夏の庭 The Friendsを配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
1994年公開、『お引越し』に続いて讀賣テレビが製作し、湯本香樹実の児童小説を田中陽造が脚色、篠田昇が撮影を担当した。主人公の少年3人には、オーディションで選ばれた演技未経験の小学生を起用し、名優・三國連太郎と同じ画面へ放り込むという、教育なのか実験なのか判然としない配役を組んだ。相米の現場では、子どもたちが動いてからカメラとスタッフが撮り方を決める長回しが核となり、出来上がった画面には撮影当時の神戸と、篠田の光が同時に封じ込められた。1994年の毎日映画コンクールで日本映画優秀賞と脚本賞、キネマ旬報ベスト・テンで日本映画第5位と脚本賞を得て、2024年には4Kリマスター版が香港国際映画祭の相米慎二特集で世界初上映された。初公開時の正確な単独配給収入は確認できず、映画製作者連盟の1994年配給収入上位表にも掲載されていない。配給収入表には残らなかった夏休みを、修復と再上映が30年後まで延長したわけである。
山下、河辺、木山を演じた少年3人は、そろって演技経験がなかった。慣れた子役の型を当てはめるのではなく、初めてカメラの前に立つ三人の声、動き、互いの距離を映画の材料にした。老人への好奇心が友情へ変わる過程には、演者自身が現場へ慣れていく時間も重なっている。
参考情報:公式資料(日)
読売テレビは『お引越し』に続き、スポット広告枠を協賛企業へ販売して映画製作費を集めた。複数社が名を連ねる一般的な製作委員会だけではなく、テレビ局が持つ広告枠を映画へ変換する仕組みである。静かな少年映画の背後には、放送と映画を横断した具体的な資金調達があった。
参考情報:資料・アーカイブ(日)
老人宅を外から見張る場面では、少年たちが敷地へ入るまでカメラも塀の内側へ入らないよう決められていた。観客だけが先回りして老人の生活をのぞくことはできず、庭の内部は子どもたちの侵入と同時に開かれる。塀が物語上の境界であることを、撮影位置の規則に変えた演出である。
参考情報:資料・アーカイブ
撮影中に花火大会へ行く話が出ても、三國連太郎は戦争を思い出すとして加わらなかった。夏の現場では少年たちへ自身の戦争記憶を話すこともあったという。台風の夜に老人が語る加害と後悔は、俳優にとって遠い時代を説明するだけの台詞ではなかった。
参考情報:公式資料(日)
エンドクレジットには「エキストラに出演してくれた神戸の皆さん」と記されている。個々の名前を列挙する形ではないが、街を借りただけでなく、地域の人々が群衆や生活の気配を担ったことを映画自身が残した一行である。
参考情報:公開資料(日)
撮影は阪神・淡路大震災前の神戸で行われた。のちに大きく姿を変えた住宅地や川沿いが、少年たちにとって当たり前の日常として残っている。物語のために選ばれた風景が、公開後には失われた街の時間を伝える記録にもなった。
参考情報:公開資料
過去に相米作品で出演場面を丸ごと削られた経験のある寺田農は、本作では冒頭と終盤に必要なサッカー審判を選んだ。本人いわく「絶対切られない」役であり、Jリーグ発足期の協力を得て本物のユニフォームも着用した。編集される俳優側の知恵が、映画の円環構造に組み込まれている。
参考情報:公開資料
田中陽造の脚本は、1994年5月の雑誌『シナリオ』に評論とともに118~149頁で掲載された。原作小説から何を残し、撮影と編集でどこが変わったかを、完成映画と直接比べられる同時代資料である。
参考情報:公開資料(日)
エンディングにはZARDの「Boy」が使われた。坂井泉水が作詞し、栗林誠一郎が作曲、明石昌夫が編曲した楽曲である。セルジオ・アサドの劇中音楽から1990年代のポップソングへ切り替わることで、老人との夏は三人がこれから抱える記憶へ変わる。
参考情報:公開資料
4Kリマスター版は2024年、香港国際映画祭のサマー・インターナショナル・フィルム・フェスティバルで世界初上映された。1994年の公開時に毎日映画コンクールやキネマ旬報で評価された作品が、30年後には修復された映像で海外の観客へ先に披露された。
参考情報:公式資料(日)
「冒頭に現れる猫の撮影に3日をかけたという制作証言が紹介されている」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。冒頭の猫だけで3日撮影したという証言に関しては、確定情報ではなく検証途中の話として置く。
参考情報:公開資料