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1993年公開。劇場版第2作では、押井守と脚本の伊藤和典が特車二課の物語をどう終わらせるかを出発点に、泉野明たちを後景へ退かせ、後藤喜一と南雲しのぶを中心とする政治劇へシリーズを組み替えた。押井によれば、この方向性はヘッドギア内部でも素直に一致したわけではなく、伊藤が企画側との調整役を担いながら、警察官個人の正義と組織の正義が離れていく物語を成立させた。画面制作ではレイアウトを各部署共通の設計図として徹底する方式を用い、押井は第1作の約2倍の情報量を画面へ詰め込めたと振り返っている。当初は交通網が止まった東京を人々が自転車で移動し、都市の距離感が崩れる様子を描く構想もあったが、尺と作業量の問題から、より明快な形へ整理された。ロボットアニメの続編でありながら主役機を「組織のお荷物」として扱い、若い主人公まで脇へ寄せたのだから、商品企画にはかなり不親切だが、映画には妙に誠実な続編である。 ---
『機動警察パトレイバー2 the Movie』では、押井守が東京で戦争を起こす映画を考えたという。怪獣や侵略者ではなく、街そのものが緊張へ傾く。東京を戦場にする発想が核にある。
背景と人物の配置は、前作よりさらに細かく積み上げられた。画面の情報量を増やし、東京の空気まで描くレイアウトを狙ったという。
この映画のレイアウトや背景の作り方は、後に資料本としてまとめられた。完成映像だけでなく、作り方そのものが資料になった映画である。
登場人物の自転車は、ただの移動手段ではない。急がず、街を横切り、遠くの出来事へ近づく速度を与える。自転車で測る東京の距離がある。
巨大な災害と防衛の気配が、東京の日常と重なるように描かれる。都市の機能が止まる恐ろしさを、平時の街に潜む非常事態として置いた。
前作で中心にいた若い隊員たちは、続編では前面から少し退く。代わりに大人たちの判断と停滞が画面を支える。主役を背景へ下げた続編だった。
舞台は前作の三年後で、特車二課の面々は同じ場所に集まっていない。続編は再会の話である前に、散らばった仲間の時間を描く映画でもある。
この映画はProduction I.Gにとって、出資にも踏み込んだ最初期の劇場作品だった。制作を請け負うだけでなく、会社の賭けを乗せた続編になった。
黄色いガスが街を覆うような画面は、1995年の地下鉄サリン事件より前に描かれていた。予言として扱うより、現実が後から追いついた不穏な場面として残っている。
後年の音響リニューアル版では、同じ場面でも街の遠さや低音の置き方が変わった。映像を変えずに、東京の空気を音から作り直す試みである。
4Kリマスターでは、元のフィルムから映像をあらためて読み取った。細部を現代化しすぎず、フィルムの情報を掘り出す4K化を目指している。
公開から長い時間が経っても、本作の東京描写は原画やレイアウトとともに見直されてきた。完成映像の外側にある設計図まで追えるから、完成後も読み解かれる東京になった。
『パトレイバー2』でレイバー同士の戦いは、終盤の地下突入へほぼ押し込められている。押井守は、その戦闘さえ物語には本当は必要なかったと振り返る。それでもシリーズの題名と機体を器として残すことで、オリジナル政治映画なら通りにくい「東京の疑似戦争」を娯楽作品の続編として実現した。機体の登場時間を数えると、題名と本編の意図的な距離がはっきり見えてくる。
シリーズの主要人物を脇へ置き、政治劇へ振り切る案は共同原作者全員に歓迎されたわけではない。押井守によれば、他のHEADGEARメンバーから反対のFAXが毎日届き、妻が監督を怒らせないよう捨て、伊藤和典が両者の間をつないだ。完成作の冷静な画面の裏では、作品の所有感をめぐる熱い交渉が続いていた。旧メンバーの出番の少なさを見ると、その対立が完成版の人物配分へ直結していたことを実感できる。
本作のレイアウトは、原画の前に描く大まかな構図ではない。レンズ、遠近、人物、背景、メカ、光、カメラ移動を一枚へ集め、美術・作画・撮影が同じ完成像を見るための画面の設計図だった。実写なら撮影現場で決める項目を先に固定することで、架空のカメラが東京を撮ったような一貫した距離感を作っている。人物が動かないカットでも視線が迷わないのは、見る順番まで設計図に織り込まれているからである。
本作は約872カットという長編として抑えたカット数を、6人の専任レイアウト担当が設計した。渡部隆、今敏、竹内敦志、水村良男、荒川眞嗣、田中精美が、人物が動き出す前に画面の骨格を作る。カットを細かく割って勢いを出すのではなく、一枚の中へ長く視線を留め、都市を読ませる制作体制だった。一つのショットが長いほど、担当者ごとの設計を黄瀬和哉が統一する負荷も大きくなる。
6人で分担しても、画面の統一は自動では生まれない。専門研究によれば、渡部隆だけで200〜300カットを担当し、黄瀬和哉は全レイアウトへ目を通して修正した。時間が足りない箇所では人物まで描き足したという。冬の東京と登場人物が同じレンズの世界に見えるのは、最後に全画面を横断した手があるからである。
精密な画面はすべて定規と鉛筆だけで作られたわけではない。一部のレイアウトでは、複雑な形を確かめるため3DCGを補助に使っていた。より広く導入する案もあったが、当時は費用が高く予算に収まらなかったという。手描きの完成度を守りながら、次世代の設計方法を小さく試した過渡期の作品でもある。
アニメの「カメラ」は実在しないが、本作では実写撮影のようにレンズと位置を決めた。レイアウトへカメラ角度、レンズ相当とパース、人物と物体の距離を書き込み、次のカットでも同じ空間が続くようにした。背景の精密さだけでなく、見る位置の規則を全スタッフが守ることで、東京が撮影可能な現実の場所に感じられる。橋や廊下の消失点を追うと、架空の撮影者がどこに立っているかまで想像できる。
画面に何度も現れる鳥は、自由や魂を表す記号だと解釈したくなる。だが押井守は、鳥に固定した象徴を持たせず、意味を読み取ろうとする画面へ入り込む「ノイズ」として使ったと説明している。物語の外から飛来し、整えられた構図を乱すからこそ、東京が人間の論理だけでは閉じない場所に見える。意味を決めずに見直すと、鳥が現れるたび画面の秩序だけが揺れることに気づく。
本作の音楽は、完成映像を見てから急いで付けたのではない。川井憲次は先に6曲・約23分のプレサウンドトラックを作り、映画公開前に発売した。音の方向を早く共有できたため、VTRへ手で同期していた前作より余裕を持てたという。冷えた都市の温度は、画面が完成する前から音楽として存在していた。
完成版では、野明と遊馬が配属先で眠るイングラムを見る場面が、特車二課の終わった時間を静かに伝える。発見された初期稿では、そこにもう一人の旧隊員がいた。人物を一人減らしたことで、かつての仲間が各地へ散った感覚と、二人だけが機体の記憶に向き合う寂しさが強くなった。空いた場所を意識して改めて見直すと、画面にいない昔の仲間まで離散の一部として感じられる。
地下施設へ向かう前、初期稿の旧特車二課メンバーはそれぞれの将来の夢を話していた。完成版はその会話を削り、再会の喜びや別れの感傷をほとんど説明しない。仲間たちの未来を言葉にしなかったことで、彼らは昔のチームへ完全には戻れず、仕事だけを終えて再び別れる大人として見える。突入前の短いやり取りを聴き直すと、削られた夢の代わりに長い沈黙が別れを語っている。
ベイブリッジ攻撃映像の時刻2時26分は、1936年の二・二六事件を指すという説がある。数字の一致は気になるが、二・二六事件への言及だと示す脚本や絵コンテは確認できていない。歴史を重ねて読むファン説のひとつだ。
冒頭近くの鳥の三連画には「Vogel」と書かれ、ドイツ語やオランダ語で鳥を示すという説がある。文字の綴りや登場する版を確かめられておらず、鳥の三連画の意図も不明だ。細部を拡大して見たくなる未確認ネタである。
繰り返し現れる鳥を、自由や魂、死者の象徴として読む説がある。だが押井守は固定した意味ではなく画面のノイズとして扱った趣旨を語っており、制作意図として断定はできない。解釈として楽しむ余地は残る。