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1989年公開。1988年に始まったOVAシリーズから進んだ劇場版第1作で、ヘッドギア原作、伊藤和典脚本、押井守監督という体制で制作された。企画側は「娯楽の王道」「泉野明と篠原遊馬を活躍させる」「レイバー同士を戦わせる」という三つの条件を掲げたが、押井は予算と日程を埋めるために用意した松井刑事の静かな捜査場面を、ロケハンの途中でアクション以上に映画的だと考えるようになった。動画を滑らかに描こうとして作業が遅れたため、作画監督の黄瀬和哉は1コマ・2コマ中心だった動きを3コマ打ちへ変更し、結果として嵐や機械の動きに重さが生まれた。終盤の零式との一騎打ちは製作側の要望で追加されたが、そのための作画枚数は当初の割り当てになく、現場は娯楽映画の約束を文字どおり後付けで守ることになった。尺稼ぎとして始めた捜査劇が作品の個性となり、予算不足まで演出方針へ昇格させたあたり、現場の帳尻合わせも使い方次第では作家性になるのである。
劇場版は、先に出たOVAの反応を受けて動き出した。最初から巨大シリーズとして設計されたのでなく、手応えを確かめながら映画へ進んだ。OVAから育った劇場版である。
押井守は劇場版に向け、パトレイバーらしさを守るための三つの約束を置いたという。巨大ロボットを派手に動かすだけではなく、日常の延長にある異常を描く方針だった。
松井刑事が地道に調べる流れは、予算や尺の制約もあって強くなったという。派手な戦いを増やせないぶん、調査の足取りが映画の背骨になった。制約から生まれた捜査劇だ。
ロケハンで見つけた埋立地や工事現場の景色が、映画の舞台そのものを変えていった。未来の東京は机上で描くより、現実の工事現場から借りた未来になっている。
押井守は方舟が崩れる結末を考えていたらしい。だが伊藤和典が異を唱え、物語は別の着地を選んだ。脚本家が止めた崩壊エンドがあった。
劇場版では、毎秒の動きを増やすだけが作画ではない。あえて静止に近い時間を置き、機械や街の重さを感じさせる。動かさないことで出る重みがある。
現場の中心には20代後半のスタッフが多かったという。若い勢いで走る一方、社会や都市の重さを描こうとした。若い現場が作った重い都市だ。
劇場版を作っている途中で、テレビシリーズの始動も決まった。映画だけで閉じる予定だった世界が、その場で別の入り口を増やしていった。制作中に決まったテレビ版である。
1998年の音響リニューアル版では、ただ音を整えるだけでは足りなかった。多くの音を改めて録り、映画の空間を作り直した。ほぼ録り直した音の再整備だ。
4Kリマスターでは映像だけでなく、当時の制作を振り返るコメントも添えられた。古い映画を磨くだけでなく、作り方まで掘り起こす4K版になっている。
『パトレイバー』は最初から潤沢なメディア企画ではなかった。TV案が通らず、初期OVA6本を安く売るため、HEADGEARの印税なしで始めたとプロデューサーの鵜之澤伸は振り返る。成功後のVol.7では予算を倍にし、ようやく正式なギャラを払った。劇場版の前には、作り手が利益を後回しにした実験的な販売段階があったのである。
方舟や洪水のイメージは、難解な神学研究から始まったのではない。伊藤和典の車で移動していた押井守が、主人公の泉野明を「ノア」と読み、東京湾へ方舟を浮かべる案を口にした。その時点で物語の骨格はほぼできていたという。日常的なキャラクター名の音が、巨大建造物と破局を結ぶ発想のスイッチになった。
押井守は物語をさらに不確かなものにするため、帆場暎一は最初から存在しなかったことにしてよいか伊藤和典へ尋ねた。伊藤は、映画の次元は上がっても観客が混乱すると反対し、最後の音楽を聴いて納得して帰れる結末を選んだ。完成作の謎がぎりぎり現実へつながるのは、脚本家が一本の足場を残したからである。遊馬が集める記録を見直すと、その足場をどこまで信じられるかという別の面白さも生まれる。
川井憲次は本作だけに集中していたのではなく、同じ夏に『らんま1/2』の音楽も抱えていた。最終盤は一日1〜2時間の睡眠で作業したという。静かな都市捜査と巨大機械の緊張を支える音楽は、別作品の明るい楽曲と並行して作られ、作曲家にとってほとんど眠れない夏の記録でもある。二作品の音色を並べると、同じ時期の作業から正反対の世界を切り分けた技量が見えてくる。
映像と音を同じソフト上で並べられない時代、川井憲次はVTRとシーケンサーを別々に手でスタートさせた。VTRが動き出すまでの遅れを見越して押す順番を調整し、それでも数フレームずれる同期を追い込んだという。画面の転換へ音がぴたりと入る裏には、機械の遅さを作曲家の身体で補う作業があった。音の入り口を意識すると、自然に聞こえる同期が毎回の手作業だったことに驚かされる。
冒頭で帆場が身を投げる場面の冷たい金属音は、本作のためにゼロから作った音色ではない。川井憲次が以前『トワイライトQ』で作ったYAMAHA DX7の音色を発展させたものだった。別作品の実験音が、姿を消した人物と巨大システムの不気味さを結び付ける音として再び使われている。その響きを追うと、帆場が画面から消えた後も、音だけが彼の存在を残していると分かる。
劇伴の金属的な響きは、電子音だけで組み立てたものではない。川井憲次はYAMAHAの倉庫で実物のスティールドラムを見つけ、録音へ持ち込んだ。南国的にも聞こえる楽器の丸い金属音が、コンピューター犯罪と雨に濡れた東京へ置かれることで、機械音とも警告音ともつかない不穏な色を帯びている。耳を澄ますと、生楽器なのに巨大システムの内部から鳴るような異物感が残っている。
2ch用に作った音楽を5.1chへ置くだけでは、音圧が出ず低音がウーファーへ吸われた。スタッフ全員が初めての作業で、フェーダーを上げ切った末にスピーカーを飛ばしたという。川井憲次はスタジオのDolby機器へコーヒーをこぼしたいと冗談を言うほど苦戦した。後年版の迫力は、失敗を重ねた再設計の結果である。
完成版の帆場暎一は、冒頭で姿を消した後、記録と痕跡だけで映画を支配する。ところが35年ぶりに見つかった伊藤和典の初期稿には、帆場の葬儀があった。死者を人々の前へ一度戻す場面を削ったことで、完成作では実在感そのものが揺らぎ、遊馬が追う幽霊のような存在になったのである。帆場の顔を探しながら全編を見直すと、葬儀の欠落が人物をさらに不気味にしたと分かる。
完成版では遊馬と松井刑事の調査が別方向から帆場へ近づくが、発見された初期稿には、遊馬が別の人物と暴走の引き金を追う構成があった。人物の組合せを変えたことで、若い遊馬の技術的な疑念と、松井が歩いて集める都市の記憶が分離し、二種類の捜査が最後に重なる形になった。二つの調査場面を交互に追うと、この分離が映画の速度と世代差を同時に作ったことが見えてくる。
終盤付近、遊馬の背後の画面に「OMG」と表示されるという説がある。高解像度の画面確認や制作資料の裏付けはなく、背景モニターの文字が本当にそう読めるかも不明だ。版ごとに見比べたくなる小ネタである。
方舟や制御系に現れる六芒星には、ノアの物語とは別の宗教的・魔術的意味があるという説がある。記号そのものは画面で確認できても、意味を込めた証言は見つかっていない。形と意図を混同しないほうがよさそうだ。
帆場暎一の名には、エホバ、方舟、コンピューター用語など複数の語呂合わせがあるという説がある。音の連想はできるが、命名者による正式な由来説明は確認できていない。名だけで世界を広げるタイプのファン説だ。