主な参考資料
- Los Angeles Times
- Animation World Network
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2008年公開。アンデルセンの『人魚姫』をゆるやかな出発点に、宮﨑駿が瀬戸内の港町で得た印象を重ね、5歳児にも届く物語として作った作品である。CGがアニメーション制作の常識になりつつあった時期に、宮﨑は動きも波も鉛筆で描く方針を選び、約17万枚に及ぶ絵を手作業で積み上げた。作画監督の近藤勝也によれば、画面を均一に整えすぎず、参加したアニメーターそれぞれの個性を動きへ残すことも制作方針だった。単純な線へ戻ったように見えて、海そのものを生き物の群れとして動かすため、作画量は宮﨑作品でも記録的な規模へ膨らんだ。幼児向けの顔をしているが、制作現場には17万枚の宿題を配ったわけで、ポニョより先に人間のスタッフが魚のように泳がされたのである。
『もののけ姫』(1997)や『千と千尋の神隠し』(2001)で追求した細密な写実の延長に、本作の絵は置かれていない。宮崎駿は約40年続けてきた正確さへの志向をいったん手放し、線や形が柔軟に変わる動きの自由を海で試した。波が魚になり、海そのものが意志を持つように動くのは、現実の水を忠実に複製するより、アニメーションでしか成立しない生命感を選んだからである。
制作前、スタジオジブリはCG部門を解散し、人物だけでなく波や船まで手で描く方針を選んだ。ただし、昔のセル画制作へそのまま戻ったわけではない。紙に描いた原画や背景をスキャンした後は、彩色、撮影、編集をフルデジタル工程で仕上げている。本作の柔らかな線は、手描きとデジタルを対立させるのではなく、紙の質感をデジタル上で守る設計から生まれた。
完成後に残った作画資料は、動画や原画などを合わせて約17万枚に達した。スタッフはそれらを1112のカット袋に分け、通常サイズ60箱と大型4箱、計64箱へ収納している。画面では数秒で通り過ぎる波や魚の変化も、一枚ずつ描かれた紙として保管されるほどの物量だった。
海上を進む船には、完成した一枚の絵を背景の上で横へ滑らせる方法が使われていない。位置や波のうねりが変わるたびに、船そのものを毎コマ描き直した。輪郭が少しずつ揺らぐため、機械的に平行移動する乗り物ではなく、水の力を受けながら進む物体として見えるのである。
ポニョの妹たちは一匹ずつ別々に動かした。多数の妹を一匹ずつ別々に動かし、形や泳ぐタイミングに差をつけた。大きな波の勢いを見せる場面でありながら、画面の内部には小さな生き物それぞれの動きが詰め込まれている。
宮崎駿は通常の鉛筆によるイメージ画や作画指示にとどまらず、本作では自ら色を付けた資料をアニメーターへ渡した。動きや構図を決めた後で色を当てはめたのではなく、海、空、町、人物がどのような色の世界に存在するかを準備段階から一体で設計していたのである。
背景は水彩からパステルへ切り替えられた。美術監督の吉田昇は水彩を試したものの、にじみによって輪郭がぼやけすぎると判断し、パステルクレヨンを中心とする表現へ切り替えた。柔らかな色面の中に建物や道の形が残るため、絵本のような画面でも人物の動線が埋もれない。
ポニョの赤は赤い金魚から決められた。色彩設計の保田道世は赤い金魚を出発点とし、その赤が海の青緑や周囲の魚の色とぶつからず、同時に生きるよう画面全体を組み立てた。ポニョの色と海の色は、別々の部署で独立して決めたものではなく、一つの配色として結び付いている。
宮崎駿が絵コンテを完成させたのは、公開年の2008年1月7日だった。総数は1138カットに達し、A・B・C・D・終章という5つの束に分けられた。完成後はすぐにカットごとのスケジュール確認と担当者への振り分けが始まり、夏公開へ向けた作画工程が本格化した。
絵コンテ完成時の記録は1138カットだが、作品完成後に原画や動画を収納した袋は1112に整理されている。二つの数字の差は26カットであり、設計図がそのまま一対一で完成資料になったわけではない。ただし、どのカットが統合・変更・欠番になったかまでは公開記録から特定できていない。
原画作業の最盛期には26人のアニメーターが参加していた。カットが完成して担当者が工程を離れるにつれ、2008年4月には8人まで減り、残った難所と修正を仕上げる段階へ入った。約17万枚という総物量は、大人数が最後まで一斉に描いたのではなく、進行に合わせて人員を変えながら積み上げられた。
4人の作画監督補が修正を分担した。高坂希太郎、賀川愛、稲村武志、山下明彦の4人が作画監督補として修正を分担し、整えたカットを近藤へ渡す段階的な体制が組まれた。大量の手描き作画の線と人物像を揃えるため、経験豊富なアニメーターが中間のチェック層を形成していた。
フジモトの海中世界から始まる冒頭は約12秒だが、その準備には1613枚のイメージ画や構想スケッチが描かれたと伝えられている。魚、クラゲ、水流が同時に動く画面をいきなり作画したのではなく、生命が満ちた海をどう始めるかを大量の絵で試してから本編へ進んだという数字である。
宮崎駿は監督席から波の形を指示しただけではなく、海が大きくうねり、魚の群れへ変わるカットの原画へ直接入った。特にポニョが波の上を走る場面では、現実の流体を写すのではなく、波を一頭ずつ生き物として描く感覚が前面に出ている。作品の主役をポニョと宗介だけでなく海そのものと考え、監督自身がその動きを引き受けたのである。
水の細かな芝居は米林宏昌が支えた。バケツの中で揺れる水、水面を隔てて見える魚、浸水後の町を満たす水など、境界の形を変え続ける細かな水の芝居を担当した。水を青い面として置かず、容器、光、人物の動きに応じて別の性質を持たせる作画が、物語の静かな場面を支えている。
港町の土台は鞆の浦で作られた。宮崎駿は2005年に当地へ長期滞在し、港を見下ろす急な斜面、細い道、住宅と海が接する距離を観察した。崖上の家から港へ下る高低差があるため、リサの車が坂を駆ける場面と、海面が町をのみ込む場面が同じ地形の上で成立している。
本作の海中世界は、専門装備で深海へ潜る大人の視点から作られていない。宮崎駿は子どもの頃から、シュノーケルで浅瀬の水中を覗くことを好んでいた。岸辺の明るい水に小さな生物が密集し、同時に瓶やごみも沈んでいるのは、子どもが実際に見られる海を美化せず描いた結果である。
フジモトの人物像には、作画監督の近藤勝也が重ねられている。宮崎駿が注目したのは容姿より、娘との関係で落ち着きを失い、せわしなく振る舞う父親としての姿だった。世界の均衡を守ろうとする大仰な魔法使いでありながら、娘たちに押され続ける身近な父親の滑稽さは、制作現場の観察から加えられた。
水面へ仰向けに浮かぶグランマンマーレの姿は、ジョン・エヴァレット・ミレーの《オフィーリア》を参照している。原画では水草に囲まれた女性が死へ向かう場面だが、本作では巨大な母が海と一体になって現れる構図へ反転された。同じ姿勢を使いながら、沈む身体ではなく、水面に支えられた超越的な存在へ変えている。
フジモトが呼ぶポニョの本名ブリュンヒルデは、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》に登場する戦乙女と同じ名である。さらにポニョが魚の波を駆け、リサの車を追う場面には《ワルキューレの騎行》を思わせる音型が現れる。幼い魚の子の暴走を、神話の戦乙女が空を駆ける壮大さへ重ねた仕掛けである。
宗介という名は、夏目漱石の小説『門』の主人公に由来するとされる。小説の宗助は崖下の家で妻と暮らし、本作の宗介は港を見下ろす崖上の家で母と暮らす。人物像を移したのではなく、崖と住まいが生活を囲む配置を、名前によって反響させたものと考えられる。
ポニョ役の奈良柚莉愛と宗介役の土井洋輝は、いずれも登場人物と同じ五歳だった。整った発音を大人の声優が作る方法ではなく、話す速度、息の切れ方、相手の言葉を待つ間まで幼児の身体から録音している。二人の会話が台本を読んだ応酬より、その場で言葉を見つけているように聞こえる土台である。
日本語版の声は、出演者全員を同じブースへ集めるのではなく、原則として一人ずつ録音された。ポニョと宗介の応酬も、相手の生の声へ即座に返した会話ではなく、別々に収録した呼吸と間をつないだものである。五歳の子役から大人の俳優まで、個々の声を監督が細かく整えられる方法だった。
水没した町でポニョが出会う赤ん坊の泣き声は、既成の音響素材でも大人の声優による演技でもない。制作スタッフの実際の乳児を録音し、その声を場面へ使った。人間になったポニョが初めて小さな赤ん坊と向き合う場面に、作られた泣き声では予測できない息継ぎと強弱が残されている。
「ポーニョ、ポーニョ、ポニョ」で始まる主題歌は、当初オープニングに置く予定だった。宮崎駿が曲を気に入り、子どもたちが歌いながら劇場を出られるようエンディングへ移すことを決めた。その結果、映画の最後も明るい歌が突然浮かないよう組み直され、主題歌が完成後の飾りではなく物語の着地点を左右することになった。
主題歌CDは映画公開の約7か月前、2007年12月5日に発売された。しかし最初から大ヒットしたわけではなく、公開1か月ほど前まで売上は伸び悩んでいた。映画の宣伝と子どもたちの口コミが重なると急速に広がり、公開後にはオリコン週間シングルランキング1位へ到達した。
22曲を仮置きして映像と音楽を照合した。2008年4月のチェックでは、イメージアルバムの22曲を映像の第1巻から第4巻へ仮に当て、どこで使うかを宮崎駿、鈴木敏夫らが検討した。6月のマスタリングでは曲順に加えて曲間の秒数まで久石が調整し、音楽が入る瞬間と消える余白を詰めている。
宮崎駿は本編の作業が終盤へ入った2008年5月、エンドクレジット用の絵を約400点描いていた。スタッフ名と主題歌を載せるための既成デザインではなく、最後まで手描きの人物や図柄が続くよう新たな素材を用意したのである。本編が終わった後の数分も、映画と同じ線の世界から切り離されていない。
英語版は脚本家と三人の演出陣で作り直された。『E.T.』の脚本家メリッサ・マシスンが英語台本を整え、ジョン・ラセター、ブラッド・ルイス、ピーター・ソーンが俳優の収録を演出した。五歳児の短い言葉、家族の呼び方、海の神話を、口の動きと場面の長さを保ちながら英語圏の会話へ移している。
2009年の北米公開は、都市部の数館から始める限定公開ではなく、927館で一斉にスタートした。当時のスタジオジブリ作品として最大規模の劇場展開であり、英語版の著名な出演者と制作陣もその配給を支えた。日本のアニメーションを専門館で紹介するのではなく、夏休みの家族映画として広く届ける公開方法だった。
Blu-rayのために「ポニョフィルタ」が開発された。薄型テレビでは手描きの輪郭が硬く見えたため、細かな情報を削らず見え方だけを和らげる「ポニョフィルタ」が専用開発された。原画をスキャンした高精細さと、劇場スクリーンで感じる柔らかさを同時に残すための家庭用映像処理である。
Blu-ray版には、実写映画と同じ圧縮設定がそのまま使われていない。被写体が2コマに1回動くことの多い日本アニメに合わせ、前後の画像を参照するGOP構造を専用に組み替えた。特典もHDで収録したため平均ビットレートは約23Mbpsだったが、画面に意図的に残された微細な揺れや塗りむらを崩さず保持する設計が採られた。
フランスのアニメーション監督ウーゴ・ビアンヴニュは、初めて見た時には本作を好まなかったという。しかし後年、宮崎駿が幼い子どもへ直接届くよう、長年培った描写を意識的に簡略化した作品だと捉え直した。技術を見せる方向へ進む代わりに単純な線へ戻ることを、熟練者だからこそ選べる危険な試みとして評価している。
制作現場を記録した『ポニョはこうして生まれた。〜宮崎駿の思考過程〜』は、一般的な数十分の特典映像ではなく、収録時間約752分に及ぶ。企画準備、絵コンテ、作画、完成までを長期間追い、宮崎駿が案を捨て、描き直し、スタッフと衝突しながら一本の映画へまとめていく過程を残した。映画本編101分に対し、制作記録はその7倍を超える長さである。
約12時間半のメイキング映像は、2009年7月の発売直前になって音楽の使用許諾を洗い直す必要が判明し、12月へ延期された。制作室で流れていた音楽など、本編映画のために用意された曲ではない音源まで長時間の記録に入り込んでいたためである。わずかな映り込みや聞こえ方を含めて全編を再確認する作業が、完成済みの巨大ドキュメンタリーを止めた。
公式資料集『THE ART OF 崖の上のポニョ』には、完成画の紹介だけでなく、イメージボード、美術ボード、キャラクター設定、背景画など200点以上が収録された。さらに作画監督の近藤勝也、美術監督の吉田昇、色彩設計の保田道世、映像演出の奥井敦が、それぞれ線、背景、色、デジタル工程の判断を説明している。映画の絵を一人の監督の仕事だけに還元せず、部門ごとの設計として追える資料である。
国内公開は2008年7月19日、全国481スクリーンで一斉に始まった。これは『ハウルの動く城』(2004)の448スクリーンを上回り、当時の日本映画として最多の公開規模だった。幼児を主な観客に据えた手描きアニメーションでありながら、限られた劇場から評判を広げる方法ではなく、公開初日から全国規模の大作として送り出されたのである。
英語吹替版では、水没した町を玩具の船で進む場面に現れる古代魚を、ポニョが「ボトリオセファルス」と呼ぶ。画面の魚は甲冑魚のボトリオレピスだが、ボトリオセファルスは条虫の属名であり、生物名が別の生き物へ入れ替わっている。日本語音声では同じ言い間違いを確認できず、英語台本か収録段階で生じた可能性がある。
鈴木敏夫は宗介を五歳時の宮崎吾朗がモデルと説明したが、宮崎駿本人は取材で関係を否定しているという話がある。確認できる事実とは合わず、別の話が混ざって広まった可能性が高そうだ。
嵐の波が葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》に着想を得たという説がIMDbなどで流通している。しかし、今回確認した監督や作画スタッフの証言には、直接の言及がない。その影響があったのかもしれないが、今は見た目の類似から生まれた一説として見るのがよさそうだ。
東日本大震災後、津波描写を理由に放送禁止になったという説が広がったが、公式な禁止声明は確認できず、2012年にはテレビ放送されているという話がある。そんな経緯があったのなら面白いが、今は可能性の一つとして見るのがよさそうだ。
本作を『もののけ姫』(1997)以来のセル画長編とする説明がある。しかし、紙に描いた作画をスキャンし、彩色と撮影をデジタルで行った制作工程が記録されている。手描き作画を重視した作品であることから、透明なセルへ絵具で彩色したセル画制作と混同された可能性が高そうだ。