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1993年5月5日に日本テレビで放送された約72分のテレビスペシャルで、氷室冴子の小説を望月智充が監督した作品である。スタジオジブリでは高畑勲・宮﨑駿以外が監督した初の作品となり、20~30代のスタッフを中心に「早く安くうまく」を掲げて制作された。しかしスタジオの公式史自身が、結局は予算もスケジュールも大幅に超過したと認めている。初公開は劇場ではなくテレビ放送だったため、当時の劇場興行収入という指標は存在しない。若手なら速く安く仕上がるという大人の算段は外れたが、若手に任せなければ出なかった温度だけは、きっちり画面に残ったのである。
『海がきこえる』の若手育成は、若いスタッフへ作業を割り振るだけの名目的な企画ではなかった。過去の若手企画では宮崎駿が途中から制作へ入り込んだ経験があり、鈴木敏夫は今回は宮崎が制作に介入しないことを成立条件に据えた。つまり宮崎の不在は偶然でも消極的な放任でもなく、企画を守るために最初から設計されたルールだった。大事件や明快な成長を置かず、同世代のスタッフが平熱に近い感覚で高校生の関係を描けた背景には、この制作上の距離がある。エンドクレジットの「スタジオジブリ若手制作集団」という名義も、完成作品だけでなく作り方そのものを世代交代の実験にした痕跡として読める。
参考情報:公開資料(日)
「早く、安く、うまく」は、完成後に成功を飾るための宣伝文句ではなく、若手中心の現場が制作開始時に掲げた目標だった。しかしスタジオジブリの公式沿革は、その目標とは反対に予算もスケジュールも超過したことを隠していない。本作は劇場長編より短い約72分のテレビ作品だが、派手な動きの代わりに、現実に近い人物の視線、姿勢、会話の間がドラマを支えている。ただし公式沿革は、どの工程が予算や日程を押し広げたのかまでは記しておらず、日常芝居だけを超過の原因と断定することはできない。重要なのは、若手へ一本を任せれば自動的に早く安く仕上がるわけではなく、目指した品質と制作条件の間で試行錯誤が続いたことである。軽やかに見える完成映像と、守れなかった制作標語の落差まで含めて、若手企画の実像が見えてくる。
参考情報:公式資料(日)
望月智充の監督就任は、スタジオジブリが若手向け企画に外部の演出家を当てはめた結果ではない。望月は企画が正式に動く以前から氷室冴子の原作に関心を持ち、鈴木敏夫へ映像化を持ち込んだこともあった。そのため監督候補として声をかけられると迷わず引き受けたという。原作への思いを持つ監督が選ばれたことで、里伽子、拓、松野の感情は、誰か一人を分かりやすい善人や悪人にする方向へ整理されなかった。人物同士の気まずい距離や、言葉にしきれない感情を残す演出は、題材を長く映像化したいと考えていた望月だからこそ選べた方法として見えてくる。
参考情報:公開資料
宮崎駿は『海がきこえる』の制作へ介入しない約束を受け入れたが、完全に無条件で若手へ任せたわけではない。宮崎が唯一求めたのは、作画監督とキャラクターデザインに近藤勝也を起用することだった。近藤はアニメ化のために後から参加した人物ではなく、氷室冴子の原作連載時から挿絵を担当し、高知取材で見た街や人物の空気を絵に蓄えていた。そのため制作陣は、小説を一から映像へ翻訳するのではなく、すでに近藤が形にした人物像や風景を映画の出発点にできた。宮崎の不介入と近藤への指名が同時に存在したところに、若手へ任せながら作品の視覚的な核だけは守ろうとした企画の設計が表れている。
参考情報:公開資料(日)
『海がきこえる』は日本テレビで放送するための作品だったが、制作陣は画面まで家庭用テレビの枠へ従わせなかった。選ばれたのは、劇場映画と同じ35mmフィルムのビスタサイズである。横長の映像は放送時に画面の上下へ帯が出るが、日本テレビもレターボックスでの放送を受け入れたため、制作側は4対3へ作り直す必要がなかった。この選択によって、教室で同じ空間にいながら離れている生徒たちや、ハワイのホテルで向き合いきれない拓と里伽子を、横方向の距離として見せられる。劇場公開が決まっていたからではなく、テレビ作品であってもジブリでは映画の画面を作るという意識が、映像の比率にまで及んだのである。
参考情報:公開資料(日)
テレビ作品で35mmビスタを採用するという美意識は、劇場長編と同じ予算を意味しなかった。横長の画面を維持しながら作画工程の負担を抑えるため、現場では通常のジブリ長編用紙より少し小さい専用の作画用紙が作られた。単純に既存のテレビアニメ用紙の上下を切ったものではなく、この作品の画面と制作条件に合わせた紙である。観客が見るのは完成した横長の映像だけだが、その構図は最初の鉛筆線を置く紙の大きさから設計されていた。35mmという華やかな仕様と、用紙を小さくして費用を抑える実務的な判断が同居している点に、このテレビスペシャル特有の制作思想が表れている。
参考情報:公開資料(日)
『海がきこえる』は「日本テレビ開局40周年記念番組」として放送されたため、テレビ局の周年企画から作品が生まれたように見える。だがプロデューサーの高橋望は、その看板が制作開始後に付いたものだったと振り返っている。最初にあったのは、日本テレビの記念事業ではなく、宮崎駿や高畑勲とは別の若いスタッフへ一本を任せるというスタジオ側の課題だった。制作が進んだ後、通常のテレビアニメとは異なる作り方や予算を説明するうえで、開局40周年という冠が放送側の理由付けになったのである。華やかな放送告知と実際の企画起源を分けて見ると、本作がまず世代交代の実験として始まったことが分かる。
参考情報:公開資料(日)
『海がきこえる』の高知は、原作が完成した後、アニメの美術スタッフが資料写真を集めて再現しただけの舞台ではない。連載担当者の三ツ木早苗と挿絵を担当する近藤勝也は、氷室冴子が小説本文を書く前から高知へ入り、現地の高校生や女性に話を聞いていた。調べたのは建物や街路だけではなく、土地の言葉、若者の振る舞い、地元の男性がどう見られているかといった人物を形づくる空気まで含まれていた。その取材がまず原作と連載挿絵に入り、アニメ化の際には教室の雰囲気、街の光、方言、拓や松野の佇まいへ引き継がれた。舞台のリアリティは背景美術だけで作られたのではなく、物語が書かれる前の聞き取りから始まっていたのである。
参考情報:公開資料
通常の原作挿絵は、文章の場面を読者へ示す役割を終えると、映像化では参考資料の一つになることが多い。だが『海がきこえる』では、近藤勝也が連載中に描いた人物や、高知ロケハンを基にした橋、街路の絵が映画へ高い割合で引き継がれた。制作陣にとってそれらは、文章へ添える挿画であると同時に、映画の色、構図、人物の立ち方を先に示すイメージボードでもあったのである。作画監督とキャラクターデザインも近藤自身が担当したため、原作と映画の間で人物像を別のデザイナーが作り直す断絶も小さかった。自転車で橋を渡る拓や高知の街路を挿絵と見比べると、一枚の絵に封じ込められていた青春の空気が、映画の時間と動きへ展開される様子を確かめられる。
参考情報:公式資料
『海がきこえる』には、空を飛ぶ場面も怪物との戦いもなく、人物は現実に近い頭身で描かれている。一見すると、派手なアクション作品より作画の負担は軽そうに思えるが、近藤勝也はこの題材をアニメーションにすること自体が難しいと感じていた。ファンタジーの仕掛けや大きな身振りを使わず、テレビ作品の制作条件の中で日常の芝居だけを動かす必要があったからである。教室での視線、廊下ですれ違う姿勢、同窓会で再会したときの間合いなど、普通なら見過ごす変化が人物の感情を運ぶ。事件ではなく仕草がドラマになる作品では、何も起きていないように見える瞬間ほど、作画と演出に精密な判断が求められたのである。
参考情報:公開資料
『海がきこえる』は日本テレビで放送されたが、テレビ局が完成条件を決めてスタジオジブリへ注文しただけの番組ではない。高橋望によれば、日本テレビ、徳間書店、スタジオジブリの三者による製作委員会が組まれ、三者が製作者として同じ企画を支える形で作られた。放送権を持つ日本テレビと、作品を共同製作する日本テレビは、役割として区別されていたのである。この体制だからこそ、テレビ向けの企画でありながら、画面を4対3へ合わせず、35mmのビスタサイズで作るというスタジオ側の判断も成立した。放送媒体だけを見ればテレビアニメだが、企画と制作の仕組みを見ると、映画とテレビの境界に置かれた特殊な作品だったことが分かる。
参考情報:公開資料(日)
『海がきこえる』の初号試写で、宮崎駿は長い感想を述べず、最後に効果音への不満だけを残したと高橋望は振り返っている。一方、鈴木敏夫は宮崎が作品に強く反発していたと語り、その怒りは作品の何かが宮崎の琴線に触れ、作り手として脅かした反応だったと見ている。高橋によれば、宮崎にはアニメーションは現実の自分たちを写すのではなく、子どもたちへ「こうあるべき姿」を示すものだという考えがあった。大きな冒険も明確な成長も置かず、高校生の未整理な感情を平熱で描いた『海がきこえる』は、その考えから見ると理想が足りなかったのである。宮崎は『耳をすませば』の原作自体は以前から知っていたが、この反発が企画を具体化し、別の青春像を示す動機の一つになったと両プロデューサーは回顧している。『耳をすませば』で雫と聖司が将来へ踏み出す結末は、『海がきこえる』の停滞や気まずさに対する回答のようにも見えてくる。ただし、当事者も直接の因果を断定していないため、「試写後すぐにゼロから企画した」という単純な逸話ではない。
参考情報:公式資料(日)
『海がきこえる』の終幕には、一般的な制作部署とは異なる「スタジオジブリ若手制作集団」という名義が記されている。監督、脚本、作画、美術の若いスタッフへ作品を任せるという企画目的を、完成画面の最後で観客にも示したクレジットである。興味深いのは、次のジブリ長編『耳をすませば』にも「スタジオジブリ若手制作者集団」というよく似た名義が使われたことだ。二作はともに若い世代を描き、宮崎駿・高畑勲以外の監督へ作品を託しているが、青春の捉え方は平熱の現実と前向きな理想へ大きく分かれる。エンドクレジットの一行は、内容の異なる二本を、スタジオが模索した世代交代の連続した試みとして結びつけている。
参考情報:公開資料(日)
『海がきこえる』の画面は、一人の絵コンテをそのまま清書して完成したわけではない。監督の望月智充が物語と演出の流れを絵コンテにし、作画監督・キャラクターデザインの近藤勝也が、人物の姿勢、視線、画面内の距離をさらに具体化した設計へ発展させた。公式監修ビジュアルブックと映像特典には、両者の仕事を比較できる資料が収められており、この二段階の画面づくりを実際に追うことができる。物語上は同じ会話でも、人物を画面のどこへ立たせ、どちらへ目を向けさせるかで、親しさや気まずさの度合いは変わる。大きな事件に頼らない本作では、絵コンテからレイアウトへ進む間の小さな調整こそが、青春劇の緊張を生む重要な演出だったのである。
参考情報:公式資料(日)
学園祭の遠景に、『紅の豚』のポルコらしき人物が座っているという見方がある。だが、公式に登場人物だと認められた事実はない。背景に紛れた遊び心かもしれない。
参考情報:映画データベース(米)
終盤の背景に、『紅の豚』のポスターがあるという話も語られる。公式に認められた小ネタではなく、背景の細部をめぐる見方の一つにとどまる。画面の隅の小さな噂だ。
参考情報:映画データベース(米)
2008年にライアン・レイノルズらを起用した英語吹替が計画された、という話が残っている。だが、完成版が世に出た記録は確認できず、計画だけで消えた可能性がある。幻の吹替企画として気になる。
参考情報:映画データベース(米)