく美術館品質の複製で用意し、東京の高速道路も未来都市の実景として撮影した。タルコフスキーが「科学技術の見世物」より人間の道徳的問題を優先した結果、本作は宇宙へ行くほど地球の記憶が増える映画になった。
アンドレイ・タルコフスキーは、のちに『鏡』(1975)となる企画を先に進めようとしていた。しかし申請と改稿を重ねても承認されず、仕事を止めないためにモスフィルムから提案された本作の映画化を引き受けた。本作は長年温めた第一希望ではなく、停滞した企画の合間から始まった。
1968年11月26日に提出された映画化申請では、本作の題名候補として「聖なる接触の騎士たち」が挙げられた。完成題より宗教的で、未知の知性との接触を前面に出す名称である。最終的には原作と同じ『ソラリス』へ戻された。
スタニスワフ・レムは1969年10月にモスクワを訪れ、映画化権の契約と脚本協議に参加した。協議後、タルコフスキーとフリードリヒ・ゴレンシテインは、地球上の場面を短くし、主人公の妻マリアを削り、科学者会議を縮め、結末の場所を変えた第3稿を作った。原作者との対立だけでなく、合意を反映した改稿も行われていた。
国家映画委員会は本作の脚本に対し、人間が知識を得る可能性と未知の知性へ接触する可能性を、より楽観的に扱うよう求めた。さらに異星文明を敵対的な存在だけにせず、残酷で見世物的な描写を避けるよう指示した。制作側はこの具体的な要求を受けて脚本を調整し、1970年3月31日に準備へ入った。
タルコフスキーは本作で、未来の技術を珍しい見世物として説明することを避けた。宇宙船が惑星へ到着する場面も、路面電車が停留所へ着くほど日常的に見せたいと語っている。監督は長い技術説明を入れると人物の感情という映画の基盤が壊れると考え、機械より人間の反応を前に置いた。
本作では、タルコフスキーと衣装担当イリーナ・ベリャコワの相互理解が得られず、ネッリ・フォミナが途中から衣装を担当した。フォミナは未来服を誇張せず、現代服に近い服装へ少数の本物の宇宙飛行士用部品を組み合わせた。フォミナはその後も『鏡』(1975)と『ストーカー』(1979)でタルコフスキーと仕事をした。
本作の宇宙ステーションには、印刷で似せた模様ではなく、高品質の実物材料を使う方針が立てられた。制作側は直径1.5〜2メートル級の凸面ガラスや軽金属を調達し、装置の表面を本物の工業製品に近づけた。未来を奇抜な装飾で示さず、触れられそうな日常空間にする演出方針を美術が支えた。
本作の制作側は軌道ステーションの模型を2基発注した。撮影では、俳優の背後へ別の映像を投影するリアプロジェクション、動きを遅く見せられる高速度撮影、同じフィルムへ複数の像を重ねる多重露光を組み合わせた。コンピューター映像以前の工程で、実物の模型と複数の撮影技法を一つの画面へまとめた。
本作の室内に置く絵画は、通常の印刷複製では撮影に必要な色と細部が出なかった。美術部はブリューゲルの「雪中の狩人」と「イカロスの墜落」、レンブラントの版画3点、デューラー作品を美術館品質の複製で用意し、一部は4日間だけ借りた。背景の小道具にも、フィルムへ写った時の色再現が求められていた。
本作の制作側は、日本の近代建築と1970年の大阪万博に関する資料を集めた。タルコフスキーは来日すると、東京の立体交差と高速道路を長く撮影し、未来都市の交通場面に使った。未来をゼロから建てた空想世界ではなく、当時すでに存在した都市の延長として見せる選択だった。
本作の監督台本は4,230メートル相当まで長くなり、タルコフスキーと撮影監督ワジーム・ユーソフは二部構成が必要だと主張した。制作側は台本を4,000メートルへ縮め、1970年7月16日に承認を得た。長さは新しい人物や場面を足した結果ではなく、映像として各場面を展開した結果だと説明された。
作曲家エドゥアルド・アルテミエフは、本作の音を二つの世界に分けて考えた。地球側では人間の文化と家族関係を感じさせ、ソラリス側では人格を持たない抽象的な海を表す音を設計した。電子音は未来らしさを飾るためではなく、人間の記憶と理解できない存在の差を聞かせるために使われた。
タルコフスキーは1972年のカンヌ国際映画祭へ出品する前に、本作を大幅に短縮した。初期版は失われたと思われていたが、ロシアの国立映画保存機関ゴスフィルモフォンドに残されていた。そこにある場面は完成版と順序も異なり、単に数ショットを削っただけではない編集の変化を示している。
【結末のネタバレ】タルコフスキーは、本作の結末を小説『ソラリス』(1961)から変えた。監督の説明では、ソラリスの海が主人公の帰郷の夢を形にし、その夢が現実になる。監督はこの構成によって、宇宙から地球を振り返り、人間と故郷の結び付きを描こうとした。
本作を『2001年宇宙の旅』(1968)に対するソ連の公式回答として説明する紹介は多い。しかし確認できる制作記録では、モスフィルムが停滞中のタルコフスキーへ原作の映画化を提案した経緯が示され、国家的な対抗企画だったという証言はない。タルコフスキー本人も、SFそのものへの関心ではなく、小説『ソラリス』(1961)が扱う道徳的問題を映画化の動機に挙げている。