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1960年公開。幸田文の自伝的小説を水木洋子が脚本化し、市川崑監督、宮川一夫撮影で大映が製作した作品である。大正時代の記憶を生々しい総天然色にしないため、現像工程で漂白を省いて銀を残す処理が用いられ、カラーと白黒の間にある、くすんだ独特の画調が作られた。4Kデジタル修復ではオリジナルネガを4Kで読み取り、宮川の助手を務めた宮島正弘の監修により、傷や揺れを除きながら公開時の抑制された色と明暗を一カットずつ再現している。古い映画を鮮やかに磨けばよいという話ではなく、本作では技術を総動員して色を目立たなくするのだから、修復現場は画質競争の常識まで修復する羽目になったのである。
『おとうと』は、市川崑が原作を読んですぐ大映で企画化できた作品ではない。映画化はまず松竹で決まりながら停滞し、権利は東京映画へ移り、東映も関心を示した。各社が暗い内容に二の足を踏む間、市川は映画化への執着を失わず、ようやく大映を説得し、複数社を巡回した権利の最後に監督が追いついたのである。完成作の抑制された画面は、売りやすさより作品の温度を守った結果でもある。
映画化が止まっている間にも、『おとうと』は脚本として先に読まれていた。水木洋子が書いたシナリオは専門誌へ掲載され、市川崑はその脚色の巧さに触れて、作品を撮りたい思いをさらに強めた。完成していない映画を一本の脚本が生かし続けたのである。姉弟がいたわりを直接口にせず、口論の調子で互いを気遣う会話は、映像以前に書かれた構造であり、市川の色彩設計はその言葉へ別の層を加えた。
画面の色が薄いのは、古いフィルムが退色したからではない。市川崑は、明治を外来文化へ未来を託した時代、昭和を現代につながる生々しい時代と見たうえで、その間の大正を「暗い無風状態」と捉えた。そこで物語の時代そのものを色の少なさで表そうとしたのである。歴史解釈を現像へ変換したため、灰色の家とわずかな赤が、姉弟と家族全体の息苦しさまで同じ沈んだ調子で深く包んでいる。
『おとうと』の灰色は、カラー映像へ後から単純に脱色をかけたものではない。通常なら発色後に取り除く銀をカラーポジへ残し、色と黒白の像を同時に持たせた。宮川一夫が求めたのは、色が消えることではなく「白黒の中に淡く色が感じられる」状態だった。フィルムに残す物質を変えて時代を作る銀残しは、後の世界各地の映画でも広く使われる、映画史的にも重要な映像表現の先駆になった。
銀を残せば狙った画面がすぐ得られたわけではない。東京現像所の當間章雄によれば、色調とコントラストが思うように整わず、フィルムの種類まで替えながら試すうち、約1か月が過ぎた。撮影本番の前に、現像所で未知の組合せを探る時間が必要だったのである。一つのルックを一か月の失敗から選ぶ工程を知ると、全編の統一感がプリセットではなく、試写を重ねて見つけた狭い解だと分かる。
銀残しは、どのフィルムと場所でも同じ結果を出す万能処理ではなかった。宮川一夫はまずアグファのネガ、次に同社のポジを試し、照明を制御できるセットでは良い結果を得た。しかし暗部を多くしたロケでは、標準露出のまま狙うことが難しかったという。室内で成功した色を屋外へそのまま持ち出せないため、撮影と現像を別工程にせず、場所ごとに一つの連続した系として細かく調整したのである。
銀残しは、通常の現像から漂白だけを単純に抜けば完成する技法ではなかった。當間章雄は焼付と現像時間の組合せを探り、漂白を飛ばしたうえで現像時間を通常の半分以下にする方法へ到達した。銀が多すぎれば黒く硬くなり、少なければ狙った灰色が消えるため、残す量を時間で精密に制御したのである。作品の柔らかな暗さは、色を減らす効果ではなく、化学処理の細かな秒数を詰めた結果である。
銀残しは、普通の現像機へ一時的な設定を入れるだけでは済まなかった。東京現像所に3台しかなかったアグファカラーポジ用現像機のうち、1台を専用工程へ組み替え、製作期間中は通常の仕事へ使えなくした。会社の処理能力の三分の一を一本の映画が製作中ずっと占有したのである。画面の色を抑える選択が、撮影班だけでなく現像所の設備運用と他作品の仕事にまで直接及んだことが分かる。
銀残しは、大映社内で最初から歓迎されたわけではない。永田雅一社長は試写を見る前、カラーで白黒のような映画を作るなら白黒フィルムで撮ればよいという趣旨で反対した。すると市川崑と宮川一夫は姿を消して準備が完全に止まったが、ようやく約15分間のテストを見た永田は態度を変え、自由に進めるよう認めた。説明ではなく映像そのものが社長を説得し、技法が本番へ残ったのである。
銀残しの色は、完成した普通のセットを現像所が一括で古びさせたものではない。美術班は壁に本物の漆喰を使い、病室の壁へ油を塗って汚すなど、処理後にどの凹凸と染みが残るかを何度も丹念かつ極めて厳密にテストした。化学処理の結果を美術素材から逆算したのである。姉弟の家と病室を見直すと、灰色の中にも木、布、壁の異なる手触りが消えず、色の少なさが平坦さへならない理由が分かる。
屋外の落ち着いた色は、曇天と現像処理だけで自然に揃ったのではない。ロケ班は灰色の塗料とバケツを持ち歩き、鮮やかすぎる木の葉へコンプレッサーで色を吹き付けた。街や堤防も最初から色が氾濫する場所を避け、現実の風景を先に減色してからフィルムへ渡すのである。背景の植物まで姉弟の家と同じ沈んだ調子なのは、季節の偶然ではなく人の手による徹底した地道な現場での着色だった。
病室で姉がまとう赤紫の着物は、現場でも同じ赤紫だったわけではない。その色をそのまま銀残しへ通すと濁るため、テストを重ね、実際には透けるような薄い桃色に近い着物を着せた。処理後に初めて狙った赤紫として画面へ現れ、完成色から逆算して別の色を撮る発想で、抑えた全編の中に姉の姿だけが静かに浮く。衣装の見た目まで撮影後の現像工程から徹底して逆算して決められていたのである。
『おとうと』の銀残しは、すべての色を同じ割合で弱くした画面ではない。ケシの花、インク、姉の着物など、赤を感じさせたい対象は別にテストし、灰色の世界から浮くよう個別にさらに細かく調整した。色を消す技法ではなく、残す色を選ぶ技法だったのである。再見すると、赤が現れるたびに装飾以上の強い注意が集まり、家族の抑えた感情の中で、言葉にできない熱だけが物質として見えてくる。
銀残しは、珍しい技術だけが先に評判になったのではない。本作は1960年のキネマ旬報日本映画1位となり、毎日映画コンクールでも作品、監督、撮影、美術、複数の演技部門を広く受賞した。翌年のカンヌではフランス映画技術委員会特別賞も受け、姉弟の物語とラボの実験が同じ評価へ結びついたのである。色彩が内容を飾るのではなく、家庭の冷えを語る方法として認められた重要な例である。
4K修復は、退色したフィルムを鮮やかな現代カラーへ戻す作業ではなかった。元の撮影監督・宮川一夫の助手を務め、その画作りを知る宮島正弘が監修し、色と明るさを一カットずつ調整した。銀残し特有の「色が少ないのに情報がある」状態を守るため、解像度を上げながら鮮やかさを上げすぎない判断が、修復の核心になったのである。4K版では灰色を欠陥ではなく設計として読む必要がある。
2015年の4K Master Blu-rayは、画面を高精細にしただけの商品ではない。市川崑が所有していた『おとうと』のシナリオを復刻し、ブックレット、予告編集、日本語字幕とともに収録した。完成映像と監督の手元に残った設計図を同じ箱へ保存したのである。水木洋子の台詞が、どこで画面の間や色彩へ置き換わったかを比較でき、4K修復を鑑賞だけでなく制作研究の入口にしている。
山田洋次の2010年版『おとうと』は、市川崑版の正式なリメイクや直接のオマージュだという説明がある。同じ邦題と姉弟を扱う題材のため結び付けられやすいが、2010年版の公式資料は別の物語としている。市川崑版の直接リメイク説は危うい。
4K修復で銀残しの見た目を新しくデジタル追加した、という誤解がある。銀残しは1960年の撮影とポジ現像で作られた表現で、4K修復はその画調を再現する工程だ。4K修復で銀残しを追加した説は誤りになる。