主な参考資料
- Los Angeles Times
- The Guardian
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2002年公開。デヴィッド・コープは新聞で読んだ防犯用「パニック・ルーム」と、自宅タウンハウスの改装で建物の構造ばかり考えていた体験を結び、まず約30頁のトリートメントを書き、約2週間で初稿を走り書きした。フィンチャーは前作『ファイト・クラブ』(1999年)の約150か所に及ぶロケーションの反動から、ほぼ一軒に閉じた企画を選び、各ショットをコンピューター上で設計する「構成された映画」として組み立てた。 だが、ニコール・キッドマンは撮影開始後に膝の故障で離脱し、ストライキ前に製作を止めないためジョディ・フォスターが急遽参加した。フォスターは妊娠中の約5〜5か月半の撮影をこなし、相手役クリステン・スチュワートを含む場面は撮り直しになったうえ、撮影監督ダリウス・コンジも約2週間で離脱し、コンラッド・L・ホールが後任となった。 レドンドビーチのステージに建てたブラウンストーンのセットは、可動壁やカメラ用の空間を3Dモデルで先に設計し、全体のほぼ3分の2をプリビズ化したうえ、VFXスーパーバイザーのケヴィン・トッド・ハウグによれば、完成作には数百のVFXショットがあり、デジタル補正まで数えれば約2,000ショットに及ぶ。The Numbersの集計では製作費は約4,800万ドル、世界興収は約1億9,630万ドルだが、安全室の映画を完成させるまで、制作陣に安全な場所はほとんどなかったようだ。
脚本家デヴィッド・コープは、富裕層の住宅に設ける「安全室」の記事を以前に読んでいた。ニューヨークの4階建てブラウンストーンを改装した経験と結び付き、大きな家の中の小さな密室を逃げ場でありながら閉じ込め場所にもなる舞台へ変えた。
『パニック・ルーム』は、発注を受けて書いた脚本ではなく、デヴィッド・コープが先に書いて売り込んだスペック脚本だった。Columbia Picturesの取得額は400万ドルと報じられ、当時の脚本売買でも突出した金額となった。
『ファイト・クラブ』(1999)では約150か所のロケーションを渡り歩いた。その次にフィンチャーが選んだのは、ほぼ一軒の家だけで物語が進む脚本だった。移動ではなく構図とカメラで空間を作り込める題材に惹かれたのである。
デヴィッド・コープは、自分の脚本は初稿が最も良いことが多いと語っている。しかし本作は例外で、フィンチャーから大量の意見とアイデアを受けて改稿し、脚本がより良くなったと明言した。
当初の主演ニコール・キッドマンは、撮影開始後に膝の負傷で降板した。製作は中止されず、ジョディ・フォスターを迎えて撮り直すことになり、セットや人物像まで調整された。
フォスターは撮影のかなり早い段階で妊娠していることを知り、本人の言葉ではほぼ映画全体を妊娠中に撮った。時期によって可能な動きを考え、スタッフと日程を組み直して撮影を続けた。
キッドマン用のセットをフォスターへ合わせるため、キッチンの壁掛け電話を低くした。主人公像も、より無力で冷たい人物から、フォスターの身体性に合う泥臭く現実的な人物へ変化した。
サラ役には当初ヘイデン・パネッティーアが決まっていた。彼女は後年、母が髪をボブに切る提案を本人に相談せず断り、それが降板の決め手になったと回想している。監督は当時、リハーサル上の理由を説明していた。
『セブン』(1995)で組んだダリウス・コンジは撮影途中で離れた。フィンチャーは、ショットを細かく事前設計したため、コンジを意思決定から遠ざけてしまったと認めている。
家の内部はニューヨークの実在住宅ではなく、カリフォルニアに建てた推定800万ドル超の4階建てセットだった。仮想空間でレンズやレール長、外す壁まで先に検討している。
カメラが手すり、階段、玄関の鍵、コーヒーポットを通過する約90秒のショットは、実写とCGをつないでいる。撮影9日、合成ほぼ1年を要した。
35ミリフィルムを1コマ3穴で送る改造により、1巻を約20%長く回せた。フィルム代を節約できた一方、改造カメラの変化する唸り音が台詞収録を難しくした。
撮影のない週末、音響班は実際の家セットで足音や窓、ガラス片を録音した。パニックルームの環境音は、合唱を遅くした素材など24種類を超える音を重ねている。
巨大な文字が街に浮かぶオープニングは、2001年春から1年以上かけて作られた。再撮影で季節が変わった地上ショットでは、春の緑の葉を秋色へ修正している。
ジャレッド・レトの細い編み込みは、付け毛ではなく100%本人の髪だった。最初は眠れないほど痛かったが、担当者は約1時間で仕上げられるようになった。
フィンチャーが後年語った自己記録は、『パニック・ルーム』のあるスタントで104テイクだったというもの。ただし対象ショットは明かされていない。
【ネタバレあり】初期脚本では、メグが隣家から壁を破って救出し、ラウールは扉に頭を挟まれて死亡、バーナムも警察に撃たれて死亡する。完成版とは大きく異なる結末だった。
当初は素早く作れる低予算B映画の想定だったが、制作は巨大化した。DVD特典を整理した際には、撮影テープと書類だけで23箱に達したという。
IMDbのトリビアはヘイデン・パネッティーアを「故人」と記しているが誤りである。2026年に本人が刊行した回想録の内容とは分けて訂正する必要がある。
医療バッグのショットに103テイクを費やしたという説は、対象を特定する資料が見つからない。確認できる「あるスタントで104テイク」という証言とも同一視できない。
ジャレッド・レトが全スタントを自分で演じたという説は、本人発言やショット別記録で確認できない。一部実演と、代役を一切使わないことは区別が必要である。