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1957年公開、第一次世界大戦の軍法会議を描くハンフリー・コッブの小説を、キューブリックがカルダー・ウィリンガム、ジム・トンプソンと脚色した。企画は反戦色の強さから資金調達に苦しんだが、脚本に惚れ込んだカーク・ダグラスの参加がユナイテッド・アーティスツの出資を引き出した。約100万ドルの予算のうち3分の1以上がダグラスの出演料に充てられ、撮影はミュンヘン近郊で行われ、塹壕と戦場を限られた資金で構築した。公開後はフランス軍の描写をめぐる外交的反発を受け、製作側がフランス公開を長く見合わせ、同国での一般公開は1975年まで待つことになった。正確な世界興収を示す一貫した集計は確認できず、資料上は製作費を回収した程度から小幅な利益まで評価が分かれている。スターの名でようやく作れた反権力映画が、各国の権力に上映日程を決められたのは、宣伝部には書きにくい後日談である。
キューブリックは十代の頃、父の書棚でハンフリー・コッブの小説『Paths of Glory』を読み、その内容を長く覚えていた。映画監督になった後、ニューヨーク公共図書館で本を探し直し、製作者ジェームズ・B・ハリスと映画化権を1万ドルで取得した。当時すでに忘れられかけていた反戦小説が、監督の個人的な記憶を経て映画へ戻されたのである。
参考情報:映像ソフト公式(米)
原作小説の土台には、1915年にフランス軍で起きたスアン伍長事件がある。攻撃命令を遂行できなかった部隊から四人が選び出され、全体への見せしめとして軍法会議にかけられ、銃殺された。遺族が長年訴え続けた末に名誉が回復された史実は、映画では三兵士が組織の失敗を背負わされる構造へ再編されている。
参考情報:AFI(米)
原題『Paths of Glory』は、英国詩人トマス・グレイの「墓畔の哀歌」にある、栄光への道も結局は墓へ通じるという一節から取られた。将軍たちは攻撃を昇進と名誉の機会として語るが、その道の先で命を失うのは前線の兵士たちである。邦題の『突撃』が行動を指すのに対し、原題はその行動を命じる側の美辞麗句と結末を同時に示している。
参考情報:AFI(米)
反戦色が強く、恋愛要素も勝利の結末もない企画に大手各社は消極的だった。カーク・ダグラスが脚本を読み、主演を引き受けると、自身のブライナ・プロダクションとユナイテッド・アーティスツの契約関係を使って製作を後押しした。約100万ドルの予算の三分の一以上は彼の報酬に充てられたが、同時に彼の興行価値が、映画を実現させる事実上の担保になった。
参考情報:資料・アーカイブ
脚本開発中には、処刑直前に上層部から電話が入り、三兵士の命が救われる結末が書かれた。商業映画として観客に救いを与える案だったが、カーク・ダグラスは、それではこの企画へ参加した意味が失われると反対した。最終的に原作に近い処刑へ戻され、ダックス大佐の弁護も個人の善意も軍の組織論理を覆せない、現在の非情な結末が残された。
参考情報:AFI(米)
キューブリックと製作者ジェームズ・B・ハリスが原作を映画化する際、まず犯罪小説家ジム・トンプソンが脚本へ参加し、その後、劇作家カルダー・ウィリンガムが改稿を担った。完成版は三人の共同脚本としてクレジットされている。軍の命令系統、法廷での論理、処刑後の余韻を一本の映画へ圧縮した構成は、異なる作風を持つ書き手の複数稿から生まれた。
参考情報:映像ソフト公式(米)
第一次大戦下のフランス軍を描く作品だが、主要撮影は西ドイツで行われた。戦場はミュンヘン近郊プフハイムの土地を大規模に造成し、軍法会議や処刑に関わる場面にはシュライスハイム宮殿周辺を使った。泥、鉄条網、爆発に覆われた前線と、磨かれた床と高い天井を持つ司令部の隔たりは、別々の実在空間を組み合わせて視覚化された。
参考情報:資料・アーカイブ(米)
戦場は農地を掘り返して造成した。作業員が地面を掘って砲弾孔と塹壕を作り、泥と鉄条網を配置し、進軍経路には数百発の爆薬を埋めた。兵士が倒れる区域と爆発の順序まで決めた巨大な屋外セットを造成し、その中をダックス大佐と部隊が前進する長いショットを撮った。
参考情報:資料・アーカイブ(米)
アントヒルへの突撃には、休暇中のドイツ警官約600人が兵士役で参加した。現場では六台のカメラが異なる区域を受け持ち、エキストラ一人ひとりに進む距離と倒れる地点が割り当てられた。参加者には戦争経験者もおり、爆発が管理されている撮影では自然に身を伏せなかったため、キューブリックは安全だと分かっていても恐怖を表すよう指示した。
参考情報:資料・アーカイブ(米)
攻撃前、ダックスが塹壕を歩いて兵士を見て回る場面では、カメラが彼の前を後退しながら約二分間追い続ける。一回の撮影だけで成立した長回しではなく、複数の移動撮影を八つのカットで滑らかにつなぎ、泥、兵士、担架が途切れず流れるよう組み立てた。広い宮殿で静止に近い構図へ収まる将軍たちと、狭い塹壕を進み続ける前線の兵士が、撮影法でも分けられている。
参考情報:映像ソフト公式(米)
フェロル二等兵役のティモシー・ケリーは、撮影中に自分が誘拐されたように見せる騒ぎを起こした。製作者ジェームズ・B・ハリスは警察へ事実を説明するよう求めたが、ケリーが拒んだため解雇したと証言している。すでに大人数と爆薬を使った戦闘場面は同じ条件で撮り直せず、被告三人を突撃前から観客に見せる構成の一部が完成版から失われた。
参考情報:公開資料
将軍たちの食事場面で、キューブリックはアドルフ・マンジューへ何十回も撮り直しを命じた。長いキャリアを持つマンジューがついに怒りを爆発させると、監督はその経歴を承知した上で、場面が正しくなるまで続けると冷静に返したという。俳優の動きに合わせて料理の状態もつながるよう、皿のローストダックはテイクごとに新しく用意された。
参考情報:公開資料(米)
終幕で兵士たちの前に立ち、ドイツ語の歌を歌う女性を演じたのはクリスティアーネ・ハーランである。キューブリックは彼女をドイツのテレビ番組で見つけ、ガイゼルガシュタイクのスタジオへ呼び、短い面談の後に起用した。物語では敵国の女性とフランス兵が言葉を越えて感情を共有するが、その撮影中に二人も親しくなり、翌年結婚した。
参考情報:新聞社(英)
酒場でドイツ人女性が歌い、兵士たちが少しずつ旋律を口ずさむ終幕は、脚本家カルダー・ウィリンガムが提案した。キューブリックは当初、この場面を感傷的だと考えて反対したが、ウィリンガムに説得されて脚本へ残した。女性が歌うのはドイツ民謡「忠実な軽騎兵」で、敵国の言葉を理解できないフランス兵たちが、声と旋律だけを通じて同じ感情へ移っていく。
参考情報:映像ソフト公式(米)
作曲家ジェラルド・フリードは、戦争映画に期待される華やかな旋律よりも打楽器を前面に出した。兵士を鼓舞するはずの軍楽のリズムを、不安と命令の圧力を伝える音へ変え、突撃へ向かう歩調と処刑場へ進む歩調を同じ軍の規律として結びつけた。終幕では硬い打楽器が退き、伴奏のない女性の歌声が兵士たちの感情を変える。
参考情報:公開資料
フランス軍上層部を厳しく描いた本作は、フランスで完成時に一般公開されなかった。政府が一本の禁止命令を出したというより、外交的反発を予想した配給側が公開申請を見送り、映画が市場から遠ざけられた経緯がある。ベルギーやスイスでも上映をめぐる制限が起こり、フランスでの一般公開は完成から18年近く後の1975年3月26日まで遅れた。
参考情報:公開資料(仏)
公開当初、フランスなどで上映を阻まれ、アメリカでも大規模な商業作品として扱われなかった本作は、1992年にアメリカ国立フィルム登録簿へ選ばれた。登録簿は文化的、歴史的、美学的に重要な映画を恒久保存する制度である。軍組織への批判が配給上の危険と見なされた作品が、三十五年後には米国の映画文化を構成する保存対象へ位置づけ直された。
参考情報:公式資料(米)
UCLAフィルム&テレビ・アーカイブとMGMによる修復では、現存したオリジナル・カメラ・ネガ約90%を基礎にした。傷んだ部分や欠損は別世代のフィルム素材から補い、塹壕の泥、宮殿の白い壁、処刑場の霧が持つ白黒の階調を整えた。この修復マスターは、クライテリオン・コレクションが2010年に発売したBlu-rayの映像にも使用された。
参考情報:公式資料
カーク・ダグラスは本作でキューブリックと協働した後、自ら製作・主演する『スパルタカス』で監督交代が起きると、後任に彼を起用した。約100万ドル規模の反戦映画から、数千人の出演者と大規模セットを動かす巨大史劇への移動である。一方、『スパルタカス』では最終決定権が製作者側にあり、監督が企画から主導した『突撃』とは異なる条件で二人は再び組むことになった。
参考情報:AFI(米)
キア・デュリアは演劇学校へ通っていた頃に本作を見て、上映後に監督が誰なのかを確認したという。そこでスタンリー・キューブリックの名を覚え、以後その作品を追うファンになった。数年後、デュリアは『2001年宇宙の旅』のデイヴ・ボーマン役に選ばれ、学生時代に強い衝撃を受けた監督と、宇宙飛行士の感情を抑えた演技を作ることになった。
参考情報:公開資料
ウィンストン・チャーチルが本作を見て、塹壕戦と軍事官僚制の精神を正確に捉えていると評価したという逸話がある。第一次大戦期に要職を務めた人物の言葉なら作品の受容史として重要だが、発言を収録した本人の文章、書簡、同時代の新聞記事は確認できない。現段階では出典不明の引用として扱う必要がある。
参考情報:映画データベース
将軍たちの食事場面で、俳優が料理へ手を付けても次のテイクで皿の状態がつながるよう、新しいローストダックを用意したことは制作記事で確認できる。一方、撮影のために68羽を使ったという具体的な数字は、ケータリング記録や当事者証言まで遡れない。大量の反復撮影を示す話としては興味深いが、数量は未確定である。
参考情報:映画データベース(米)
ドイツ人女性の歌にフランス兵が加わる終幕を、1914年のクリスマス休戦に重ねる解釈がある。敵対する国の人々が音楽を通じて一時的に人間性を取り戻す点は確かに共通する。一方、この場面を提案したカルダー・ウィリンガムやキューブリックが、休戦を直接の着想源にしたという脚本メモや証言は確認されていない。
参考情報:映像ソフト公式(米)
アントヒルの戦場は、ドイツの採石場を利用して作ったという説がある。プフハイムの土地へ砲弾孔や塹壕を掘り、泥、鉄条網、爆薬を配置した大規模な造成工程は確認できる。一方、その土地が撮影前に採石場だったと特定する自治体記録やロケーション資料は見つからず、確認済みなのは人工的に戦場へ変えた工程までである。
参考情報:映画データベース(米)