🔍 ポップコーン探偵
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PiCNiCの映画トリビア用メインビジュアル
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PiCNiC

PiCNiC / 1996
IMDb ⭐ 7.0🕐 68分🎬 フジテレビジョン1996年
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CASE FILE
探偵アイコン 探偵による映画背景メモ

1996年に68分の「日本バージョン」として劇場公開され、現在は2012年に復元された72分の「完全版」が流通する作品だが、撮影自体は1994年夏、フジテレビのビデオ事業として行われたものである。先に決まった『undo』だけでは短いため二本パックを求められ、急遽企画されて同じスタッフで連続撮影されたうえ、CHARAに『スワロウテイル』の現場を予行させる役目まで背負わされた。撮影は都内周辺の塀をつなぎ合わせ、毎日のラッシュを見ながら物語を大幅に変える即興型で進み、予算と準備時間の不足を創造性で返済する格好になった。当初予定された『undo』との二本立ては、映倫が一部場面の修正を求め、岩井が拒否したため中止となった。約5分を削った日本版は1996年に『FRIED DRAGON FISH』との二本立てでようやく公開され、16年後に完全版が劇場へ戻った。併映興行だったこともあり日本での本作単独の配給収入は今回確認できず、日本映画製作者連盟の1996年配給収入上位表にも掲載されていないため、二本立ての数字を勝手に分割してはいない。

― ポップコーン探偵
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企画開発
信頼度

岩井俊二は写真家の友人から、施設を抜け出したように見える若い男性二人と女性一人が、塀のそばで遊んでいたという話を聞いた。それをきっかけに、約5年前に見た「海辺に暮らす二人の少年が都会の女性を連れ去り、三人で暮らす」という夢を思い出した。東京を舞台に二つの像を結びつける決め手が、三人を塀の下ではなく上へ乗せる発想だった。

参考情報:公開資料(独)

撮影技術
信頼度

『undo』と『PiCNiC』は続けて制作され、どちらも主に16ミリフィルムで撮られたが、撮影監督・篠田昇は現像の考え方を反転させた。前者では感度50のフィルムを200相当まで増感し、後者では感度250のフィルムを減感している。同じ制作環境から生まれた二作でも、白い衣装、夏空、人物の肌が同じ質感にならないよう、撮影材料の段階で差を作った。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

ロケーション
信頼度

三人がどこまでも歩いていく塀は、一本の巨大セットではなく、東京周辺に点在する実在の塀と一部の造作を編集でつないだものである。視覚効果による合成には頼らず、場所ごとに異なる高さや背景を一つの旅として組み直した。岩井俊二が当初思い描いていたのは、さらに高く、眼下に都市全体が広がるほどの塀だったという。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

ロケーション
信頼度

ココが連れてこられる施設には、錦糸町近くに残っていた旧精工舎工場が使われた。中心となる建物は1930年に建てられたもので、本来は時計生産のための工場である。白い服の患者たちを閉じ込める無機質な場所は、病院の実景ではなく、別の役目を終えつつあった近代建築を転用して撮られ、建物は2002年に解体された。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

美術
信頼度

東京学芸大学附属高校での撮影では、もともとある塀を利用するだけでなく、その隣に美術部が高さ二メートルを超える壁を新しく建てた。ココが塀へ飛び乗り、ツムジとサトルの旅へ加わる動きを成立させるためである。実景だけに見える一連の場面には、学校施設と撮影用の造作が連続して組み込まれている。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

撮影
信頼度

高い塀や欄干を歩く場面では、先回りした美術スタッフがカメラから見えない裏側に足を置ける台を設けた。撮影監督の篠田昇は、その足場によって俳優の安全を確保したと説明している。それでも浅野忠信は、川の上にある日本橋付近の欄干を旗や傘とともに歩く撮影が特に怖かったと振り返った。

参考情報:公開資料(日)

企画開発
信頼度

先に撮られた『undo』は、映像商品として単独で販売するには短かった。そこで配給側から二本立てにできる別作品を求められ、岩井俊二は手元の未発表脚本から『PiCNiC』を選んだ。最初から大規模な劇場映画として始まったのではなく、一つの短編を成立させるための組み合わせが、もう一つの作品を急速に動かしたのである。

参考情報:公式資料(日)

制作進行
信頼度

『undo』を撮り終えたあと、『PiCNiC』に使えた準備期間は約二週間だった。そのまま30度を超える暑さの中で撮影へ入り、東京各地の塀や河川敷を約二週間かけて巡った。白い服を着た三人が涼しげに空へ近づいていく映像の裏側では、前作から切れ目なく続く短期集中の制作が進んでいた。

参考情報:公式資料(日)

制作トラブル
信頼度

信濃町駅付近の線路沿いでは、正式な撮影許可を取らずに三人が塀を歩く場面を撮った。その姿を確認した列車が緊急停止し、スタッフは現場から逃げたという。撮影監督の篠田昇は小道具の拳銃を持ったまま草むらへ身を隠したと回想しており、小規模撮影の身軽さが公共交通を巻き込む危険へ変わった現場だった。

参考情報:公開資料(日)

編集
信頼度

教会の塀と建物は別の街で撮られた。塀の部分は東京の信濃町、教会そのものは横浜で撮影し、二地点を編集で連続させた。東京中の塀を一本の道としてつないできた映画は、旅の目的地に着いてからも同じ方法で空間を組み立てている。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

脚本
信頼度

撮影第1週には、プロデューサー、岩井俊二、撮影監督の篠田昇が、その日に撮れたラッシュを毎日見返した。そこで得た感触を翌日以降へ反映し、物語もその都度変更している。当初の脚本では三人全員が塀の終わりへ着くはずだったが、撮影時間や見つかったロケ地に合わせて、一人ずつ運命が分かれる構成へ組み直された。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

脚本
信頼度

当初の脚本では、サトルもココやツムジと一緒に塀の終わりまで旅を続ける予定だった。ところが墨堤通り沿いで印象的な空き地を見つけた岩井俊二は、ここで事件を起こしたいと考え、その日の撮影でサトルを死なせる展開へ変更した。突然大きな出番を告げられた橋爪浩一には、一日中撮影すると伝えられたという。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

脚本
信頼度

初期脚本では、三人が壁の中から拳銃を見つけ、その銃をココが男女へ向ける展開が書かれていた。撮影された映画では拳銃を警官から奪う流れに変わり、壁の中から現れるものは人の手になった。暴力を外の社会から持ち込む筋と、壁そのものが死を抱えている不気味さが、撮影段階で別々の場面へ分けられた。

参考情報:公開資料(日)

脚本
信頼度

初期脚本の結末では、海辺でココが太陽を撃ち、続けて自分を撃ったあと、三人が彼女のもとへ走る予定だった。撮影中に横須賀港の防波堤灯台を見つけたことで、物語の終着地は急きょ灯台へ移された。映画では夕暮れのように見える最後の光景も、実際には日が昇る夜明けの時間帯に撮られている。

参考情報:資料・アーカイブ(日)

脚本
信頼度

初期脚本は教会から始まり、牧師が三人の物語を語る額縁構造を持っていた。そこではココが猫とキャットフードを食べ、サトルは最後まで生き、終盤で牧師が教会の壁にあるココの遺体を見つける。完成版は牧師の語りをすべて外し、施設から始まって灯台で終わる構成へ変え、出来事の意味を説明する人物を置かなかった。

参考情報:公開資料(日)

検閲・公開
信頼度

『undo』との二本立て公開に向け、予告編やテレビスポットまで作られていたが、映倫は施設内の強制注射と、拘束された男性患者へ女性医師らが加える行為を問題視した。精神科医療について誤解を招く恐れがあるという指摘に対し、岩井俊二は当初、場面の修正を拒んだ。その結果、準備の進んでいた劇場公開計画はいったん棚上げされた。

参考情報:公式資料(日)

別編集版
信頼度

ベルリン国際映画祭で上映された版は72分だったが、1996年の日本公開版は68分に短縮された。削られたのは、教師の幽霊がツムジへ放尿し、最後の雨を先取りする場面や、施設へ戻されたツムジが拘束・注射され、女性医師らから暴力を受ける一連の描写である。浅野忠信は、削除によって医師の人物像が変わったと振り返っている。

参考情報:公式資料(日)

修復・ソフト
信頼度

72分の完全版は2012年に特別上映され、2013年に監督監修のHDリマスターBlu-rayとして発売された。復元された場面を元へ戻すだけでなく、岩井俊二はHDテレシネ後の全編について、色、粒子、ノイズの出方を改めて調整している。さらに二カ所を約3秒ずつ延ばし、劇中に映る看板の絵も新しいものへ差し替えた。

参考情報:公式資料(日)

映画祭・受容
信頼度

日本での公開計画が定まらない中、『PiCNiC』は1996年2月16日に第46回ベルリン国際映画祭フォーラム部門で世界初上映された。公式カタログに記録された上映版は、35ミリ、画面比1.66対1、カラー、72分である。現地ではベルリナー・ツァイトゥング紙の読者審査員賞を受賞し、後の日本公開版より長い構成が先に海外の観客へ届いた。

参考情報:公式資料(独)

キャスティング
信頼度

ココ役のCharaとツムジ役の浅野忠信は、1994年夏の『PiCNiC』撮影を通じて出会った。二人が結婚したのは撮影と同じ年ではなく、翌1995年3月であり、その後2009年に14年間の結婚生活を終えている。資料によって作品の製作年が1995年と記されるため混同されやすいが、出会いから結婚までは年をまたいでいた。

参考情報:公式資料(日)

キャスティング
信頼度

岩井俊二は1994年までに『スワロウテイル』の初稿を書き、グリコ役をCharaへ依頼していた。しかしCharaには俳優経験がなかったため、いきなり大きな企画へ入る前に岩井組の撮影を経験してもらおうと、『PiCNiC』を先に制作した。そこで築いた関係は、グリコ役とYEN TOWN BAND名義の主題歌「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」へつながった。

参考情報:公式資料(日)

情報不足・要確認
信頼度

『PiCNiC』の公開延期は、1995年の事件が直接の理由だったという見方がある。白い衣装や宗教的イメージが時代の空気と重なったことは論じられているが、確認できる制作上の争点は施設内の注射と性的暴力を含む描写への映倫の指摘である。事件を直接の決定理由とする一次記録は未見で、二つの事情を同一視しないほうがよさそうだ。

参考情報:公開資料(日)

情報不足・要確認
信頼度

三人の白い衣装は、1994年夏の撮影時点ですでに使われていたため、1995年の事件を意図したデザインではないという。公開時の空気から結びつけて語られやすいが、撮影時期をたどると時系列が合わない。衣装の見た目だけで制作意図まで決めるのは危うい。

参考情報:公式資料(日)

情報不足・要確認
信頼度

岩井俊二が小説版を書きかけた、という記述がある。だが刊行物、原稿の所蔵先、本人の明確な説明はいまのところ確認できない。未完成原稿があったのか、それとも企画段階の話なのかを示す資料が出るまでは、作品史の余白として残しておく。

参考情報:公開資料(日)

裏取り強め
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