主な参考資料
- AFI
- Den of Geek
- Los Angeles Times
アサシン/暗・殺・者を配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
1993年公開の本作は、リュック・ベッソン監督『ニキータ』(1990)をワーナー・ブラザースが米国向けに作り直したリメイクである。ベッソンは英語版の初稿を準備したものの監督契約がまとまらず、企画が足踏みしたあと、字幕映画を敬遠する米国観客にも届く作品へ「再発明」できると考えたジョン・バダムが監督を引き受けた。ブリジット・フォンダ自身は当初リメイクの必要性を疑っていたが、『ルームメイト』(1992)の編集中映像を見た制作陣に起用され、約1か月にわたり減量、キックボクシング、銃器とスタントの訓練を重ねたうえ、アンヌ・パリローの演技をなぞらないよう原作映画の再鑑賞も避けた。バダムは後半をより主人公中心に組み直し、ニーナ・シモンの楽曲を人物造形へ持ち込む一方、撮影では低照度に強い新しいコダック5296フィルムを長編映画で初めて使用したと制作資料に記録されている。題名は『La Femme Nikita』から『The Specialist』案を経て『Point of No Return』に落ち着き、北米興収は3,003万8,362ドルとなったが、信頼できる製作費と最終損益は確認できない。字幕を避ける観客のために一本丸ごと撮り直すのだから、1990年代ハリウッドの「翻訳」は、ずいぶん大がかりな産業だったのである。
ベッソンは米国版の初稿を書いたが、監督契約がまとまらなかった。米国側の脚本家チームと英語版の初稿まで完成させたが、ワーナーとの監督契約がまとまらず企画は停滞した。その後、1991年にジョン・バダムが参加して映画化が再び動き出した。
ジョン・バダムは後年、米国版をめぐるフランス側の反発に触れ、ベッソンへリメイク権料として150万ドルが支払われたと回想した。契約書そのものは公開されていないため、金額は監督本人の証言として扱う必要がある。
バダムは「米国の観客向けに物語を再発明する」機会と考えた。字幕映画を避けがちな米国市場に向けて、強い女性が抑圧された人間性を取り戻す物語を「米国の言葉」で再構成できると考えたからである。
原作との差別化としてバダムが挙げたのが、主人公にニーナ・シモンを聴かせる設定だった。劇中では複数のシモン楽曲が使われ、主人公のコードネーム「ニーナ」とも重なる。単なる挿入歌ではなく、米国版で新たに組み込んだ人物表現だった。
バダムは『ニキータ』の主人公を高く評価しつつ、米国版では物語の最後の3分の1で彼女への焦点をさらに強めたいと語った。周囲から薬物依存者、暗殺者、家庭的な女性という別々の役を押し付けられた人物が、自分の生き方を選ぶ物語として整理したのである。
ブリジット・フォンダ起用の決め手は、まだ編集中だった『ルームメイト』(1992)の映像だった。同作の監督バーベット・シュローダーが、バダムと製作者アート・リンソンへ撮影済み映像を見せたことで、大作を背負えるかという迷いが解けた。
バダムは候補になった有名女優の名を明かさなかったが、フォンダを選んだ理由は明確に語っている。必要だったのは、外側は強くても内側に脆さを残せる俳優だった。アクションの迫力より、変化の途中にある人間を観客が見失わないことを優先した配役である。
自分を「運動が苦手」と考えていたフォンダは、撮影前に約1か月の身体訓練へ入った。プロのキックボクサーとハリウッドサインまで歩き、パンチバッグを使い、スタント担当者から銃の扱いも学んだ。本人は戦い方を覚える過程で役の感覚をつかんだと振り返っている。
序盤のマギーを作った欠けた歯は、フォンダが実際に装着した特殊な義歯だった。見た目は巧妙だったが、着けたまま噛むことができなかったため、食事場面では口に入れた物をどう吐き出すかばかり考えていたという。
リメイクでありながら、バダムは出演者とスタッフに『ニキータ』を見ないよう勧めた。フォンダもアンヌ・パリローの完成された演技をまねることを避け、個人の演技コーチと独自に役を組み立てた。画面を写すのではなく、同じ筋から別の人物を作ろうとした準備である。
フォンダは露出の強い衣装と、本人抜きの段取りに異議を唱えた。フォンダは露出の強い衣装や女性エキストラを性的に見せる演出へ異議を唱えたうえ、自分が昼食中に場面の段取りを決められたことにも反発した。公開直前の取材で本人が具体的に語った現場の摩擦である。
最初の任務でマギーが着る黒いドレスは、典型的な短く密着した衣装を避けて作られた。衣装デザイナーのマーリーン・スチュワートは、裾の広いホルタードレスで完全な可動性を確保した。優雅さとアクションを同じ衣装で両立させている。
AMPAS所蔵の製作ノートによれば、本作は当時新しかったKodak 5296を使った最初の長編映画だった。この高感度フィルムによって、暗い場所でも撮影しやすくなった。画面の低照度表現には、公開直前の新しいフィルムストックが使われていた。
主要撮影は1992年3月23日に始まる予定だったが、実際の開始は1週間遅い3月30日になった。撮影地にはロサンゼルスだけでなく、ニューオーリンズとワシントンD.C.も含まれていた。延期理由は確認できていない。
制作中には『La Femme Nikita』『Untitled/Nikita』に加え、『The Specialist』という題名も検討された。しかし本作は最終的に『Point of No Return』となり、その題は別のワーナー作品『スペシャリスト』(1994)へ残された。
英国では本作が『The Assassin』の題で、米国公開より1日早い1993年3月18日に劇場用審査を受けている。したがって海外題は、米国公開後の興行不振を見て急に付けたものではない。
バダムが掃除屋ヴィクターにハーヴェイ・カイテルを選んだのは、『ミーン・ストリート』以来、その危険な存在感を評価していたからだった。翌年の『パルプ・フィクション』でも似た役を演じるが、後者の配役が本作を参照した証拠まではない。
最初の任務で渡される銀色の拳銃は、競技用Hämmerli 280を映画用に改造したものだった。Stembridge Gun Rentalsの旧蔵品で、空包仕様とクローム仕上げを施した実銃プロップである。現存品はBlu-ray映像の傷まで照合されている。
米国では1993年3月19日に1,545館で公開され、初週末716万389ドル、北米最終3,003万8,362ドルを記録した。公開規模は最大1,659館まで広がったが、世界興収や製作費の確定値は得られない。
「ジョディ・フォスターとウィノナ・ライダーが主演を断った」という説がある。しかし同時代取材でバダムは候補者名を明かしておらず、AFIにも二人の辞退記録はない。フォンダの前に誰が正式オファーを断ったかは確定できない。
「ハル・ベリーがマギー役を求めて働きかけた」という説は、監督・主演の同時代取材やAFI所収の配役記録で確認できなかった。ベリー本人の発言や正式なオーディション記録が出るまでは、確定トリビアとして扱えない。
「米国で不振だった後に海外題をThe Assassinへ変えた」という説明は時系列が合わない。BBFCは米国公開の前日、1993年3月18日にすでに同題を英国劇場用として審査している。海外題の存在は事実でも、その理由はこの説明では成立しない。
劇中の白黒映画を『欺瞞』(1946)とする説明がある。しかしAFIは無記名使用映像を『愛の終焉』(1944)と記録している。同じベティ・デイヴィス主演のワーナー作品同士で食い違っており、フィルム素材の直接照合までは確定できない。