主な参考資料
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- AFI
- The Criterion Collection
- Turner Classic Movies
- Library of Congress
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1968年公開。ピッツバーグで広告・産業映画を作っていたラテント・イメージの仲間は、1967年に各600ドルを出し合う低予算ホラーを発案し、10人の出資者でイメージ・テンを組んだ。ロメロは白黒を費用節約に選び、取り壊し予定の農家を借り、出演者とスタッフは機材を守るため19日間そこで寝泊まりした。米国議会図書館の記録では、原版は著作権表示のない状態で公表されたため登録が取り消され、その後何十年も粗悪なプリントやビデオ転送が流通した。だが4K復元ではMoMAとフィルム・ファウンデーションがオリジナル35mmネガをスキャンし、ロメロとイメージ・テンが監修した。製作費は11万4,000ドルで、The Numbersの現行集計では北米興収約1,209万ドル、世界累計約3,009万ドルである。死者より先に著作権が蘇れなかった映画が、後には4Kで戻ってくるのだから、映画史は皮肉にも保存修復が得意である。
仲間と設立したピッツバーグのラテント・イメージで、広告や企業向け映像を作りながら16mmカメラ、照明、編集の技術と機材を蓄えていた。ジョージ・A・ロメロは、いきなり長編映画へ挑んだわけではない。長編を撮れるだけの道具がそろったと判断したことが、本作を自主制作する直接のきっかけになった。
ラテント・イメージとハードマン・アソシエーツの仲間十人が一人600ドルずつ出し、合計6,000ドルを元手にイメージ・テンを設立した。最初の撮影資金は、映画会社から調達したものではなかった。その後も追加出資者を募りながら製作を続けたため、出演者やスタッフの多くが出資者を兼ねている。
本作が白黒で撮られた主な理由は、カラー作品より製作費を抑えられるからだった。ところが、強い照明、手持ちカメラ、粗い音と組み合わさった白黒映像は、当時のテレビニュースや犯罪記録に近い質感を生んだ。節約のための形式が、死者の襲撃を現実の事件のように見せる画面へ変わった。
出演者とスタッフの多くは広告制作などの本業を続けていたため、夜間、週末、休日を使い、撮影期間は九か月に及んだ。主要撮影は約30日分だったが、連続した一か月で撮り終えたわけではない。冒頭の墓地場面も後半に撮られており、一本の夜の物語を長い日程の断片から組み上げている。
主要舞台の農家は、所有者が取り壊す予定だった建物を借りたものである。そのため制作陣は窓を塞ぎ、壁や室内を傷つける撮影にも使えた。カメラや照明を盗難から守る必要があり、スタッフは軍用品店で買った簡易ベッドを持ち込み、十九日間にわたって農家へ寝泊まりした。
農家の居間から続いているように見える地下室は、同じ建物の中にはなかった。地下室場面は、ピッツバーグにあったラテント・イメージの事務所地下で撮影し、農家に作った扉と編集でつないでいる。登場人物が「一階か地下か」を争う場所そのものが、実際には二つの建物から作られていた。
初期稿は、地球へ来た若い宇宙人が人間の少年少女と交流するホラーコメディで、次の段階では腐った死体を宇宙人の食料にする案が加わった。最初から、農家を死者が包囲する物語だったわけではない。長く埋葬された遺体は特殊メイクで再現しにくいため「死んだばかりの人間」へ絞り、やがて死者が生者を食べる完成形へ変わった。
物語の重要な出発点は、リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』(1954)である。吸血鬼のような存在が増え、人間の側が少数派になる終末世界を、ロメロとジョン・A・ルッソは「死んだ人間が戻ってくる」物語へ読み替えた。一軒の農家を集団が包囲する構図には、この小説の発想が残っている。
企画当初の呼び名は、そのまま「怪物映画」を意味するMonster Flickだった。脚本が固まると、古代エジプトで死者を扱う神アヌビスにちなむNight of Anubisへ変わり、完成時にはNight of the Flesh Eatersとなった。最後に配給会社が類似題との混同を避けるため現在の原題へ変更し、この新しい題字カードが後の著作権問題を招いた。
ベンは、脚本段階では白人男性を想定した役だった。ロメロたちは、仲間の中で最も演技力があると判断したデュアン・ジョーンズを起用し、黒人俳優が演じることになっても台詞を人種に合わせて書き換えなかった。その結果、黒人男性が白人の男女へ指示を出し、物語の中心を担うという、1968年のアメリカ映画では異例の構図が生まれた。
一方、デュアン・ジョーンズは、1968年のアメリカで黒人男性が白人の集団を率い、最後に白人の自警団から撃たれる意味を強く意識していた。ロメロは、人種差別を主題にする意図でベンを黒人にしたのではないと繰り返し説明している。制作側の無色な配役方針と、演じる側が感じた現実の重さが、同じ人物の中に重なっている。
バーバラが墓地で起きたことをベンへ語る長い回想は、ジュディス・オディアが大部分を即興で組み立てた。ベンが入口を塞ぐためにテーブルを壊している横で、バーバラは途切れながら兄ジョニーの死を思い出していく。言葉の順序が整いすぎず、記憶がその場で戻ってくるように聞こえるのは、この演技方法によるものだ。
現代のゾンビ像を決定づけた作品だが、劇中で「ゾンビ」という言葉は一度も使われない。登場人物は襲ってくる死者を「グール」や「あれら」と呼び、ロメロ自身も当時は新しい種類の怪物だと考えていた。死者がゆっくり動き、集団で生者を食べるという特徴が先に広まり、名称は後から定着した。
ロメロは、死者を一体だけで人間を圧倒する怪物にはしなかった。動きは鈍く、墓の深い土を掘って出られるほど強くもないが、数が増えると家を囲み、窓や扉から押し寄せてくる。個体の能力よりも集団の圧力を恐怖の中心に置いたことが、後のゾンビ映画に受け継がれる基本形になった。
画面に流れる血は、ボスコのチョコレートシロップで作られた。死者たちが車のそばで食べる人肉にはローストハムを使い、白黒撮影のため本来の色を隠すことができた。高価な特殊素材を用意せず、粘度と照明で血や肉に見せる方法が、当時としては直接的な食人描写を可能にした。
撮影初期は肌を白くし、目の周囲を黒くする程度だったが、作業に慣れると葬儀用ワックスで傷口や腐敗した皮膚を作るようになった。死者のメイクは、最初から統一された完成形が決まっていたわけではない。墓地に現れる最初の死者と、終盤の群れで顔の傷み方が違うのは、制作中に技法が増えたためでもある。
夜の農家で撮影すると、台詞の下へコオロギの声が大きく入り込んだ。消せない環境音を欠点にするのではなく、虫の音を別に録音し、昼間に撮った場面にも加えて音の状態をそろえた。映像ごとに撮影時刻が違っていても、一晩の出来事として連続して聞こえるようにしたのである。
掃討作戦を伝える現場記者は、ピッツバーグの深夜ホラー番組で「チリー・ビリー」として知られたビル・カーディルが演じた。地域の観客にとっては、普段テレビで見ている司会者が架空の惨事を報じることになる。ニュース場面へ実在の放送人を置くことで、農家の外で本当に非常事態が進行しているような感覚を強めた。
夜明け後の捜索隊には、プロの俳優だけでなく、周辺の住民や警察関係者も加わった。猟銃を持つ男たち、犬を連れた一団、現場を取材するテレビ班を同じ場所へ集め、事件現場の記録映像に近い動きを作っている。ベンの最期が怪物映画の見せ場ではなく、現実の掃討作戦の一場面のように見える理由の一つである。
低予算のため、長いレールを敷いてカメラを滑らかに動かす撮影は多用できなかった。ロメロは一つの動作を複数の短い固定ショットに分け、編集で連続させて速度を作った。本人は当時、画面上の視線や方向を扱う基本にも不慣れだったと認めているが、多数の断片をつなぐ方法が結果として本作の神経質なリズムになった。
本編は、劇場公開に耐える画質を得るため35mmフィルムで撮影された。一方、編集では費用を抑えるため、16mmへ縮小したワークプリントやラッシュ素材を使った。後年の4K UHD版に収録された16mmの撮影素材は、完成版の35mm映像とは別に、低予算の編集工程を伝える記録でもある。
劇中のテレビは、金星から戻った探査機が高い放射線を帯びていた可能性を報じる。この設定の背景には、マリナー5号が金星大気を観測した1967年の実際のニュースがあった。完成版では探査機が唯一の原因のように聞こえるが、当初は複数の説明を残す構成だった。
初期編集では、死者が蘇った理由について複数の可能性が示されていた。配給会社が説明部分を削った結果、金星探査機と放射線を語るテレビ放送が目立って残り、宇宙由来の事故が原因であるように受け取られやすくなった。ロメロ自身は、原因を一つに確定するつもりではなかったと説明している。
完成後、コロンビアは白黒作品であることなどを理由に配給を見送り、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズは残酷描写を弱め、救いのある結末へ変えるよう求めた。制作側は変更を受け入れず、別の配給先を探した。主人公まで死ぬ結末が残ったのは、配給契約を得るための改変を拒んだからでもある。
本作は、アメリカで現在につながる年齢別レーティング制度が始まる直前に公開された。配給会社は旧来の製作規定へ参加しておらず、劇場では子どもも通常のホラー映画と同じように入場できた。ロジャー・イーバートは1969年、土曜昼の上映で幼い観客が結末に打ちのめされる様子を書き、映画の内容と公開制度のずれを問題にした。
配給会社が原題をNight of the Flesh Eatersから現在の題名へ変えた際、新しいタイトルカードに著作権表示を入れ忘れた。当時のアメリカ法では、公開時の表示が保護を受けるための重要な条件だったため、白黒の原版はパブリックドメインになった。数秒の題字を交換した作業が、作品の収益と複製の歴史を変えてしまった。
著作権保護を失ったことで、上映や複製に許諾を得る必要がなくなり、百種類を超える家庭用映像版が作られた。一方で、傷んだ上映プリントをもとにした暗く不鮮明なビデオも多く、長い間それが本作の標準的な姿として流通した。作品を広めた仕組みが、同時に映像品質を損なう原因にもなった。
4K復元では、長年出回った上映プリントやビデオではなく、イメージ・テンが保管していたオリジナル35mmカメラネガを使用した。ニューヨークのシネリックが4Kでスキャンし、バーバンクのオーディオ・メカニクスが音声をデジタル化した。ロメロ、ジョン・A・ルッソ、ゲイリー・ストライナー、ラッセル・ストライナーが監修している。
製作費は11万4,000ドルだった。現行の興行集計では、北米興収は1,208万7,064ドル、世界累計は3,008万7,064ドルで、製作費の約264倍に達する。初公開時の興行だけでなく後年の再上映を含む可能性はあるが、少額出資で始まった地域映画が世界規模へ広がった大きさは分かる。
公開当初には、残酷さを理由に制作者や観客の道徳性まで批判された。しかし1999年、米国議会図書館は本作を「文化的、歴史的、美学的に重要」な映画として国立フィルム登録簿へ選んだ。ピッツバーグの仲間が自主制作した低予算ホラーが、保存すべきアメリカ映画遺産になったのである。
ロメロは、当時まだ若かったトム・サヴィーニの特殊メイク作品を見て、本作へ起用するつもりだった。ところがサヴィーニは写真学校を出た直後に軍務でベトナムへ行き、撮影へ参加できなかった。後に『ゾンビ』(1978)などでロメロ作品の特殊メイクを担い、さらに『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀』(1990)を監督している。
物語の最初に置かれた墓地場面は、撮影順では最後に近かった。エヴァンズ・シティ墓地は見物人が集まりにくく、長期間の撮影で経験を積んだ後に、ジョニーとバーバラが最初の死者と遭遇する一連を撮っている。映画の入口は、制作チームが本作の撮り方を身につけた段階で作られた。
墓地から逃げるバーバラが使う車には、撮影前から車体のへこみがあった。車はラッセル・ストライナーの母が買い物中につけたものだったため、制作陣は傷を隠さず、バーバラが逃走中に木へ衝突する場面を加えた。用意できた車の状態を、追跡場面の出来事へ変えたのである。
炎上する家具を撮影していた際、火を扱っていた音響担当ゲイリー・ストライナーの袖へ炎が移ったという。死者役のS・ウィリアム・ヒンズマンがストライナーを地面へ倒して火を消し、大きな事故を防いだとも伝えられている。ただし、この経緯を当事者が直接説明した記録は確認できていない。現場で起きた話なのかもしれないが、事故の詳細までは言い切らない方がよさそうだ。
墓地の死者が車の窓へ石を投げる場面では、S・ウィリアム・ヒンズマンが投げた石がカメラ付近のロメロへ当たったという。40周年DVDのロケ地再訪で語られた逸話として紹介されている。ただし公開されている記事だけでは、負傷の有無や当たり方までは確認できない。石が当たったのかもしれないが、大事故のように広げない方がよさそうだ。
冒頭でバーバラが身を隠す墓石には、Nicholas Kramerという実在人物の名が刻まれているという。撮影用に作った墓石ではなく、エヴァンズ・シティ墓地にある実物を画面へ入れた可能性がある。墓地記録と現在の墓石を照合した資料は見つかっていないが、本物の墓石だったのなら、低予算撮影らしい妙な実在感の理由にもなりそうだ。
デュアン・ジョーンズが、ベンを生存させる案に反対し、射殺される結末を残すよう求めたという説がある。ところがロメロは後年、ベンの結末を変える相談はしておらず、配給会社からの変更要求を制作側が拒んだと説明した。救いのある案を誰が提案したのか、ジョーンズが決定へ直接関わったのかは資料が食い違う。本人の判断だったのかもしれないが、そこまでは言い切らない方がよさそうだ。