主な参考資料
- TIME
- AFI
- Vanity Fair
- Industrial Light & Magic
- The Academy
1982年公開。トビー・フーパーが監督、スティーヴン・スピルバーグが製作・原案・共同脚本を担ったが、スピルバーグが撮影現場から編集や音楽まで深く関与したため、公開前から「実際に誰が監督したのか」が業界問題になった。AFIの記録では全米監督協会が監督クレジットをめぐって調査し、予告編でスピルバーグの名前をフーパーより大きく扱ったMGMには、フーパーへの1万5,000ドルの賠償と広告修正が命じられている。一方、主演のジョベス・ウィリアムズとクレイグ・T・ネルソンは、スピルバーグが非常に積極的だった一方でフーパーも演出し、現場は両者の創作的な共同作業だったと回想しており、「スピルバーグが単独で監督した」とまでは確認できない。ウィリアムズは、泥水のプールで撮影した骸骨が実物の人骨だったことを後になって特殊効果スタッフから知らされ、回転式の寝室セットでは肘と膝が出血するまで何十回も撮影したという。資料によって製作費は約1,100万~1,500万ドルと幅がある一方、2008年時点の世界興収は約1億2,200万ドルと報じられたが、この家で最後まで成仏しなかったのは監督クレジットの騒動だったようだ。
スティーヴン・スピルバーグは子どもの頃、ピエロ人形、寝室の窓から見える木、ベッドの下や物入れの暗がり、壁のひびを怖がっていた。本作ではその記憶が、ロビーを襲うピエロ人形と庭木、家の壁や物入れから現れる怪異へ置き換えられている。身近な子ども部屋が恐怖の中心になるのは、作り手自身が同じ場所を怖がった経験からである。
スティーヴン・スピルバーグは、本作をテレビへの「復讐」と表現している。ただし郊外生活そのものを嘲笑するのではなく、自分も育った普通の住宅地を舞台にし、その家庭の中心にあるテレビを怪異の入口へ変えた。放送終了後の砂嵐が恐怖になるのは、当時の家庭に最も身近な画面から、外の世界ではなく死者が入ってくる構造にしたからである。
ジョベス・ウィリアムズが母ダイアン役に選ばれたきっかけは、『戦争の犬たち』(1980年)の国際公開版だった。スティーヴン・スピルバーグはそこで彼女の演技を見て起用を決めたが、その出演場面は米国内公開版から削られていた。米国の一般観客にはほとんど知られていない演技が、本作の中心となる母親役へつながったのである。
6歳のドリュー・バリモアは、キャロル・アン役を想定した本作のオーディションを受けた。スティーヴン・スピルバーグは役に合わないと判断したものの、彼女の受け答えを気に入り、準備中の別企画へ呼び戻した。その企画が『E.T.』(1982年)となり、バリモアは主人公の妹ガーティ役を得た。本作での不採用が、同じ年に公開された別の代表作へつながっている。
キャロル・アンを演じたヘザー・オルークは、MGMスタジオの食堂にいたところをスティーヴン・スピルバーグに見いだされた。当時の彼女はまだ幼く、最初からホラー映画の主演候補として撮影所へ来ていたわけではない。テレビの前に座る幼い少女の存在感は、スタジオの日常空間での偶然の出会いから始まった。
主要撮影は1981年5月11日にカリフォルニア州シミバレーで始まった。嵐の場面はMGMスタジオの第12ステージで撮り、建設中のプールと家の床下空間には、さらに三つのサウンドステージを使用した。物語では一軒の住宅とその敷地で続く怪異が、撮影現場では用途の異なる複数の巨大空間へ分けて作られている。
家の中で物が勝手に動く幽霊現象を説得力あるものにするため、制作側は奇術師ラリー・ウィルソンを雇った。CGで物体を後から足すのではなく、撮影現場で観客の視線を誘導し、仕掛けを見破らせない奇術の考え方を取り入れたのである。ただし、ウィルソンの名前は画面上のクレジットには記載されていない。
主要撮影はMGM第30ステージで、予定より二日早く終了した。スティーヴン・スピルバーグは、1981年夏に予想されていた全米監督組合のストライキが始まる前に撮り終えるよう、現場へ働きかけていた。多くの特殊効果場面を抱えながら撮影を前倒しできた背景には、労使交渉によって制作全体が止まる事態を避ける必要があった。
本作の正式な監督はトビー・フーパーである。子役オリヴァー・ロビンスは、俳優の位置やカメラを決めて自分を演出したのはフーパーだったと明言し、ジョベス・ウィリアムズとクレイグ・T・ネルソンも、フーパーとスティーヴン・スピルバーグの両方から指示を受けたと振り返っている。一方でスピルバーグは配役、ロケ地、絵コンテ、編集、音楽にまで深く関与し、全米監督組合はその影響が監督クレジットを損なっていないか正式に調査した。現場の実態は、どちらか一人がすべてを担ったという単純な説明では収まらない。
劇場予告編では「スティーヴン・スピルバーグ製作」の文字が、トビー・フーパーの監督名のおよそ2倍の大きさで表示されていた。監督の立場を弱める宣伝だとして争われ、仲裁の結果、MGMはフーパーへ1万5000ドルを支払い、ロサンゼルスとニューヨークで流す予告編と今後の予告編を修正し、公開謝罪を出すよう命じられた。監督をめぐる論争は、宣伝上の文字サイズにまで及んでいる。
本作は、目立った流血や血なまぐさい描写がないにもかかわらず、「子どもが危険にさらされる」内容を理由に当初R指定を受けた。スティーヴン・スピルバーグ、MGM会長フランク・ローゼンフェルト、精神科医アルフレッド・ジョーンズが審査会で説明し、異議申立ては全会一致で認められてPGへ変更された。年齢区分を動かしたのは血の量ではなく、幼い子どもが怪異に狙われる恐怖だった。
米国でPG指定を得た後も、ダラスの地域映画審査委員会は本作を若年層に不適切として、上映差し止めを求めた。争点になったのは、調査員マーティが鏡の前で自分の顔をはがしていく幻覚場面である。陪審は、同じPGだった『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)の顔が溶ける場面とも比較したうえで、MGM側を支持した。
スティーヴン・スピルバーグは、脚本開発の初期にスティーヴン・キングへ共同執筆を打診した。ところがキングは大西洋を渡る船に乗っており、当時の通信事情では連絡を受け取れなかった。キングが返事をする前に制作側は別の体制で企画を進めたため、参加は実現しなかった。依頼を断ったのではなく、連絡の行き違いで終わった話である。
クライマックスで、母ダイアンが建設中のプールへ落ち、泥水から棺と骸骨が次々に浮かび上がる。そこで使われた骸骨の一部は樹脂製の小道具ではなく、実物の人体骨格標本だった。ジョベス・ウィリアムズは撮影中にその事実を知らされておらず、何年もたってから知ったと証言している。
泥水のプールを撮る現場には、約16フィートの大型送風機と照明機材が水の周囲に並んでいた。ジョベス・ウィリアムズは感電を恐れ、機材が接地されているという説明だけでは不安を拭えなかった。そこでスティーヴン・スピルバーグが防水長靴を履いてプールへ入り、最初のテイクに立ち会った。俳優に求める危険な撮影へ、自分も同じ水の中から参加したのである。
ダイアンが寝室の壁を滑り、天井へ引きずられる場面では、俳優をワイヤーで空中へ持ち上げるのではなく、寝室セット全体を360度回転させた。カメラと撮影者を床側へ固定し、ジョベス・ウィリアムズが重力でセット内を移動する様子を撮っている。何度も体を打ったため彼女の肘と膝は出血し、回転する室内に固定された撮影者は嘔吐したという。
フリーリング家を演じる五人は、撮影前に子どもたちを交えた即興を重ねた。決められた台詞を読むだけでなく、互いに冗談を言い、遠慮なく触れ合える状態を作ることで、長く一緒に暮らしてきた家族の距離感を整えた。怪異が始まる前の朝食や居間の場面が自然に見えるのは、撮影外で築いた関係をそのまま持ち込んだからである。
スティーヴとダイアンが寝室でくつろぐ場面では、マリファナの代わりにオレガノを吸っている。二人が互いの腹部を見せて体形を比べる冗談も、クレイグ・T・ネルソンとジョベス・ウィリアムズの即興を交えて撮られた。ウィリアムズが笑う反応も演技だけではなく、撮影中に実際に起きた可笑しさが残っている。
嵐の中でロビーを飲み込む庭木は、俳優が格闘できるゴム製の造形物として作られた。ところが、息子を助けようと枝へ飛びついたクレイグ・T・ネルソンによれば、その表面には本物のとげが残っていた。安全のために柔らかく作った怪木でも、撮影中の痛みまで完全には消せなかった。
脚本に書かれた「家が内側へ崩れ落ちる」という指示を、製作のフランク・マーシャルは「25万ドルの一文」と呼んだ。ILMは実在するシミバレーの家を測って約6フィート幅の精密模型を作り、家具まで縮小して内部へ置いた。模型を鋼線で漏斗状の装置へ引き込みながら真空で吸い、毎秒300コマの高速度カメラで一度だけ撮影した。わずかに露出が暗かったものの、模型を作り直せないため、その一回の映像が完成版に使われた。
子ども部屋の物入れが、巨大な喉のような空間へ変わり、室内の物を吸い込んでいく。ILMはこの内部を実物大の寝室セットとして作らず、別の縮尺でミニチュアを撮影した。その映像を、俳優が演じる寝室の実写素材へ光学合成し、一つの部屋が生物の体内へ変わるように見せている。
階段から現れる霊の光とともに、玩具や日用品が居間をゆっくり浮遊する場面は、完成まで九か月を要した。複数の撮影素材を光学プリンターで一枚のフィルムへ重ねるため、どれか一要素に傷や位置ずれがあれば、合成工程全体を最初からやり直さなければならなかった。VFX監修のリチャード・エドランドは、自分が経験した中でも特に難しいマット合成だったと説明している。
台所の椅子が一瞬でテーブルの上へ積み上がる場面には、CGも画面の切り替えも使われていない。カメラがダイアンを追い、椅子が画面から外れる約七秒の間に、スタッフが個別の椅子を運び出し、あらかじめ固定して一体化した椅子の山と交換した。一続きのショットの中で入れ替えるため、幽霊が本当に人の視線の外で動かしたように見える。
ジェリー・ゴールドスミスは、キャロル・アンとフリーリング家の郊外生活に、子守歌のように穏やかな主題を与えた。一方、霊が家を支配する場面では、不協和音や無調的な響き、声だけの合唱を組み合わせている。幼い少女を包む優しい旋律と、同じ少女を狙う怪異の音を大きく分けることで、家族の日常と恐怖を音楽の段階から対立させた。
本作は1982年6月4日に米国公開され、その一週間後の6月11日には『E.T.』(1982年)が公開された。スティーヴン・スピルバーグは、本作の音楽や編集に関わりながら、もう一方では監督として『E.T.』を仕上げていた。テレビから来る存在が家族を引き裂く映画と、宇宙から来た存在が少年と心を通わせる映画が、同じ夏の劇場にほぼ同時に並んだ。
テレビの砂嵐を見つめたキャロル・アンが家族へ告げる「They're here!」は、AFIが2005年に発表した米国映画の名台詞100選で69位に選ばれた。主語の正体も説明せず、わずか二語で家の中へ何かが来たと伝える台詞が、本作を代表する言葉として残っている。
公開40周年にあたる2022年、本作は修復を受け、初めて4K UHD版が発売された。家屋の模型、空中を流れる日用品、霊の光など、1982年にフィルムと光学合成で重ねた素材を、高解像度の家庭用映像ソフトで確認できる版である。
1982年6月の米国公開では、最初の三日間に890館で689万6612ドルを記録した。同年10月29日からは、ハロウィーンに合わせて864館で再上映されている。翌年の第55回アカデミー賞では、ジェリー・ゴールドスミスの作曲、音響効果編集、視覚効果の3部門で候補になった。夏の新作が数か月後にはハロウィーン向けの作品として再投入されたのである。
ロビーとキャロル・アンの寝室には、「SUPER BOWL XXII」と読めるポスターが掛けられている。第22回スーパーボウルが開催されたのは1988年で、本作の1982年公開より6年後である。画面上の文字は確認できるが、物語の年代が明示されていないため、単純な時代考証ミスなのか、小道具として未来の大会を想定したのかは特定できていない。
本作のプール場面で実物の人体骨格標本が使われたことは、出演者の証言で確認できる。しかし、それが後年の不幸を招いたという「呪い」には、因果関係を示す記録がない。ドミニク・ダンは元交際相手に殺害され、ヘザー・オルークは先天性の腸の異常に伴う合併症で亡くなっており、それぞれ具体的な経緯が確認されている。実物の骨を使った事実と、出演者の死を結びつける説明は分けて扱う必要がある。
ピエロ人形の腕が機械の故障でオリヴァー・ロビンスの首を本当に締め、スティーヴン・スピルバーグが救出したという話が広く伝わっている。しかしロビンス本人は、後年の取材でその話を聞いたことはあるものの、自分には記憶がなく、事実かどうか確認できないと答えた。現場の目撃者、撮影日報、特殊効果担当者の証言が見つかるまでは、確定した事故として扱えない。
1958年、ニューヨーク州ロングアイランドの一家で、瓶や家具が勝手に動くと報じられた事件があり、後に「空飛ぶ物の家」と呼ばれた。この出来事を本作の着想源とする紹介もあるが、スティーヴン・スピルバーグ、トビー・フーパー、脚本家たちが事件を参照したという発言は見つかっていない。現時点で確認できるのは現象の類似までで、本作の直接のモデルだったとは言い切らない方がよさそうだ。
宅地造成の際に墓石だけを移し、遺体を地中へ残したという本作の設定を、コロラド州デンバーの墓地跡再開発と結びつける説がある。実際に墓地の移転を伴う都市開発は存在するが、本作の脚本家や美術スタッフがその事例を調べたという記録は確認できていない。具体的な企画資料か当事者証言が見つかるまでは、似た史実から生まれた推測として扱う。