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1984年公開。まだスタジオジブリが存在しない時代、宮﨑駿の映画企画が「原作のない作品では難しい」と通らなかったため、鈴木敏夫が徳間書店の『アニメージュ』で漫画を連載させ、その成功を足場に映画化へ持ち込んだ作品である。宮﨑は映画化のために漫画を描くことを嫌い、「漫画にしか描けないもの」を始めたはずだったが、結局その連載中に自ら脚本・監督を引き受け、高畑勲は初めて映画プロデューサーを務めた。制作会社はジブリではなくトップクラフトで、既成のスタジオへスタッフを集める一作限りに近い体制だった。国内で91万5,000人を動員した内容・興行両面の成功が徳間書店を動かし、翌1985年のスタジオジブリ設立へ直接つながった。原作がなければ映画にできないと言った会社を納得させるため、監督が先に大長編漫画を描くことになったのだから、企画会議の慎重さも相当な制作費である。
映画版『風の谷のナウシカ』は、宮崎駿が長期連載した漫画版の序盤2巻分を再構成した作品とされる。映画だけを見ると完結した物語に見えるが、原作側には戦争や世界の真相をめぐるさらに大きな展開が広がっている。
映画化企画では、原作漫画の部数を問われた鈴木敏夫が、実際より大きい50万部と答えたという裏話が伝えられている。後に映画のヒットで本当にその数字へ近づいたとされ、プロデューサー仕事の荒っぽさが見える話だ。
ヒロインのナウシカという名前は、ギリシャ神話の王女ナウシカアと、日本の『虫めづる姫君』のイメージを重ねたものとされる。傷ついた者を助ける王女と、虫を愛する姫君のモチーフが、腐海や王蟲に寄り添う人物像につながっている。
『風の谷のナウシカ』は、約9か月で56078枚もの作画を仕上げたとされる。いま見ると完成度の高い大作だが、制作現場は短期・低予算・多色数のかなり厳しい条件で動いていた。
クライマックスの巨神兵の原画は、後に『エヴァンゲリオン』を手がける庵野秀明が大きく担当したとされる。当初は王蟲の群れと巨神兵が激しくぶつかる案もあったが、制作期間と尺の都合で現在の演出に変更されたという。
当初のラストは、王蟲の大群の前にナウシカが立つだけで暴走が止まる案だったとされる。現在の死と復活を思わせる演出は、映画としてのカタルシスを求めた提案から生まれ、宮崎駿自身も後年「宿題が残った」と語ったという。
アメリカではかつて『Warriors of the Wind』という題で、短縮・改名された編集版が出回った。環境テーマや人物描写に関わる場面も削られたとされ、この苦い経験が後のジブリ作品のノーカット方針につながったと語られる。
細野晴臣と安田成美による「風の谷のナウシカ」は、予告や宣伝で印象づけられた曲だが、本編のエンディングには使われていないとされる。それでも「劇場で流れた」と語る記憶があり、公開当時の宣伝やロビー音楽との混同から生まれた噂として扱われている。
劇中で「ラン、ランララ…」と流れる印象的な曲は、久石譲の娘が幼い頃に歌ったボーカルを使ったものとされる。主題歌とは別に、子どもの声による不思議な響きが王蟲との場面を強く記憶に残している。
腐海は、単なる毒の森ではなく汚染された世界を浄化する仕組みとして描かれている。水俣病などの公害問題や、『デューン』などのSF作品の影響が語られており、ファンタジーの奥にかなり現実的な環境不安が入り込んでいる。
『風の谷のナウシカ』は現在ジブリ作品として扱われることが多いが、制作会社はスタジオジブリではなくトップクラフトだった。作品の成功が、翌年のスタジオジブリ設立へつながったという流れが重要だ。
王蟲の鳴き声には、布袋寅泰のギター音を加工したサウンドが使われたとされる。腐海の不気味な生き物の声が、ロックギター由来の音から作られているというのが面白い。
ナウシカの飛行具メーヴェは、ドイツ語でカモメを意味するMöweが語源とされる。後年には有志がこの形に近い実験機を作って飛ばすOpenSkyプロジェクトも生まれ、作品の空への憧れが現実の航空実験にまで広がった。
『ナウシカ』続編については、宮崎駿が自分では作らない一方で、庵野秀明がやるならという趣旨の発言をしたとされる。庵野も漫画版後半への強い思いを語っているが、具体的な企画として進んでいる話ではない。
防毒マスク越しの台詞は、実際のマスクを使うと声がこもりすぎるため、紙コップとゴムで作った疑似マスクを使って収録したとされる。聞き取りやすさとリアルさを両立するための、かなり手作りな音響工夫だ。
『Warriors of the Wind』版の宣伝では、映画本編と合わない男性戦士や空想メカが強調されたポスターも使われたとされる。環境SFとしてのナウシカが、海外ではまるで別の冒険アニメのように売られていたのだ。
久石譲は、最初から当然のように本編音楽を任されたわけではなく、先に作ったイメージアルバムが高く評価され、劇伴の中心へ進んだとされる。『ナウシカ』は、宮崎駿と久石譲の長い関係が始まる重要な入口でもある。
『風の谷のナウシカ』の漫画は、既存の原作がないと映画化しにくいという事情から、宮崎駿がなら原作を描くという形で始まったとされる。映画のために生まれた漫画が、結果的に12年続く大きな物語になったのだ。
『風の谷のナウシカ』はジブリ作品として並べられることが多いが、厳密にはスタジオジブリ設立前に作られた映画だ。パッケージや配信上の扱いと、実際の制作会社の歴史は分けて見る必要がある。
衣装の色や画面の明るさから、『風の谷のナウシカ』にはナウシカが素肌のまま飛んでいるように見えるという誤解がある。設定上の事実というより、タイツ状の衣装表現が画面で紛らわしく見えることから広がった小ネタだ。