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日本のいちばん長い日(2015)を配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
2015年公開。半藤一利のノンフィクションを原田眞人が監督・脚本として映画化し、1967年の岡本喜八版に続く二度目の映画化である。原田によれば、2013年秋に別企画を相談していた二人のプロデューサーと「戦後70年」を話題にしたことから権利の確認が始まり、二か月後に脚本を書き始めた。本人は1967年版が昭和天皇を描けなかった点を以前から意識しており、今回は原作を生かすことを重視し、単純なリメイクを作るつもりはなかったと後年語っている。興行収入は13.2億円で、映連の2015年作品別ランキングでは30位だった。終戦の決定を描く映画の企画も、権利の空きと節目の年が揃った瞬間に走り出す──歴史の時計にも、制作会議の締切はある。
原田眞人監督は18歳の時、岡本喜八監督による『日本のいちばん長い日』(1967)を劇場で見ている。岡本作品から強い影響を受ける一方、当時の制約では昭和天皇を中心人物として十分に描けず、物語には未完成の部分が残ったと感じていた。その後、自分なら昭和天皇をどう描くかを考え続け、映画会社が企画を受け入れるまで数年を要した。2015年版は旧作を同じ形で再現するのではなく、約半世紀前に描けなかった領域を引き継ぐ企画として作られた。
題名の「いちばん長い日」は8月14日から15日の約24時間を指すが、2015年版は1945年春から終戦放送までの約4か月を描いている。原田眞人監督は半藤一利の『日本のいちばん長い日 決定版』に、鈴木貫太郎と昭和天皇の終戦工作を扱う『聖断 天皇と鈴木貫太郎』を加えた。鈴木内閣の発足、阿南家の日常、昭和天皇が決断へ至る過程を置くことで、宮城事件を単独のクーデター劇にせず、政府、宮中、陸軍、家族の時間が8月15日へ集まる構成に変えた。
原田眞人監督は2013年12月に脚本を書き始め、約5週間で第一稿を完成させた。同じ時期には時代劇『駆込み女と駆出し男』(2015)の準備も進んでおり、その現場で鈴木貫太郎役の山﨑努と本作の演技プランを話すこともあったという。監督にとって初の本格時代劇と初の戦争映画が重なって進んだ。短期間で一から調べたのではなく、長年考えてきた昭和天皇像と終戦史の資料を脚本へまとめた5週間だった。
原田眞人監督は青年将校役の俳優たちへ、岡本喜八監督の1967年版を含む日本の戦争映画を演技の参考にしないよう指示した。代わりに全員へ見せたのが、英国陸軍刑務所を舞台にしたシドニー・ルメット監督の『丘』(1965)である。監督は同作の軍人たちの声、立ち居振る舞い、身体のさばき方を教材にした。決起する青年を最初から狂人として見せず、軍隊の規律を身につけた人物が命令系統を外れていく過程を演技で作らせた。
原田眞人監督は東条英機役では外見の似た俳優を探したが、昭和天皇役には「そっくりさん」を選ばない方針を立てた。写真やニュース映像の口調を再現するだけでは当時の天皇像が浅くなると考え、顔立ちの品格と立ち居振る舞いを重視して本木雅弘へ出演を依頼した。本木は実在人物の重さから決断を迷ったが、義母で俳優の樹木希林に背中を押され、役を引き受けた。監督はこの助言を冗談交じりに「樹木希林さんのご聖断」と呼んでいる。
御前会議が開かれる御文庫付属室は、製作時には内部の詳しい資料がまだ公開されていなかった。原田眞人監督は簡略な図面をそのまま再現しても画面として弱いと考え、昭和天皇が閣僚とは別の入口から入る構造や、深さを感じさせる地下通路を加えた。完成後に実際の施設が公開されると、専用入口を想定した点は一致していた。一方、通路を仰々しく見せた部分は史料の再現ではなく、映画の緊張を作る美術設計だった。
地下施設の場面には、京都府舞鶴市に残る旧軍施設が使われた。旧海軍の弾薬庫は陸軍省防空壕、葦谷砲台跡は宮城内警備司令所、旧北吸浄水場の配水池は御文庫地下道路などとして撮影された。実際の用途をそのまま再現したのではなく、同じ時代の建築が持つ壁、扉、冷気、奥行きを別の施設へ置き換えている。弾薬庫は奥行きが約130メートルあり、台詞が何度も反響するため、録音班は声の収録に苦労したという。
閣議や青年将校の集団場面では、複数のカメラを同時に回し、誰かが台詞や動きを失敗しても芝居全体を止めなかった。撮影監督の柴主高秀によれば、一人が失敗した瞬間にも別の俳優が良い反応をしている可能性があるため、カメラを回し続けたという。役所広司は本作の現場に3台のカメラがあったと振り返っている。台詞を一人ずつ切り返すのではなく、同じ部屋で複数の判断が同時に動く群像劇として撮影した方法である。
役所広司は阿南惟幾を演じるため弓道を練習し、夢中になるあまり手があざだらけになったという。阿南が亡き息子と居合をする場面では、息子役に三船力也が起用された。三船力也は、岡本喜八監督の1967年版で阿南を演じた三船敏郎の孫である。原田眞人監督は当初、息子を写真だけで見せる予定だったが、三船敏郎への敬意として動く姿も撮影した。息子の姿が阿南の影へ隠れる動きで、喪失と記憶を一つの身体へ重ねている。
オーディションでは、決められた台詞だけでなく俳優が即興へどう反応するかも試された。その最中、能楽師の大藏基誠が突然裸になると、同席した四人も次々に続き、五人全員が裸になる展開になった。原田眞人監督は、周囲を動かした最初の行動と柔軟性を高く評価したが、軍人役の雰囲気とは違うと判断し、宮中に仕える徳川義寛侍従役へ起用した。制服や顔立ちだけでなく、予想外の状況での身体の反応まで配役材料にしている。
撮影監督の柴主高秀と照明技師の宮西孝明は、第69回映像技術賞の劇場公開部門でそれぞれ受賞した。暗い地下壕、夜間の宮城事件、大人数が集まる御前会議では、空間を暗く見せながら複数の人物の表情と動きを同時に残す必要があった。複数カメラが俳優を追い続けても、各方向から照明器具が見えたり人物の顔が消えたりしない設計が求められた。完成作の画面は、撮影と照明を分離できない技術として評価されている。
2016年1月6日発売のBlu-ray豪華版には、原田眞人監督の音声解説に加え、約75分のメイキング、約18分の広報番組再編集版、約5分の玉音放送全編が収録された。映画本編では物語の進行に合わせて分割される録音を、特典では途中で切らずに聞くことができる。通常版にも監督の音声解説はあるが、撮影現場と史料音声をまとめた特典ディスクは豪華版に付属する。本編Blu-ray、本編DVD、特典DVDの三枚組である。
2013年秋、原田眞人監督は別作品の打ち合わせ中、戦後70年の話題から本作を再映画化する計画があるかをプロデューサー二人へ尋ねた。計画がないと分かると、その場から版元の文藝春秋へ電話が入り、映画化権が空いていることが確認された。『わが母の記』(2012)以来、監督と関係を築いていた松竹の経営陣も企画を承認したため、長年どの会社にも受け入れられなかった構想が、雑談から脚本執筆まで一気に進んだ。
宮城事件を起こした青年将校たちを、原田眞人監督は最初から狂人として描かなかった。本土決戦という主張には反対しながらも、当時の軍人教育に従って最後まで戦おうとした純粋さは残そうと考えた。そのため畑中健二少佐には澄んだ目を持つ松坂桃李を起用し、兄貴分の井田正孝中佐には有名スターを置かず、大場泰正を抜擢した。観客が俳優の知名度で立場を決めず、二人の言動から違いを見つける配役である。
東條英機が貝殻を例にして上奏する部分は、実際の記録に基づいている。しかし昭和天皇がどう返したかは史料に残っておらず、その後に東條が主張を収めたことだけが分かっている。原田眞人監督は二つの史実の間をつなぐため、天皇の機知に富んだ返答を創作した。続くナポレオンの話は別の機会に残された発言から移しており、記録、空白を埋める脚色、別資料の引用を一つの会話へ組み合わせている。
閣僚、軍人、侍従が次々に登場するが、原田眞人監督はナレーションと人物名を示す説明字幕を避けた。字幕を読ませても、名前を知らない観客には人物像が残りにくいと考えたためである。代わりに、英語の会話のように相手の名前を台詞へ入れ、机上の役職表示も人物を見分ける手掛かりにした。建物や地域は画面だけでは判断しにくいため、場所を示す字幕は残し、人物の理解とは別の役割を持たせている。
脚本どおりに組めば約2時間半になる素材を、原田眞人監督は最初に2時間9分まで削った。その短い版を確認してから、心残りのある場面を約3分だけ戻し、2時間15分以内という条件へ収めた。日本の脚本で一般的な「一ページ一分」では台詞量と尺が合わないと考え、一ページ45秒と決め、編集したページ数と映像の長さを日ごとに計算した。本作の速い会話、短いカット、場面をまたぐジャンプは、群像劇の勢いだけでなく上映時間を数値で制御した結果でもある。
松坂桃李は台本を読み、放送ブースの机に置かれたマイクへ原稿を読む場面を想像していた。現場には実際にブースも作られていたが、原田眞人監督はそこを使わず、舞台へ上がって天井から下がるマイクへ話すよう指示した。松坂がマイクに向かって背筋を伸ばすと、自分の声が放送されない状況でも、陸軍大臣の訓示を正式な演説として届けようとする畑中少佐の姿勢が生まれた。俳優の感情を先に説明せず、立つ場所と器具で演技を変えた場面である。
阿南惟幾の息子と鈴木貫太郎の孫は、完成後の本作を鑑賞している。阿南の息子は、これまでの作品とは違い自分が知る父親として描かれていたと監督へ伝え、鈴木の孫も家庭で知る祖父の姿に近いと反応した。原田眞人監督は、阿南を本土決戦派か終戦派かの二択へ整理せず、戦死した息子を抱える父親としても描いている。家族の反応は史実全体の正しさを保証するものではないが、私生活の人物像を組み立てた脚色への具体的な評価である。
脚本では、昭和天皇、鈴木貫太郎、阿南惟幾の関係を、原田眞人監督が天皇を長男、鈴木を父、阿南を次男とする擬似的な家族として捉えた。当時は天皇も家族の家長の延長として意識されていたという監督の解釈から、阿南家や鈴木家の妻と子どもを脚本へ入れ、女性の役割も残した。終戦の判断を役職同士の会議だけで進めず、戦死した息子を持つ父、夫を支える妻、天皇に仕える政治家という生活上の関係へ置き直している。
原田眞人監督の父は1945年、19歳で鹿児島県知覧の飛行基地におり、塹壕を掘っていた。連合軍が九州へ上陸する本土決戦が実行されていれば父は命を落とし、自分も生まれていなかった可能性があると監督は考えている。そのため昭和天皇が終戦を決断する過程を描くことは、政治制度や戦争責任を映画化するだけでなく、自分の家族が戦後まで続いた理由をたどる作業でもあった。監督が昭和天皇を物語の中心に置いた背景には、この個人的な距離がある。
公開時、原田眞人監督は本作を終戦三部作、または四部作の第一作と考えていた。完成作は鈴木内閣の発足から玉音放送までを描いたが、脚本から省いたポツダム会談の交渉や、原爆投下へ至る政治判断にも、別の映画として掘り下げる余地があると説明している。その後、この構想に沿った続編は製作されておらず、本作は監督が想定した複数作の終戦史のうち、国内で降伏を決める過程だけが完成した作品となっている。
2015年版の上映時間は136分である。配給会社の現行作品ページには157分と記載されているが、2016年発売のDVD・Blu-ray、映画機関の作品記録、公開時資料はいずれも136分で一致する。157分は岡本喜八監督による1967年版の上映時間と同じである。同名の二作品をデータベースへ登録する際に、旧作の尺が2015年版へ混入した可能性が高い。当時のパンフレットや映像ソフトを持つ捜査員は、上映時間の記載を確かめてほしい。
原田眞人監督は、昭和天皇を主役の一人として正面から描くことを2015年版の大きな目的に挙げている。ただし岡本喜八監督の1967年版にも、松本幸四郎が演じる昭和天皇は登場していた。監督が述べた日本映画で初めてという表現は、昭和天皇を登場させた最初の映画という意味ではなく、顔、家庭での姿、発言、政治的判断までを継続して物語の中心へ置いた作品という範囲で受け取る必要がある。